禅譲

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禅譲(ぜんじょう)とは、中国の大昔の聖人が行っていたという儀式。

概要[編集]

禅譲とは、国家の大権を臣下に譲り渡す儀式である。つまり、世の中のために、自分の子供ではなく赤の他人に権力を継がせるということである。中国では古くから理想的な政権交代として賞賛されており、古代の聖王であるに、舜はに禅譲したと伝えられる。そうはいっても、自分の子供に王位を継がせたいと思うのが人の心であり、禹王の後長きにわたって禅譲の例はなく、世襲と放伐によって王権が継がれることとなった。同じ「禅」でも天を祀る「封禅」は歴代皇帝が好んでやりたがったのとは対象的である。

しかし、後に儒教が広まると、こういった古代の聖人の行いも再評価されるようになり、漢代に孺子嬰王莽に禅譲して以降、再び禅譲の例が見られるようになった。その後三国時代までは、禅譲した皇帝も新皇帝から適当な位を与えられて、余生を全うしていたが南北朝時代になると様相が変わってきた。

420年、東晋恭帝から禅譲を受けた劉裕の武帝)は、こう考えた。

「禅譲は聖人のなす行為であり、尭や舜の列に加わる尊いお方を他の臣下と同じに扱うのは恐れ多い。王や公の位などではとても足りるものではない。願わくば、前皇帝を聖人として高く高く祭り上げ、そのまま雲を突き抜けて天の上まで昇っていただきたい。」

そして武帝はご丁寧にも自分の手で恭帝をぴーし、恭帝は無事天に昇ることができたのである。この故事は美談として後世の模範となり、どういうわけか禅譲する皇帝というのは幼帝が多かったので、新皇帝のご厚意で密かに皇帝をぴーし、ついでに一人だけでは寂しかろうというので、家族親類も一緒にぴーされることが慣例となった。その場合、多くは、儀式のための特別な料理が供されて、天に昇る皇帝を見送ったという。こうして、以降は禅譲した皇帝はとなり、新王朝の行く末を(雲の上から)暖かく見守ってくれるようになったので、新皇帝も余計な心配事が減って、さぞ心強かったものと思われる。

…というのは建前であり、実態は劉禅のように元皇帝が世の中に恥を晒し続けると、古代の聖人に傷がついて教育上よろしくない、というのが本音だと言われている[1]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ただし劉禅は皇帝の位を失ったが禅譲したわけではない。