列車砲
列車砲(れっしゃほう)とは、列車に巨大な砲台をつけ、鉄道を荒らすものを駆逐する鉄道会社所属の萌え兵器である。
概要[編集]
列車砲の成り立ち[編集]
戦争と技術の発展によって、火砲はより大きな威力と射程を手に入れるために大口径化が進んでいた。しかし、自動車による陸上輸送(戦車、自走砲など)には限界があり、船舶に乗せないかぎり、持ち運べる砲の口径の大きさは一定以下に限られた。
列車砲はその中で鉄道会社の提案により開発された。戦時中、軍が使用してくれるのはいいがサラリーマンが兵役にとられ、通勤の運賃が取れなくて困った鉄道会社の苦肉の策である。ある意味では無理矢理な兵器であったが、鉄道マニアであった軍首脳部が激しく萌えてしまったため、そのまま済し崩しに実用化された。
通常の大砲と異なり、列車砲はより大口径の砲を運べるのが売りで、最大で戦艦大和の2倍の大きさの砲を運用することができ、巨大萌えの人々を喜ばせた。さらに列車なので、人や牛馬による牽引、自動車や自走砲に比べ、大幅な速度アップが可能であった(日本の工業地帯を守るべく造られた東海道で使用されている500系砲は最高速度300km/hの高速で運用が可能である)。その上、保守や点検などの管理、そして所属は鉄道会社が行うため、車内販売などのサービスが行き届いており、佐官以上の高級将校にはゆったりとした特等席(この特等席は大日本帝国陸軍の軍服の色から、グリーン席と呼ばれる)が用意され、兵士達から歓迎された。
このように大砲と鉄道のいいとこどりの兵器が列車砲である。
航空機時代の対策[編集]
しかし第二次大戦以降になり、航空攻撃が重要視されるようになると、決まったレールの上しか走れない列車砲はレールを破壊されるなどの攻撃に対し大変無力であることが暴露されてしまった。
軍と鉄道会社はこれを解決するに当たり二つの案を出した。一つは装軌車両、すなわちレールの上も走れる自動車に砲をつけるという案である。これは列車以上の行動範囲とレールの利用によりフレキシブルな作戦を行えるものだが、超大口径を装備できないため萌えないという軍部と装軌車両は萌えないという鉄道オタクたちによって2秒で廃案になった。
もうひとつの案は実際にドイツ軍が行った「トンネルとの出入りによって敵航空機の攻撃を防御する」方法である。実際には鉄道を地下に走らし、砲撃時だけ地上に出て発射し直後に地下にもぐり攻撃を回避するという作戦である。単純なトンネルならば出入り口をふさげばいいが、無数の穴から砲撃のたびに出入りされては爆撃機も攻撃のしようがない。軍と鉄道会社達は日本の首都防衛に際し、この方法を選択した。
この提案に基づき、日本の東京には地下に列車砲を縦横無尽に列車砲の路線が施設されている。この列車砲の目的は皇居を狙う爆撃機やミサイルまでをも打ち落とすことであり、通常の線路とは違い皇居を守ることをメインに考えられているため、諸外国では理解のできない複雑なつくりの路線となっている。またこれは制圧しようとした敵陸上部隊に容易に占領されないという副次的な効果も持つ。
現在の列車砲[編集]
太平洋戦争の終結と共に本来の目的を失った列車砲であるが、現在でも鉄道路線防衛を過激派と一部悪質鉄ヲタの襲来に対処するために、各鉄道会社が保有する鉄道自衛隊(警備隊、保安隊、防衛隊といった名称を採用している会社もあるが、役割は同じである)によって活用されている。なお、鉄道自衛隊の保有は鉄道営業法によって認められた自衛の為の手段であり、違憲ではない。
この路線は民間用の旅客車も使用しているが、軍事利用優先であるため、ダイヤが東京の人口に比して極端に少なく、慢性的なラッシュを引き起こしている。大阪や海外、たとえばニューヨークやロンドンなどの地下列車砲線路はこの東京の列車砲線路の失敗を反省し、より単純で効率的な路線となっている。
しかし、1997年に起きた地下鉄サリン事件によって、外部から襲来する敵に対しては有効であるものの、一般利用客を装って潜り込むゲリラ戦には対処できないことが判明し、現在、その対策が検討されているところである。