改易クラブ→新党改(通称・舛添サン党)

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改革クラブから転送)
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結党の経緯トソノ後ガ複雑怪奇。
新党改革 について、平沼騏一郎
私はいつまで一人きり?
2016年参院選直前の新党改革の現状 について、荒井広幸
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新党改(しんとうかいかく)は自由民主党の外部応援団にして民主党の別働隊である。自分たちのお小遣いが欲しい民主党の旧自由党反小沢一郎グループが中心となって結成。後にテロリスト舛添が党をハイジャックするものの、僅か3年で逃亡してたった一人になったところへ表現の自由を守る会会長が転がり込み、参院選に臨むものの一敗地に塗れた。

概要[編集]

お小遣いをもらいたい、ただそれだけのために会員5人という人数で活動している婦人会である。人民の金はアタイ達の物!目的はただお小遣いだけであるため、自販機のつり銭口を漁るだけでは間に合わなくなる。まぁ、婦人会としては人民の税金のやりくりを見て何をやってるんだかわからない。アタイ達に寄進しなさい!サリン製造のためにオウム真理教とタッグを組んで世界征服するのよぉー!国会議員の袖の下空気からのオコボレをイカにアタイ達の風俗のために使わせるかが課題なんだから、舛添節で吹けば国会議事堂も飛ばす程のオナラを持つ婦人会であることには依然として変わりない。吹かれて飛んだら人民の給料を食いつぶして奴隷にするだけでアタイたちは気にしない。まぁ、お小遣いと酒と風俗が目当てなんだから仕方がない。しかし、この婦人会。いつ国会議事堂に住み着くカルト教団になったのだろう?

婦人会の軍事思想は抽象的に言えばバイキンマンの動きみたいにコミカルだが、テロリストが婦人会の傘下である秘密結社問題やら外国人婦人会加入権(1人250万円)とやらでアルカイダイスラム国と同じ意見になることもあるようで、行動指針や寄進方法は同じのようである。まぁ、お小遣いが欲しいという思想だけは会員全員が一致している。

公明党はオウム真理教と協業する婦人会を目の敵にしているようだが、新党改悪と改名しようとする婦人会は自民党の親衛隊のフリをしつつ、自民党に不満を持つ炊き出しを待つ浮浪者の味方になっているので、一緒に大きな口をあけて拝めばチョコレートという名のお小遣い(通称ワイロ)が婦人会には入ってくるしくみとなる。結果、自民党のケツ(お尻)が割れることによってマジレンジャーとの銃撃戦が戦いやすくなるため、勝てば国会議事堂の爆破はしない保証金として婦人会はトイレットペーパー1年分相当のお小遣いを議員年金にプールされ、死ぬまでお小遣い保障がついてくるのである。まぁ、売れない体を売春しなくて済むわぁーの図である。

なお、過去に「甘党」「辛党」「両刀」と名のついた不思議な性癖党が長続きした例は検閲により削除、「改革婦人会」と名のついたカルト教団が改悪を行った例も検閲により削除が、舛添があえてこの名を選んだ理由は検閲により削除

歴史[編集]

結成当初[編集]

お笑いカルテット結成

2008年8月29日、民主党に所属しながらも自分たちのお小遣いを出し渋る金庫番の小沢を嫌っていた元側近のの呼び掛けにより、ヤッシーに疎んじられた政界の一寸法師野党推薦で出たけど、自民党に未練たらたらな方の4人が集まった。当初はとある姫も入れて5人であったが、謀反を起こしたため、結果として4人は結党会見においてお茶の間に笑いを届けることに成功した。後に、レイプ「元」弁護士の入党によりお友達が5人となり、一応、結党の目的は果たすこととなる。

この頃から自称自民党の応援団として活躍していたが、自民党が存在を応援とのどちらに捉えていたかは定かではない。一応、「政党」としては憲法9条第2項の改正など様々な要望書を提出した。言うまでもないが、少人数「政党」の要望書であったため結果はお察し下さい

2009年衆議院選挙後[編集]

改易クラブ結成後初めての選挙となる2009年衆議院選挙では、参議院で自民党と統一会派を組み、建前上与党としてに選挙に臨んだ。この際、自公候補の推薦を行ったが、何の役に立ったかはお察し下さい。唯一の衆議院議員だった「元」弁護士が大阪17区と比例近畿ブロックに重複立候補したものの、結果はチョンマスゴミの陰謀であるとネトウヨが主張していますにより、降伏実現党にまで降伏するという清々しい戦果を残した。

結局のところ自民党共々野党に転落。元ワイロ回収業者とお友達になってお小遣い支給の条件を何とか満たし、衆議院でも自民党と野党仲間と言うことで統一会派を結成した。

2010年乗っ取り騒動[編集]

2010年1月、党の活性化を図るため将来の政党は人事交流が大切だというモデルケースを示さんとばかりに、自民党と所属議員の交換トレードを実施。更に政権交代以降の新党ブームに乗って、4月には最後の大臣病患者元の徳島市長が党に合流。

しかし、この場に乗じて自民党のお陰で比例当選しておきながら裏切ったテロリスト舛添が、合流と称して党をハイジャックした。人質であった代表は記者に対し「舛添君はハイジャックじゃない。党に合流したんだ」と発言。これはテロリスト舛添が「君の党の某が離党しようとしている。もし離党されたら君たちはカネをもらえなくなる。どうだ。これはハイジャックじゃぁない。合流してやってんだよ。」と言ったからである。実際、この騒ぎによって元ワイロ回収業者ら2人が離党してしまった訳で[1]、まぁそう言う事情はあるものの・・・・・どう見てもハイジャックです本当に(以下略)

党員の大半が引退間際でヨボヨボなのに党名を「新党改革」にした。しかもただ党名を変えたのではなく、「改易クラブ」を一度解散させて改めて「新党改革」を結成するという七面倒臭いやり方をした。何故そんなややこしいことをしたのかというと、それはお小遣いが関係している。詳しく説明すると・・・ん、宅配便かなぁ?

兎にも角にもこの年の参院選ではアルカイダの友達の友達の長男を参院選比例代表に擁立することを発表している[2]ものの、結局当選したのは政界の一寸法師だけにとどまり、終に一寸法師とテロリスト舛添だけしかいない党にまで落ちぶれた。でも得票は稼げたので、引き続きお小遣いを貰えることになる。

テロリスト舛添の逃亡と消滅[編集]

流石に議員2人だけではスルーされる可能性が大なので、相前後して結成された勃起党と統一会派を組んで存在感を示そうとしたが、2011年に野田内閣が発足すると与謝野が誘われるなら俺もとばかりに舛添がアプローチをかけるが失敗。翌年新春の日曜討論「2012年政治はどう動く 各党代表に問う」には元受刑囚小沢別働隊さえ呼ばれた中、完全に存在感を失った。

この年の総選挙で自民党は日本を取り戻すことに成功したが、かつてその自民党に後ろ足で砂をかけて出て行った舛添が今更平身低頭したところでポストが貰える訳でも無し、終に2013年の参院選を前に舛添は逃亡、一寸法師に全てを押し付けておいて1年後にはまんまと都知事になっていた。一応お小遣いは2016年の参院選まで貰える予定で、震災復興後の政界のゴタゴタで愛想尽かしをして無所属になった元・担当大臣と統一会派は組んでいるものの、その方からも見向きもされず誰も気にしない・・・かと思いきやみんなの党で繰り上げ当選した表現の自由を守る会会長が参院選直前になって転がり込んで、更に医療大麻の合法化を訴えた女優まで馳せ参じて参院選への陣容が整った。だが、その表現の自由を守る会会長は29万票もの得票を得たものの落選・そればかりか一寸法師の得票が6万票少ししかなく、党もろとも自らの政治生命まで終わらせてしまう散々な結末だった。

執行部[編集]

代表 荒井広幸 
自民党福島県選出の衆議院議員であったが、ライオンに逆らって自民党を追い出された。新党日本や改悪クラブ、新党改悪の創立者である。2010年の参院選では比例代表に出馬して65,250票で当選したが、アルカイダの友達の友達の倅[2]を繰り上げるために、いつまで議員でいられるかはわからないというカワイソスな人だ。かつて、小物界の超大物として山本一太らと並び称されたが、財務大臣安住の台頭により、すっかり存在感が薄くなった。
その他、多数。


脚注[編集]

  1. ^ そのうちの1人はリアル友達民主党M&Aされてしまったが誰も気にしない。
  2. ^ a b 父親は無所属のはずだが、入党しない理由については誰も気にしない。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

新党改革は腹を切って死ぬべきである。また新党改革はただ死んで終わるものではない。
唯一ネ申又吉イヱスが地獄の火の中で加筆・編集させる者である。
新党改革を笑って見ているだけの者も同様である。理由は未完成であるなら自ら完成させるべきだからである。
詳しい理由は選挙公報等で熟知すべし。 (Portal:スタブ)