高野瀬宗則
日本の教育者
高野瀬 宗則(たかのせ むねのり、1852年11月3日(嘉永5年9月22日) - 1915年(大正4年)4月3日[1])は、理学士。東京物理学講習所(後の東京物理学校、現在の東京理科大学)の創立者の一人である。
経歴
編集- 1852年(嘉永5年) - 近江国彦根に生まれる。
- 1871年(明治4年) - 貢進生となり、大阪南校(後の開成学校、東京大学)に入学する。
- 貢進生制度廃止後、私費で開成学校に入学。
- 1879年(明治12年)7月 - 東京大学仏語物理学科第2期卒業。
- 卒業後は、駒場農学校で教鞭をとる。
- 1881年(明治14年) - 東京物理学講習所の創立者の一人となる。
- 1883年(明治16年) - 東京物理学講習所所長を辞する。
- 1885年(明治18年) - 東京物理学校維持同盟員となる。
- 1886年(明治19年) - 農商務省工務局権度課長となる。
- 1891年(明治24年) - 度量衡法を制定する。
- 1894年(明治27年)3月 - 大日本度量衡協会(後に、日本度量衡協会、日本計量協会、現在の日本計量振興協会)設立に伴い、副会長となる。
- 1907年(明治40年) - 退官し、大日本度量衡株式会社を設立。
栄典
編集閲書
編集- 鈴木栄蔵編、高野瀬宗則閲『物理試験問題答案』上原書店、1891年(明治24年)5月
- 竹林佐介著、高野瀬宗則閲『度量衡制度詳解』自治館、1899年(明治32年)2月