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ガラスの十代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「ガラスの十代」
光GENJIシングル
初出アルバム『光GENJI
B面 Graduation
リリース
規格
ジャンル アイドル歌謡曲
レーベル ポニーキャニオン
作詞・作曲 飛鳥涼
プロデュース 渡辺有三
ゴールドディスク
チャート最高順位
  • オリコン
    • 週間1位[2]
    • 1987年12月度月間1位
    • 1988年1月度月間1位
    • 1988年2月度月間4位
    • 1988年度年間2位
  • ザ・ベストテン
    • 週間1位(8週連続)
    • 1987年度年間92位
    • 1988年1月度月間1位
    • 1988年2月度月間1位
    • 1988年3月度月間5位
    • 1988年度年間8位
  • 歌のトップテン
    • 週間1位(9週連続)
    • 1988年度年間3位
光GENJI シングル 年表
STAR LIGHT
1987年
ガラスの十代
(1987年)
パラダイス銀河
1988年
光GENJI 収録曲
  1. THE WINDY
  2. Hurry Up
  3. ガラスの十代(LPバージョン)
  4. RAINY GIRL
  5. STAR LIGHT(LPバージョン)
  6. BAD BOY
  7. ほのかに甘くHOLIDAY
  8. Graduation
テンプレートを表示

ガラスの十代」(ガラスのじゅうだい)は、日本男性アイドルグループである光GENJIの楽曲。同グループの2枚目のシングルとして、1987年11月26日ポニーキャニオンからリリースされた。

制作

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ガラスの十代

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翌年にリリースしたアルバム『光GENJI』の先行シングルで、同作品には『LPバージョン』として収録されている[3][注釈 1]

シングル発売当時は光GENJIの全メンバーが十代であったが、発売から2か月後の1988年1月にはメンバー最年長の内海光司が20歳を迎えている。

プロ野球選手立浪和義が、現役初年度の1988年に、応援歌として替え歌が使われた[4]

Graduation

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タイトル通り「卒業」について歌っている楽曲で、アルバム『光GENJI』にも収録されている。

記録

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オリコンシングルチャートでは、前作「STAR LIGHT[5]に引き続き初登場1位を獲得した[2]

シングルの売上(出荷)枚数は公称で95万枚[6]

収録曲

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全作詞: 飛鳥涼、全編曲: 佐藤準
#タイトル作詞作曲時間
1.ガラスの十代飛鳥涼飛鳥涼
2.Graduation飛鳥涼CHAGE
合計時間:
CT
全作詞: 飛鳥涼、全編曲: 佐藤準。
#タイトル作詞作曲時間
1.ガラスの十代(歌入り)飛鳥涼飛鳥涼
2.「ガラスの十代」(オリジナル・カラオケ)飛鳥涼 
3.Graduation(歌入り)飛鳥涼CHAGE
4.「Graduation」(オリジナル・カラオケ)飛鳥涼 
合計時間:

リリース履歴

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規格 発売日 レーベル 品番
7インチレコード 1987年11月26日 (1987-11-26) ポニーキャニオン 7A 0800
CT 10P 13180
8cmCD 1989年11月21日 (1989-11-21) PCDA-00032

映像作品

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ガラスの十代

メディアでの使用

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# 曲名 タイアップ 出典
1 ガラスの十代 映画『ロックよ、静かに流れよ』挿入歌

脚注

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注釈

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  1. ^ 2番のAメロが光(内海光司大沢樹生)とGENJI(諸星和己佐藤寛之山本淳一赤坂晃佐藤敦啓)の掛け合い+ハモリになっている。

出典

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  1. ^ a b 第2回日本ゴールドディスク大賞 / Gold Disc Hall of Fame 2nd”. 日本ゴールドディスク大賞公式サイト. 2024年11月11日閲覧。
  2. ^ a b ガラスの十代 | 光GENJI”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2023年7月23日閲覧。
  3. ^ 光GENJI / 光GENJI [再発]”. CDジャーナル. 音楽出版社. 2023年7月23日閲覧。
  4. ^ 「これだけはしろよと言うたことさえ、できひんのが今の子やね」立浪和義が引退直後に語っていた“若い選手への喝”(5/5)”. Number Web. 文藝春秋 (2021年11月3日). 2023年7月23日閲覧。
  5. ^ STAR LIGHT | 光GENJI”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2023年7月23日閲覧。
  6. ^ 産経新聞』1995年9月4日付東京夕刊。

外部リンク

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