高 (姓)
漢姓 (こう)
高(こう)は、漢姓の一つ。
高 | |||||||||||||||||||||||
中国語 | |||||||||||||||||||||||
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中国語 | ガオ | ||||||||||||||||||||||
繁体字 | 高 | ||||||||||||||||||||||
簡体字 | 高 | ||||||||||||||||||||||
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ベトナム語 | |||||||||||||||||||||||
ベトナム語 | カオ | ||||||||||||||||||||||
クオック・グー | Cao | ||||||||||||||||||||||
チュノム | 高 |
中国
編集高(カオ)は、中国の姓の一つ。『百家姓』では153番目に記載されている。
2020年の中華人民共和国の第7回全国人口調査(国勢調査)に基づく姓氏統計によると中国で20番目に多い姓であり、1412.64万人がいる[1][2]。台湾の2018年の統計では第30位で181,471人がおり、他に「髙」(はしご高)は1,050人がいる[3]。
起源
編集- 高夷族
- 姜姓高氏
- 改姓によるもの
- 『北斉書』に「北斉文宣帝姓高名洋。当時有元景安、元文遥本鮮卑族人,改漢姓元,因有功于北斉,高洋賜姓高,其後遂為高姓」とある。
- 『魏書』に「後燕皇帝慕容雲,本鮮卑族,自称高陽氏後裔,遂改姓高,名高雲」とある。
- 北魏の孝文帝が洛陽に遷都した後、鮮卑の二字姓である是楼氏を高氏に改めている[5]。
- 北斉の重臣高隆之は元の姓を徐氏といったが、高氏に育てられ、高氏との交歓が厚かったので高姓へ改称し、後に望姓に改姓した[5]。
少数民族
編集中華人民共和国の少数民族中十数民族で高姓が見られ、白族と土家族では最大となっている。
著名な人物
編集- 高峻 - 新代の武将。
- 高順 - 後漢末期の武将。
- 高覧 - 後漢末期の武将。
- 高幹 - 後漢末期の武将。
- 高沛 - 後漢末期の武将。
- 高柔 - 三国時代魏の武将。
- 高翔 - 三国時代蜀の武将。
- 高定 - 三国時代異民族の王。
- 高宝 - 東晋の武将。
- 高瞻 - 五胡十六国時代の政治家。
- 高崇 - 北魏の官僚。
- 高乾 - 北魏の軍人。
- 高謐 - 北魏の学者。高歓の父。
- 高歓 - 東魏の政治家。高洋らの父。
- 高洋 - 北斉の初代皇帝。
- 高保寧 - 北斉の軍人。
- 高士達 - 隋末期の民衆叛乱の指導者。
- 高士廉 - 唐代の武将。
- 高季興 - 十国荊南の初代王。
- 高勲 - 遼の軍人。
- 高俅 - 北宋の政治家。
- 高似孫 - 南宋の文人。
- 高寀 - 明代の宦官。
- 高啓 - 明代の詩人。
- 高凌霨 - 中華民国の政治家。
- 高一涵 - 中華民国の政治家。
- 高冠吾 - 中華民国の軍人。
- 高宗武 - 中華民国の外交官。
- 高崗 - 中華人民共和国の政治家。
- 高名凱 - 中華人民共和国の言語学者。
- 高升 - 中華人民共和国の元サッカー選手。
- 高准翼 - 中華人民共和国のサッカー選手。
- 高亭宇 - 中華人民共和国のスピードスケート選手。
- 高圓圓 - 中華人民共和国の女優。
- 高偉俊 - 中華人民共和国出身の教授。
朝鮮
編集→詳細は「高 (朝鮮人の姓)」を参照
ベトナム
編集高(カオ)は、ベトナムの姓の一つ。
著名な人物
編集日本
編集天武天皇の子孫である高階氏(高階真人、高階朝臣など)や高国造に関連する氏族、又は帰化人を起源として存在している。
- 皇別・神別によるもの
→「高氏」を参照
- 高国造の子孫
- 帰化人によるもの
- 倭漢氏族の高氏 - 『坂上系図』には「阿智使主に從ひ、歸化せし七姓漢人の一にして檜村主祖也」とある。
- 高麗帰化族の高氏
- 高連(こうのむらじ) - 宝亀七年正月紀「高連鷹主」という人が見える。
- 高史(こうのふひと) - 天平14年の古市郷計帳に「高史加太賣」という人が見える。また、『新撰姓氏録』の左京諸蕃に「高史、出自高麗國元羅那杵王九世孫延拏之後也」とある。
- 大宝元年八月紀に「勅僧惠耀、信成、東樓、並令還俗復本姓、代度各一人、惠耀姓解、名兄麻呂、信成姓高、名金蔵」と見え、『新撰姓氏録』左右諸蕃には「高、高麗国從五位下高全藏(法名信成)之後也」とみえる。
- 神亀元年五月紀に「正八位上高正勝(賜姓)三笠連、從八位上高益信、男球連、正七位下高昌武、殖槻連、勲十二等高祿德、清原連」とあり、また、『新撰姓氏録』左京諸蕃に「高、高麗國人高助斤後也」とある。
- 日本へ帰化した前・後部高氏
- 百済帰化族の高氏 - 天平宝字五年三月紀に「百濟人高牛養等八人(賜姓)淨野造」とある。
- その他、日本以外の高姓の者が日本に帰化した際にそのまま名乗った。
- 『新撰姓氏録』に載る無姓の高氏は高助斤を祖とするものと高金蔵を祖とするものの2つがあるが、前者は祖の高助斤自体が不詳の人物。後者の高金蔵は新来[6]。
脚注
編集- ^ “中国信息报 2022年11月11日 2版 - “百家姓”规模及其占全国总人数比重” (中国語). 中国信息报 (2022年11月11日). 2023年2月11日閲覧。
- ^ ““百家姓”人口占全国人口比重达84.55%” (中国語). 中国信息报 (2022年11月11日). 2023年2月11日閲覧。
- ^ “全國姓名統計分析”. 中華民国内政部. pp. 280, 283 (2018年10月). 2023年1月18日閲覧。
- ^ 何光岳『炎黄源流史』江西教育
- ^ a b 史国強『中国姓氏起源』山東大学出版社、1990年
- ^ 菅澤庸子『国司任用からみた新来渡来人と古代の日本』世界人権問題研究センター〈研究紀要 (1)〉、1996年3月、126頁。
参考文献
編集- 太田亮 著、丹羽基二 編『新編姓氏家系辞書』秋田書店、1991年。ISBN 978-4253002639。