高原直泰

日本のサッカー選手

高原 直泰(たかはら なおひろ、1979年6月4日 - )は、静岡県三島市出身の元サッカー選手、サッカー指導者、サッカークラブ代表者。ポジションはフォワード沖縄SV株式会社CEO。元日本代表

高原 直泰
フランクフルト時代の高原
名前
カタカナ タカハラ ナオヒロ
ラテン文字 TAKAHARA Naohiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1979-06-04) 1979年6月4日(45歳)
出身地 静岡県三島市
身長 181 cm[1]
体重 75 kg[1]
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1995-1997 日本の旗 清水東高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-2002 日本の旗 ジュビロ磐田 105 (58)
2001 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ (loan) 6 (1)
2002-2006 ドイツの旗 ハンブルガーSV 97 (13)
2006-2008 ドイツの旗 フランクフルト 38 (12)
2008-2010 日本の旗 浦和レッズ 63 (10)
2010 大韓民国の旗 水原三星 (loan) 12 (4)
2011-2012 日本の旗 清水エスパルス 46 (9)
2013-2014 日本の旗 東京ヴェルディ 41 (11)
2014 日本の旗 SC相模原 (loan) 21 (5)
2015 日本の旗 SC相模原 33 (6)
2016-2023 日本の旗 沖縄SV 95 (43)
通算 462 (129)
代表歴2
1995  日本 U-17 3 (1)
1998-1999  日本 U-20 16 (16)
1998-2000  日本 U-23 11 (4)
2000-2008 日本の旗 日本 57 (23)
監督歴
2016-2019 日本の旗 沖縄SV (選手兼)
2021-2023 日本の旗 沖縄SV(選手兼)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年12月5日現在。
2. 2008年5月27日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

Kリーグ時代の登録名は高原ハングル: 다카하라)[2]

血液型B型アルゼンチンから日本に復帰した2002年にはJリーグMVPJリーグ得点王を獲得。2006年FIFAワールドカップ出場。

来歴

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ジュビロ磐田/ボカ・ジュニアーズ時代

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静岡県立清水東高等学校を卒業。同校在学中は全国高等学校サッカー選手権大会の出場はならなかった。1998年ジュビロ磐田に加入し、3月21日の開幕戦(京都戦)で途中出場。

2001年、J1リーグ1stステージ第13節横浜F・マリノス戦で優勝を決める延長Vゴールをあげた[3]。同年8月アルゼンチンボカ・ジュニアーズのオファーを受けて移籍し、6試合で1得点を挙げた。12月にトヨタカップでの凱旋帰国が期待されたが、直前でメンバー落ちしてしまい出場が叶わないなど、必ずしもチーム首脳から確固たる信頼を得てはいなかった。しかも、2002年初頭、アルゼンチンの経済情勢が悪化し、通貨価値が1週間で半分以下になるなど情勢が混乱したことを理由にボカから契約解除となった。帰国後、磐田に復帰し2002年のJリーグ開幕を迎えた。

2002年、日韓W杯直前にエコノミークラス症候群を発症。その後復帰を果たすと、中山雅史とのコンビでゴールを量産し、MVP・得点王(26得点、史上最年少)の二冠を獲得。リーグ優勝に貢献した。

ハンブルガーSV時代

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2003年には再び海外での活躍を目指していたこともあり、ドイツ・ブンデスリーガハンブルガーSVのオファーを受けて完全移籍。一年目で連続無失点記録を継続中だったオリバー・カーン擁するバイエルン・ミュンヘン相手に得点を決めるなどし、リーグ戦を16試合(先発は12試合)3得点で終える。翌2003-04シーズンは、リーグ戦29試合(先発22試合)に出場するも2得点という結果に終わる。2004-05シーズン、トーマス・ドルが監督に就任するとシーズン序盤は先発から外れるも、第6節のヘルタ・ベルリン戦で2得点を記録し、レギュラーを獲得。リーグ戦31試合(先発は26試合)に出場し、FW中最多の7得点を挙げた。翌2005-06シーズンはリーグ戦21試合(先発は6試合)出場1得点で終えた。

アイントラハト・フランクフルト時代

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2006年5月、ドイツ・ブンデスリーガのアイントラハト・フランクフルトへ3年契約で移籍。12月3日アレマニア・アーヘン戦で3得点を挙げ、ブンデスリーガにおける日本人初のハットトリックを達成するなど、1ヶ月で6得点を挙げる。

2007年、5月5日のホームのアーヘン戦で得点を決め、自己記録更新中の同リーグシーズン通算得点を11とした。また、欧州主要リーグでの年間二桁得点の達成は、1998-99シーズンに中田英寿ペルージャ)が達成して以来の快挙であった。この活躍もあってフランクフルトは1部に残留を決める。この年のフランクフルトサポーターが選ぶMVPにも選出された。2007-08シーズンはひざのケガでスタートが出遅れ、またフリードヘルム・フンケル監督との起用法における対立もあり、出場機会が激減した。

浦和レッズ時代

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代理人であるトーマス・クロートと話し合いをした上で、浦和レッズとコンタクトがとれるかを確認。浦和側がFWの補強を望んでいたこともあり、移籍金1億8500万円、年俸1億8000万の3年契約[4]2008年1月11日に約6年ぶりのJリーグ復帰となる移籍が決定。しかし、フランクフルトで試合出場機会が減ったことによるコンディション不良、また長谷部誠小野伸二の移籍、ポンテもケガで出遅れるなどのパサー不足という状況もあり、2008年はリーグ6点、ACL、ナビスコ杯各1点と合計8得点に終わり、期待以上の働きをすることはできなかった。

2009年は前シーズン限りで現役を引退した内舘秀樹に志願して、背番号7から馴染み深い背番号19に変更した[注 1]。この年はキャンプ、練習試合で好調を維持し、J1開幕戦の対鹿島アントラーズ戦でスタメン出場を果たしたが、結果を出せず、次戦の対FC東京戦からはエジミウソンにスタメンを譲った。その後しばらくは途中出場が続いたが、ナビスコカップ予選リーグ第5節磐田戦でシーズン公式戦初得点を記録したのを皮切りに好調を維持し、貴重な得点を決めて勝利に貢献する時期もあったが、徐々にチーム状態が悪化し、更に自身も不慣れな左右のMFで起用される中で勢いを失い、スタメンを外れることも多くなっていった。最終的にはリーグ4点、ナビスコ2点と合計6得点という前シーズンを下回る成績でシーズンを終えた。

2010年は開幕前から既に構想外であり海外キャンプにも帯同しなかった。その理由として7月10日の会見で監督のフォルカー・フィンケより「去年の時点で今夏の移籍は決まっており、本来は昨冬に移籍するはずだった」ので「構想内の選手だけで練習するのは当然」とされた[5]。同年7月23日に韓国Kリーグ水原三星ブルーウィングスに完全移籍した[6]。移籍金は約4190万円[7]、年俸は減額となるが差額は浦和が負担している[8]

水原三星ブルーウィングス時代

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水原での期待は大きく、Kリーグ最大の人気カードである対FCソウル戦では2得点を決め「とにかく最高!!」と自身のブログで喜びを爆発させた[9]。シーズン終了後に自身のブログで「俺はこのチームで自分らしさを取り戻す事が出来たと思っています」と語った[10]

清水エスパルス時代

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2011年、フロント主導でチーム改革を進める清水エスパルスから「得点王を狙える大砲」としてオファーを受け、1年契約+1年オプションの年俸2500万(2400万と報じたメディアもある)で完全移籍した[11]。5月22日J1第12節大宮戦で2得点、4ヵ国(日本、ドイツ、韓国、アルゼンチン)リーグ通算100得点を達成[12]。6月18日J1第16節古巣浦和戦では、大前元紀のクロスにダイビングヘッドでゴールを決めた。古巣に対してはゴールを喜ばない選手も多い中、高原は清水サポーターに向かって膝滑りをしながら両手を広げた。試合後の取材では「ブーイングされる覚えはない。俺は(チームから)追い出された側なんで」とコメントした[13]

2012年12月、契約満了のため、清水を退団することが発表された[14]

東京ヴェルディ時代

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東京ヴェルディからJ1昇格請負人としてオファーを受け、2013年1月に完全移籍した[15]。リーグ戦ではチーム最多の11ゴールを記録したが、チームは低迷しJ1昇格を逃した。2014年からはクラブの資金難と急激な若返り策が影響し[16]、開幕から出場機会に恵まれず3試合連続でベンチ外となった。

SC相模原時代

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同年3月21日、「このまま(東京Vに)残っていてもプレーする機会はもらえない」「試合に絡めないと分かっているのにその場にいるのは自分にもチームにも良くない」と[17]J3へ昇格したSC相模原へ期限付き移籍(2015年1月31日まで)[18]。移籍後初先発したブラウブリッツ秋田戦でJ3初得点を記録[18]

2015年1月19日に完全移籍し[19] 、2015年度のキャプテンに就任[20]。同年5月24日に行われたY.S.C.C.横浜戦では、プロ生活初となる無回転FK弾を決めた[21]。11月30日、契約満了による退団が発表された。

沖縄SV時代

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2016年に創設し、自身が代表(出資は、柔道の野村忠宏らとの共同出資)を務める沖縄SVでプレー[22]。代表兼監督兼選手を務める[23]第52回全国社会人サッカー選手権大会に出場したが1回戦で敗れた。2020年からは山本浩正が監督に就任[24] したため、監督業からは退いた。しかし、その後リーグでの成績不振もあり2021年シーズン途中から再び監督を務める事となった。高原が監督に戻りリーグ戦最終節で逆転優勝を果たす。

2023年7月2日、JFLで得点し、国内カテゴリーのJ1、J2、J3、JFL、地域リーグ、都道府県リーグでの得点を記録した[25]

8月31日、このシーズン限りでの引退を表明した[26]。ラストゲームは、VONDS市原とのJFLと地域リーグの入れ替え戦だったが、自身も延長前半10分までプレーし、チームの勝利とJFL残留に貢献した。

引退後

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引退後は、選手と兼任していた監督も辞めて社長業に専念[27]

沖縄SVが取り組んでいる「沖縄コーヒープロジェクト」(詳しくは沖縄SV#サッカー以外の取り組みを参照)の関係から、現役時代に自らも練習の合間を縫ってコーヒー農園での作業に従事しており、現在はコーヒー農家との兼業状態であるという[28]

日本代表

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各年代で日本代表に選出され、1994年にはU-16代表としてアジア選手権に出場。

1999 FIFAワールドユース選手権で3得点を挙げ準優勝、2000年のシドニー五輪では3得点を挙げGL突破、フル代表では2000年アジアカップに出場し優勝。

2002年、日韓W杯直前にエコノミークラス症候群[注 2] を発症し落選。この出来事はワールドカップ入りが確実であっただけに日本のファンが失望したほどの大きいアクシデントとも言えた[29]

2006年ドイツW杯アジア1次予選にFW中最多出場でシンガポール戦で1得点を挙げる。最終予選は第3戦まで連続で出場するが無得点で、その後は負傷を理由に欠場し、FIFAコンフェデレーションズカップ2005にも出場しなかった。ワールドカップ地区予選終了後は欧州リーグ所属のため代表招集の機会は限られる中、テストマッチ出場5試合で3得点を挙げ、6月に2006年ドイツW杯のメンバーに選出される。開幕前に行われた強化試合でも地元ドイツ相手に2得点を挙げる活躍[30] で、エースストライカーとして本大会に臨む形となったが、グループリーグ3試合で無得点に終わった。

2007年3月24日キリンチャレンジカップペルー戦で代表に復帰し、イビチャ・オシム体制での初得点を挙げる(試合は2-0で勝利)。アジアカップでは4得点を挙げ、アジアカップにおいて日本人初の得点王に輝いた。

岡田武史への監督交代後にクラブでも代表でも不調に陥り[31][32]、2008年5月を最後に招集されなかった。

プレイスタイル

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左右両足から放たれるシュート、高さのあるヘディング、相手ディフェンダーをかわしてシュートする突破力など、求められる要素をすべて持つ万能型フォワード[33]

エピソード

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  • 新人時代、ジュビロ磐田で共にプレーしていたドゥンガに言われた「調子に乗るなよ」という言葉を大切にしている。これは決して僻みというつもりは無く、マスコミ・ファンなどは調子が良ければ絶賛し、悪ければ批判するものなので、それに一喜一憂したりして惑わされてはいけない、という意味である。同時期に、試合中に高原のプレーが自己満足じゃないのかと指摘した際には、ドゥンガは「1人でサッカーはするものじゃない。1人でやりたいならコーナーキックも蹴ってくればいい」とコーナーキックを蹴らせたこともある[34]
  • 車好きであり、浦和在籍時にベストカーのインタビューで現在の愛車は三菱・トライトン、ドイツ時代は同じく三菱のランエボに乗っていたと語った。

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1998 磐田 19 J 20 5 6 4 2 0 28 9
1999 J1 21 9 1 0 3 1 25 10
2000 24 10 2 0 0 0 26 10
2001 13 8 2 2 - 15 10
アルゼンチン リーグ戦 リーグ杯アルヘンティーナ杯 期間通算
2001-02 ボカ 30 プリメーラ 6 1 - - 6 1
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2002 磐田 32 J1 27 26 0 0 3 0 30 26
ドイツ リーグ戦 リーグ杯DFBポカール 期間通算
2002-03 ハンブルガー 32 ブンデス1部 16 3 - - 16 3
2003-04 29 2 - 3 1 32 3
2004-05 31 7 - 1 0 32 7
2005-06 21 1 - 2 1 23 2
2006-07 フランクフルト 19 30 11 - 4 4 34 15
2007-08 8 1 - 2 0 10 1
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2008 浦和 7 J1 27 6 3 1 1 0 31 7
2009 19 32 4 8 2 0 0 40 6
2010 4 0 1 1 - 5 1
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2010 水原 22 Kリーグ 12 4 - - 12 4
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2011 清水 19 J1 28 8 4 1 1 0 33 9
2012 18 1 2 0 0 0 20 1
2013 東京V 44 J2 41 11 - 0 0 41 11
2014 0 0 - - 0 0
相模原 31 J3 21 5 - - 21 5
2015 10 33 6 - - 33 6
2016 沖縄SV 沖縄県3部 9 11 - - 9 11
2017 沖縄県1部 - -
2018 九州 17 11 - - 17 11
2019 11 7 - 2 1 13 8
2020 4 5 - 1 0 5 5
2021 15 5 - 1 0 16 5
2022 13 2 - 1 0 14 2
2023 JFL 26 2 - - 26 2
通算 日本 J1 214 78 29 11 10 1 253 89
日本 J2 41 11 - 0 0 41 11
日本 J3 54 11 - - 54 11
日本 JFL 26 2 - - 26 2
日本 九州 60 30 - 5 1 65 31
日本 沖縄県1部 -
日本 沖縄県3部 9 11 - - 9 11
アルゼンチン プリメーラ 6 1 - - 6 1
ドイツ ブンデス1部 135 25 - 12 6 147 31
韓国 Kリーグ 12 4 - - 12 4
総通算 557 173 29 11 27 8 613 191

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
UEFAUEFA EL
2003-04 ハンブルガー 32 2 0
2005-06 7 0
2006-07 フランクフルト 19 5 2
通算 UEFA 14 2
AFCACL
2008 浦和 7 4 1
2010 水原 22 1 0
通算 AFC 5 1

その他の公式戦


代表歴

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出場大会など

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試合数

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日本代表国際Aマッチ
出場得点
2000 11 8
2001 4 0
2002 4 1
2003 8 2
2004 5 1
2005 7 2
2006 5 3
2007 9 6
2008 4 0
通算 57 23

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 2000年02月13日  マカオ   シンガポール ○3-0 フィリップ・トルシエ アジアカップ予選
2. 2000年02月16日  マカオ   ブルネイ ○9-0 アジアカップ予選
3. 2000年02月20日  マカオ   マカオ ○3-0 アジアカップ予選
4. 2000年04月26日  ソウル   韓国 ●0-1 国際親善試合
5. 2000年06月18日  神奈川県 横浜国際総合競技場   ボリビア ○2-0 キリンカップ
6. 2000年08月16日  広島県 広島広域公園陸上競技場   アラブ首長国連邦 ○3-1 キリンチャレンジ
7. 2000年10月14日  サイダ   サウジアラビア ○4-1 アジアカップ
8. 2000年10月17日  サイダ   ウズベキスタン ○8-1 アジアカップ
9. 2000年10月24日  ベイルート   イラク ○4-1 アジアカップ
10. 2000年10月26日  ベイルート   中華人民共和国 ○3-2 アジアカップ
11. 2000年10月29日  ベイルート   サウジアラビア ○1-0 アジアカップ
12. 2001年03月24日  サンドニ   フランス ●0-5 国際親善試合
13. 2001年04月25日  コルドバ   スペイン ●0-1 国際親善試合
14. 2001年10月04日  ランス   セネガル ●0-2 国際親善試合
15. 2001年11月07日  埼玉県 埼玉スタジアム2002   イタリア △1-1 キリンチャレンジカップ
16. 2002年03月21日  大阪府 長居陸上競技場   ウクライナ ○1-0 キリンチャレンジカップ
17. 2002年03月27日  ウッジ   ポーランド ○2-0 国際親善試合
18. 2002年10月16日  東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   ジャマイカ △1-1 ジーコ キリンチャレンジカップ
19. 2002年11月20日  埼玉県 埼玉スタジアム2002   アルゼンチン ●0-2 山本昌邦(代行) キリンチャレンジカップ
20. 2003年03月28日  東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   ウルグアイ △2-2 ジーコ 国際親善試合
21. 2003年06月11日  埼玉県 埼玉スタジアム2002   パラグアイ △0-0 キリンカップ
22. 2003年06月18日  サンドニ   ニュージーランド ○3-0 コンフェデレーションカップ
23. 2003年06月20日  サンテティエンヌ   フランス ●1-2 コンフェデレーションカップ
24. 2003年06月22日  サンテティエンヌ   コロンビア ●0-1 コンフェデレーションカップ
25. 2003年08月20日  東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   ナイジェリア ○3-0 キリンチャレンジカップ
26. 2003年10月11日  ブカレスト   ルーマニア △1-1 国際親善試合
27. 2003年11月19日  大分県 大分スポーツ公園総合競技場   カメルーン △0-0 キリンチャレンジカップ
28. 2004年02月18日  埼玉県 埼玉スタジアム2002   オマーン ○1-0 ワールドカップ予選
29. 2004年03月31日  シンガポール   シンガポール ○2-1 ワールドカップ予選
30. 2004年09月08日  コルカタ   インド ○4-0 ワールドカップ予選
31. 2004年10月13日  マスカット   オマーン ○1-0 ワールドカップ予選
32. 2004年12月16日  神奈川県 横浜国際総合競技場   ドイツ ●0-3 キリンチャレンジカップ
33. 2005年02月09日  埼玉県 埼玉スタジアム2002   北朝鮮 ○2-1 ワールドカップ予選
34. 2005年03月25日  テヘラン   イラン ●1-2 ワールドカップ予選
35. 2005年03月30日  埼玉県 埼玉スタジアム2002   バーレーン ○1-0 ワールドカップ予選
36. 2005年09月07日  宮城県 宮城スタジアム   ホンジュラス ○5-4 キリンチャレンジカップ
37. 2005年10月08日  リガ   ラトビア △2-2 国際親善試合
38. 2005年10月12日  キエフ   ウクライナ ●0-1 国際親善試合
39. 2005年11月16日  東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   アンゴラ ○1-0 キリンチャレンジカップ
40. 2006年02月28日  ドルトムント   ボスニア・ヘルツェゴビナ △2-2 国際親善試合
41. 2006年05月30日  レバークーゼン   ドイツ △2-2 国際親善試合
42. 2006年06月12日  カイザースラウテルン   オーストラリア ●1-3 ワールドカップ
43. 2006年06月18日  ニュルンベルク   クロアチア △0-0 ワールドカップ
44. 2006年06月22日  ドルトムント   ブラジル ●1-4 ワールドカップ
45. 2007年03月24日  神奈川県 横浜国際総合競技場   ペルー ○2-0 イビチャ・オシム キリンチャレンジカップ
46. 2007年06月01日  静岡県 静岡県小笠山総合運動公園スタジアム   モンテネグロ ○2-0 キリンカップ
47. 2007年06月05日  埼玉県 埼玉スタジアム2002   コロンビア △0-0 キリンカップ
48. 2007年07月09日  ハノイ   カタール △1-1 アジアカップ
49. 2007年07月13日  ハノイ   アラブ首長国連邦 ○3-1 アジアカップ
50. 2007年07月16日  ハノイ   ベトナム ○4-1 アジアカップ
51. 2007年07月21日  ハノイ   オーストラリア △1-1(PK4-3) アジアカップ
52. 2007年07月25日  ハノイ   サウジアラビア ●2-3 アジアカップ
53. 2007年07月28日  パレンバン   韓国 △0-0(PK5-6) アジアカップ
54. 2008年01月26日  東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   チリ △0-0 岡田武史 キリンチャレンジカップ
55. 2008年01月30日  東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   ボスニア・ヘルツェゴビナ ○3-0 キリンチャレンジカップ
56. 2008年02月06日  埼玉県 埼玉スタジアム2002   タイ ○4-1 ワールドカップ予選
57. 2008年05月27日  埼玉県 埼玉スタジアム2002   パラグアイ △0-0 キリンカップ

ゴール

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# 開催年月日 開催地 対戦相手 勝敗 試合概要
1. 2000年2月16日   中国   ブルネイ ○9-0 AFCアジアカップ2000・予選
2.
3. 2000年2月20日   マカオ ○3-0
4. 2000年10月14日   レバノン   サウジアラビア ○4-1 AFCアジアカップ2000
5. 2000年10月17日   ウズベキスタン ○8-1
6.
7.
8. 2000年10月24日   イラク ○4-1
9. 2002年3月27日   ポーランド   ポーランド ○2-0 親善試合
10. 2003年8月20日   日本   ナイジェリア ○3-0 キリンチャレンジカップ2003
11.
12. 2004年3月31日   シンガポール   シンガポール ○2-1 2006 FIFAワールドカップ・アジア予選
13. 2005年9月7日   日本   ホンジュラス ○5-4 キリンチャレンジカップ2005
14. 2005年10月8日   ラトビア   ラトビア △2-2 親善試合
15. 2006年2月28日   ドイツ   ボスニア・ヘルツェゴビナ △2-2
16. 2006年5月30日   ドイツ   ドイツ △2-2
17.
18. 2007年3月24日   日本   ペルー ○2-0 キリンカップサッカー2007
19. 2007年6月1日   モンテネグロ ○2-0
20. 2007年7月9日   ベトナム   カタール △1-1 AFCアジアカップ2007
21. 2007年7月13日   アラブ首長国連邦 ○3-1
22.
23. 2007年7月21日   オーストラリア △1-1
(PK4-3)

チームタイトル

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個人タイトル

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指導歴

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  • 2016年 - 沖縄SV
    • 2016年 - 2019年 監督
    • 2021年7月 - 2023年 監督

出版

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執筆書籍

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関連書籍

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出演

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脚注

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注釈

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  1. ^ ゲンを担ぐことが目的だが、本人曰く「自分には一桁の番号は、似合わない」とのこと。
  2. ^ 後のアテネ五輪オーバーエイジ枠で出場予定だったが、再び同じ症状が発症したため辞退した。

出典

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  27. ^ 高原直泰の現役ラストマッチに密着。「監督はやらない! 社長業に専念して頑張るよ」 週プレNEWS 2023年12月13日
  28. ^ 「お金にならないと意味がない」元サッカー日本代表・高原直泰43歳は今…沖縄でコーヒー農家になっていた「年間5000杯分が目標です」 - Number Web・2022年7月9日
  29. ^ 田嶋幸三『これだけは知っておきたい(30) サッカーの大常識』株式会社ポプラ社、2006年、132ページ、ISBN 4-591-09115-5
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  33. ^ 田嶋幸三『これだけは知っておきたい(30) サッカーの大常識』株式会社ポプラ社、2006年、131ページ、ISBN 4-591-09115-5
  34. ^ 虎四ミーティング~限界への挑戦記~ 高原直泰(SC相模原)<前編>「突然の病を乗り越えたストライカー」 現代ビジネス(2014年5月9日)

関連項目

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外部リンク

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