鉄道唱歌

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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鉄道唱歌(てつどうしょうか)は、鉄道の駅順すらまともに覚えることができない若者たちのために、JRが作った覚え歌である。昔の言葉を使って書かれた曲なので、現代語訳を括弧内に記す。

東海道線[編集]

なお、一部横須賀線や私鉄線の区間が含まれる。

JR東日本区間[編集]

1.汽笛一聲新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として

(うるさい汽笛が響く新橋駅を、私の乗る東海道線が出発した。私は寂しいので、どこにあるのか分からない山に沈んだ月を友達にしたんです。)

2.右は高輪泉岳寺 四十七士の墓どころ 雪は消えても消えのこる 名は千載の後までも

(右にあるのは高輪ゲートウェイ駅。近くには47人の墓があるらしい。去年の雪は消えましたが、名前は1000回粛清されました)

3.窓より近く品川の 臺場も見えて波白く 海のあなたにうすがすむ 山は上總か房州か

(品川駅に着いた。お台場は昨日の台風のせいで大荒れ…奥に見えるあれチーバ君でしょうか。)

4.梅に名をえし大森を すぐれば早も川崎の 大師河原は程ちかし 急げや電気の道すぐに

(梅しか植えていない大森駅を東海道線は通過します。もうすぐ川崎駅。大師河原は京急で。遅いと言ったらありゃしない。)

5.鶴見神奈川あとにして ゆけば横濱ステーシヨン 湊を見れば百舟の 煙は空をこがすまで

(鶴見神奈川通過して、橋を渡れば横浜駅へ。環境破壊をする船の、数は100を超えるほど。)

6.横須賀ゆきは乗替と 呼ばれておるゝ大船の つぎは鎌倉鶴が岡 源氏の古跡や尋ね見ん

(横須賀線は乗り換えの、大船駅に降り立って。鎌倉遺跡を訪ねては、源静香源氏を知ることができた。)

7.八幡宮の石段に 立てる一木の大鴨脚樹 別當公暁のかくれしと 歴史にあるは此蔭よ

(八幡宮の石段の銀杏には、公暁が隠れていました。彼は陰キャだったらしい。)

8.こゝに開きし頼朝が 幕府のあとは何かたぞ 松風さむく日は暮れて こたへぬ石碑は苔あをし

(ここに頼朝鎌倉幕府を開いたらしい。何があったのかと石碑に聞いたが、無視されてしまった。)

9.北は圓覺建長寺 南は大佛星月夜 片瀬腰越江の島も たゞ半日の道ぞかし

(北には建長寺、南は大仏。江ノ島に行くには半日もかかるのかあ。)

10.汽車より逗子をながめつゝ はや横須賀に着きにけり 見よやドツクに集まりし わが軍艦の壯大を

(逗子の街並みを眺めていたら、横須賀に着いた。にいる米軍の軍艦はすごいなあ。)

11.支線をあとに立ちかへり わたる相模の馬入川 海水浴に名を得たる 大磯みえて波すゞし

(横須賀線を後にして、相模の方に来てみれば、海水浴しか取り柄のない大磯が見えた。波は涼しげでいいものだなあ。)

12.國府津おるれば電車あり 酒匂小田原とほからず 箱根八里の山道も あれ見よ雲の間より

(国府津駅では通過待ち。酒くさい小田原も近くなってきた。箱根の町が雲の隙間からチラ見えなのは実に良いことだなあ。)

JR倒壊東海区間[編集]

13.いでゝはくゞるトン子ルの 前後は山北小山驛 今もわすれぬ鐵橋の 下ゆく水のおもしろさ

(トンネルに出て入ってを繰り返して、前後を山に挟まれた。今でも忘れられないのは、下水の汚さに笑いが止まらなかったことです。)

14.はるかにみえし富士の嶺は はや我そばに来りたり 雪の冠雲の帶 いつもけだかき姿にて

(いつも富士山はかっこいいなあ。それにしても、今日はいつにも増して荘厳な姿だなあ。)

15.こゝぞ御殿場夏ならば われも登山をこゝろみん 高さは一萬數千尺 十三州もたゞ一目

(御殿場に来た。今が夏だったら富士登山にもチャレンジしたのになあ。そういえば、富士山って標高1万メートルくらいだったよなあ。それなら13キロくらいは見渡せるかなあ。)

16.三島は近年ひらけたる 豆相線路のわかれみち 驛には此地の名をえたる 官幣大社の宮居あり

(三島は最近栄えて来たなあ。修善寺には駿豆線に乗り換えれば行けるらしい。あの三嶋大社もいいところだよなあ。)

17.沼津の海に聞こえたる 里は牛伏我入道 春は花さく桃のころ 夏はすゞしき海のそば

(沼津は海がいいよなあ。沼津まで沼津(飲まず)食わずで行って、沼津駅で駅弁を買うなんてこともあったらしいなあ。それに、沼津は魚がすごく美味しいよなあ。)

18.鳥の羽音におどろきし 平家の話は昔にて 今は汽車ゆく富士川を 下るは身延の歸り舟

(今鉄橋で渡っている富士川は、源氏が勝利を手にした地だったんだなあ。今ちょうど仕事を終えた船たちが帰っていくところだなあ。)

19.世に名も高き興津鯛 鐘の音ひゞく清見寺 清水につゞく江尻より ゆけば程なき久能山

(鯛といえば興津鯛に優るものはないなあ。清水寺[要出典]の鐘の音は、実に心が落ち着く。清水駅で途中下車して、観光でもしてみよう。)

20.三保の松原田子の浦 さかさにうつる富士の嶺を 波にながむる舟人は 夏も冬とや思ふらん

(三保の松原も田子の浦も景色がいいなあ。舟人たちは夏も冬も大変なんだなあ。)

21.駿州一の大都會 静岡いでゝ阿部川を わたればこゝぞ宇津の谷の 山きりぬきし洞の道

(やっと静岡に着いた。正直言って浜松の方が栄えている気がするけど誰も気にしない。)

22.鞘より抜けておのづから 草なぎはらひし御劍の 御威は千代に燃えゆる火の 焼津の原はこゝなれや

(ここは草薙剣で有名な地なんだなあ。そういえば、沿線火災のせいで運転見合わせになってるなあ。)

23.春さく花の藤枝も すぎて島田の大井川 むかしは人を肩にのせ わたりし話も夢のあと

(春に藤が咲くことで有名な藤枝駅に着いた。少し眠ってしまったらしい。夢の中で、人を肩にのせて川を泳いでいた気がする。)

24.いつしか又も暗となる 世界は夜かトン子ルか 小夜の中山夜泣石 問へども知らぬよその空

(気づいたら外は暗くなっていた。今何時ですか?と空に聞いたが、無視されてしまった。)

25.掛川袋井中泉 いつしかあとに早なりて さかまき来る天龍の 川瀬の波に雪ぞちる

(目が覚めたら天竜川のあたりまで来ていた。天の龍のようなうねりを見せてくれる天竜川と、雪が同時に見られるなんて、とてもラッキーだなあ。)

26.この水上にありと聞く 諏訪の湖水の冬げしき 雪と氷の懸橋を わたるは神か里人か

(この川を遡ると、諏訪湖に辿り着くらしい。諏訪湖の御神渡りはとても美しいから、ぜひ一度は見てみたいなあ。)

27.琴ひく風の濱松も 菜種に蝶の舞坂も うしろに走る愉快さを うたふか磯の波のこゑ

(琴を弾くかのように優しい風にゆられる松の木と、風に追いかけられるかのように動く波を見ているのは、実に愉快なことだなあ。)

28.煙を水に横たへて わたる濱名の橋の上 たもと涼しく吹く風に 夏ものこらずなりにけり

(浜名湖の辺りまで来た。季節に関係なく涼しい風が吹くここは、とても過ごしやすいなあ。)

29.右は入海しづかにて 空には富士の雪しろし 左は遠州洋ちかく 山なす波ぞ碎けちる

(右手には静かな入海。左手には遠州灘。見上げれば雪を抱く富士山。静岡県のいいところを一目で見ることが出来るなんて、とても素敵だなあ。)

30.豐橋おりて乗る汽車は これぞ豐川稲荷道 東海道にてすぐれたる 海のながめは蒲郡

(豊橋駅に着いた。名鉄に乗り換えて東海道随一の素晴らしさを誇る蒲郡にでも行ってみようかなあ。)

31.見よや徳川家康の おこりし土地の岡崎を 矢矧橋に殘れるは 藤吉郎のものがたり

(家康が怒ったとされる岡崎が見えてきたなあ。矢引橋は秀吉が工事業者をだまして建てたものらしい。)

32.鳴海しぼりの産地なる 鳴海に近き大高を 下りておよそ一里半 ゆけば昔の桶狹間

(織物の一種の鳴海しぼり。その産地の鳴海から6キロぐらいで、文明開化がなされていない田舎が見えるなあ。)

33.めぐみ熱田の御やしろは 三種の神器の一つなる その草薙の神つるぎ あふげや同胞四千萬

(熱田神宮に着いた。草薙剣は4千万円(現在の4000億)するんだなあ。)

34.名たかき金の鯱は 名古屋の城の光なり 地震のはなしまだ消えぬ 岐阜の鵜飼も見てゆかん

(名古屋城のしゃちほこをみた。人々はいまだに地震の話をしているので、気分が暗くなった。鵜飼いでも見て気分を晴らそうかなあ。)

35.父やしなひし養老の 瀧は今なほ大垣を 三里へだてゝ流れたり 孝子の名譽ともろともに

(滝さんが、大垣の近くの川でおぼれていた。孝子は無視していたので、新聞の記事にして名誉ともども川に流そうかなあ。)

36.天下の旗は徳川に 歸せしいくさの關が原 草むす屍いまもなほ 吹くか膽吹の山おろし

(老人ホーム関ヶ原では、徳川家の旗を作ろうという取り組みが行われているらしい。しかしまあ、死にかけの老人たちにそのような事をさせるのは、酷だよなあ。)

37.山はうしろに立ち去りて 前に来るは琵琶の海 ほとりに沿ひし米原は 北陸道の分岐線

(山を越えてやってきたここは米原駅。駅前では、琵琶湖は海であると主張する団体が何かをしているようだなあ。北陸に向かうなら、ここから乗り換えるんだなあ。)

JR西日本区間[編集]

38.彦根に立てる井伊の城 草津にひさぐ姥が餅 かはる名所も名物も 旅の徒然のうさはらし

(彦根と言えば彦根城だよなあ。そういえば、草津にも温泉があったんだよなあ。スーパー銭湯にでも行ってみようかなあ。)

39.いよいよ近く馴れくるは 近江の海の波のいろ その八景も居ながらに 見てゆく旅の樂しさよ

(やっと近江あたりまで来ることができた。今までの景色もそうだが、眺望を楽しむのが、旅の醍醐味だよなあ。)

40.瀬田の長橋横に見て ゆけば石山観世音 紫式部が筆のあと のこすはこゝよ月の夜に

(瀬田のこの長い橋もすごいよなあ。いったいどうやって橋をかけたのだろうか。紫式部も、この景色を見ていたのかなあ。)

41.粟津の松にことゝへば 答へがほなる風の聲 朝日将軍義仲の ほろびし深田は何かたぞ

(こんにちは〜と松に挨拶したが、返事をしてくれたのは風だった。義仲ゆかりの地はここからギリギリ見えるかなあ。)

42.比良の高嶺は雪ならで 花なす雲にかくれたり 矢走にいそぐ舟の帆も みえてにぎはふ波の上

(あの山の山頂は、雪が積もっているみたいだなあ。先を急ぐ舟たちも、波と競走しているようだなあ。)

43.堅田におつる雁がねの たえまに響く三井の鐘 夕ぐれさむき唐崎の 松には雨のかゝるらん

(夜、宿で寝ようとしている時に鐘を絶え間なく鳴らすのはやめて欲しいものだなあ。しかも、外は土砂降りみたいだしなあ。)

44.むかしながらの山ざくら にほふところや志賀の里 都のあとは知らねども 逢坂山はそのまゝに

(都会のことは知らないけれど、昔から変わらない逢坂山と山桜はきれいだなあ。)

45.大石良雄が山科の その隱家はあともなし 赤き鳥居の神さびて 立つは伏見の稻荷山

(ここには、傷害事件を起こしたニート軍団の頭の隠れ家があるんだなあ。そんなことより伏見稲荷大社の鳥居がさびている。)

46.東寺の塔を左にて とまれば七條ステーシヨン 京都々々と呼びたつる 驛夫のこゑも勇ましや

(五重塔が見えてきて、七条駅に着いた。修学旅行生が多すぎて、駅員が「京都、京都」と声を張り上げている。)

47.こゝは桓武のみかどより 千有餘年の都の地 今も雲井の空たかく あふぐ清凉紫宸殿

(千年以上前から都だった京都。建築制限で空が広く見えるなあ。)

48.東に立てる東山 西に聳ゆる嵐山 かれとこれとの麓ゆく 水は加茂川桂川

(嵐山、東山と、修学旅行のスポットの近くには、川が流れているなあ。それにしても行列の流れは詰まっているなあ。)

49.祗園清水智恩院 吉田黒谷眞如堂 ながれも清き水上に 君がよまもる加茂の宮

(たくさん古い建物が建っているなあ。川をたどれば神社があるらしい。)

50.夏は納凉の四條橋 冬は雪見の銀閣寺 櫻は春の嵯峨御室 紅葉は秋の高雄山

(春夏秋冬の名物がある京都。いつ来てもきれいだなあ。)

51.琵琶湖を引きて通したる 疏水の工事は南禪寺 岩切拔きて舟をやる 智識の進歩も見みられたり

(南禅寺では、水路の工事をしていた。古きにとらわれている人とは大違いで、新たな知識を取り入れているなあ。)

52.神社佛閣山水の 外に京都の物産は 西陣織の綾錦 友禪染の花もみぢ

(京都の市場には、西陣織や、友禅染、綾錦があった。それで京都の着倒れと言うんだなあ。)

53.扇おしろい京都紅 また加茂川の鷺しらず みやげを提げていざ立たん あとに名殘は殘れども

(たくさん土産物をアンテナショップで買えそうだが、買った。さあ、大阪へ向かおう。)

54.山崎おりて淀川を わたる向ふは男山 行幸ありし先帝の かしこきあとぞ忍ばるゝ

(淀川を渡って男山に着いた。このような地味なところに出かける人は、賢いんだろうなあ。)

55.淀の川舟さをさして くだりし旅はむかしにて またゝくひまに今はゆく 煙たえせぬ陸の道

(川船で旅をしていたことは、もう今も昔。今は、自動車の排気ガスに包まれながら旅をしている。)

56.おくり迎ふる程もなく 茨木吹田うちすぎて はや大阪につきにけり 梅田は我をむかへたり

(茨城からはるばる大阪まで着いた。昔の友人の梅田も、私のことを温かく迎えてくれた。)

57.三府の一に位して 商業繁華の大阪市 豐太閤のきづきたる 城に師團はおかれたり

(大阪にはたくさんお店があるなあ。今では大阪城にも土産物屋がびっしりおかれている。)

58.こゝぞ昔の難波の津 こゝぞ高津の宮のあと 安治川口に入る舟の 煙は日夜たえまなし

(難波の港に着いた。日夜たばこの煙が絶えないので、禁煙家の私には辛かったなあ。)

59.鳥も翔らぬ大空に かすむ五重塔の影 佛法最初の寺と聞く 四天王寺はあれかとよ

(飛行禁止空域で、鳥一つ飛ばない五重塔付近。四天王寺と東寺を間違える観光客がいた。)

60.大阪いでゝ右左 菜種ならざる畑もなし 神崎川のながれのみ 淺黃にゆくぞ美くしき

(神崎川の近くでは、菜種の畑がいっぱいあった。虎党もたくさんいて、黄色がまぶしかった。)

61.神崎よりはのりかへて ゆあみにのぼる有馬山 池田伊丹と名にきゝし 酒の産地もとほるなり

(尼崎、三宮と乗り換えて、有馬山に着いた。温泉に入った後に、酒でも一杯やろうかなあ。)

62.神戸は五港の一つにて あつまる汽船のかず/\は 海の西より東より 瀬戸内がよひも交じりたり

(神戸港は、日本有数の港。たくさんの船があったなあ。瀬戸内海のフェリーもあった。)

63.磯にはながめ晴れわたる 和田のみさきを控へつゝ 山には絶えず布引の 瀧見に人ものぼりゆく

(海にいったら、和田さんの岬が見えた。山には布引の滝を見に行く人もいたが、転落して昇天した人がいたなあ。)

64.七度うまれて君が代を まもるといひし楠公の いしぶみ高き湊川 ながれて世々の人ぞ知る

(君が代を守ると言って街宣車に乗っている人を見かけた。人は気にせず歩いて行っていたのに、いつになれば世の中を知るのだろう。)

65.おもへば夢か時のまに 五十三次はしりきて 神戸のやどに身をおくも 人に翼の汽車の恩

(思えば東京から兵庫まで長い旅だった。鉄道旅じゃなかったら、渋滞に巻き込まれてここまでスムーズに旅ができなかったろうなあ。)

66.明なば更に乘りかへて 山陽道を進まゝし 天氣は明日も望みあり 柳にかすむ月の影

(始発が出るくらいになったら、山陽本線に乗ってもっと西へ行こう。友達の月の影も見えるなあ。)

山陽・九州[編集]

1.夏なほ寒き布引の 瀧のひゞきをあとにして 神戸の里を立ちいづる 山陽線路の汽車の道

(夏は神戸名物の冷やしタオルしか勝たんなあ。山口あたりまで持っていこうかなあ。)

2.兵庫鷹取須磨の浦 名所舊蹟かずおほし 平家の若武者敦盛が 討たれし跡もこゝと聞く

(この辺で平家の誰かが討たれたらしいなあ。しかしまあ、誰も気にしないのは当然だよなあ。)

3.その最期まで携へて 青葉の笛は須磨寺に 今ものこりて寶物の 中にあるこそあはれなれ

(ここの寺にお供えする物を忘れて来てしまったなあ。仕方ないから、雑草で作った草笛でもお供えしようかなあ。)

4.九郎判官義経が 敵陣めがけておとしたる 鵯越やいちのたに 皆この名所の内ぞかし

(源義経が何の罪もないヒヨドリを突き落としたのはここだったよなあ。かわいそうになあ。)

5.舞子の松の木の間より まぢかく見ゆる淡路島 夜は岩屋の燈臺も 手に取る如く影あかし

(舞子の林の間から、淡路島が見えた。意外と距離が近く、灯台がまぶしいなあ。)

6.明石の浦の風景を 歌によみたる人麿の 社はこれか島がくれ こぎゆく舟もおもしろや

(島がすっぽり海に隠れてしまった。島を探してひたすら漕いでいる船は愉快だなあ。)

7.加古川おりて旅人の 立ちよる陰は高砂の 松のあらしに傳へくる 鐘も名だかき尾上寺

(はるばる遠くまで来て阪神戦を観戦していたが、延長戦。加古川で足止めをくらったので、気晴らしに松の記事を荒らした。)

8.阿彌陀は寺の音に聞き 姫路は城の名にひゞく こゝより支線に乘りかへて ゆけば生野のは二時間餘

(ここから乗り換えれば、北海道の生野まで二時間ちょっと。あみだくじでもして時間をつぶそう。)

9.那波の驛から西南 一里はなれて赤穗あり 四十七士が仕へたる 淺野内匠の城のあと

(城が放置されていた。それにしても47人しか武士がいないとは、小さい藩なあ。)

10.播磨すぐれば燒物の 名に聞く備前の岡山に これも名物吉備團子 津山へ行くは乘りかへよ

(備前の皿の名前は何なのだろうか。そんなことはさておき、焼き黍団子はおいしいなあ。津山はここで乗り換えらしい。)

この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
後は適当に頑張って適当に頑張って下さい。 (Portal:スタブ)

奥州・磐城[編集]

1.汽車は烟を噴き立てゝ 今ぞ上野を出でゝゆく ゆくへは何く陸奧の 青森までも一飛に

(上野駅から、青森まで旅に出る。おい、そこの君、飛行機の方が速いとか言わない。)

2.見あぐる岸は諏訪の臺 それにつゞきて秋の夜は 道灌山の虫のねを こゝまで風や送るらん

(さっきから首が痛くて見上げることができないんだよなあ。誰だ、窓を全開にしたのは。)

北陸[編集]

1.車輪のひびき笛の聲 みかへる跡に消えて行く 上野の森の朝月夜 田端は露もまださむし

(ヒュー、ヒュー、と音がしたが、気のせいだと思う。タバタトレーニングで汗をかいて、体が冷えてしまった。)

'2,造幣局の朝ざくら 櫻の宮の夕すゞみ なごりを跡に見かへれば 城の天守も霞ゆく

(造幣局の近くを通った。しかし、一日かけて霞が関から千代田までしか進まないとは遅いなあ。)

関西・参宮・南海[編集]

1.汽車をたよりに思ひ立つ 伊勢や大和の國めぐり 網島いでゝ關西の 線路を旅の始にて

(伊勢のエビや戦艦大和のレプリカに思いを巡らしながら、関西からいま旅立つ。)


関連項目[編集]