駒野友一
駒野 友一(こまの ゆういち、1981年7月25日 - )は、和歌山県海南市出身[4][5]の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー[6]、ミッドフィールダー[7]。元日本代表。広島県立吉田高等学校卒業[4]。
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名前 | ||||||
愛称 | コマちゃん[1]、コマ[2] | |||||
カタカナ | コマノ ユウイチ | |||||
ラテン文字 | KOMANO Yuichi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1981年7月25日(43歳) | |||||
出身地 | 和歌山県海南市 | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF / MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1997-1999 | サンフレッチェ広島 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2000-2007 | サンフレッチェ広島 | 191 | (9) | |||
2008-2015 | ジュビロ磐田 | 257 | (13) | |||
2016 | FC東京 | 1 | (0) | |||
2016 | → アビスパ福岡(loan) | 12 | (1) | |||
2017-2018 | アビスパ福岡 | 63 | (2) | |||
2019-2022 | FC今治 | 92 | (2) | |||
通算 | 616 | (27) | ||||
代表歴2 | ||||||
1999-2001 | 日本 U-20 | 10 | (0) | |||
2002-2004 | 日本 U-23 | 4 | (0) | |||
2005-2014[3] | 日本 | 78 | (1) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2021年12月29日現在。 2. 2013年8月14日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集プロ入り以前
編集小学生の頃はFWだったが、中学2年生時に招集された関西選抜において「左足で蹴れるから」と抜擢された左サイドハーフ(SH)での活躍により[8]、同3年生時には複数の私立高校やクラブから勧誘された。
1996年秋に父が病死したこともあり[4]寮費減免があるサンフレッチェ広島ユースを選択[9][8]。同年冬に広島県・吉田中学校へ転校し、1997年、高校1年生時から広島ユースに加入[4][注 1]。ウイングバック(WB)として活躍し、高校3年次には同級生の森崎和幸・浩司兄弟とともに2種登録選手になった。
サンフレッチェ広島時代
編集2000年、サンフレッチェ広島とプロ契約を締結[10][注 2]。翌2001年、ヴァレリー・ニポムニシに見出され、右サイドバック(SB)として沢田謙太郎からレギュラーを奪った[9]。その後も安定したプレーを見せ、その年の2ndステージ3位になる原動力となった。これ以降も右アウトサイドのレギュラーとして活躍した。
2003年8月、J2第28節横浜FC戦で左膝前十字靭帯を断裂[9][11][12]。手術後の入院中に脚をギプスで固定したことで静脈血栓塞栓症を発症し生命の危機に陥った[12]。懸命なリハビリを続け、2004年4月のナビスコカップ横浜FM戦で復帰。駒野不在の間、広島の右サイドのレギュラーに定着した選手はいなかった。
2004年9月にはぶどう膜炎を発症し失明の危機まであったが[9]軽症で済んだ[12]。2005年にかけて復調し、佐藤寿人へのクロスによってチャンスを量産[12]、右SBながら9アシストを記録した[注 3]。利き足である右足から放つクロスを得意とし、特にFWの動きに合わせた軌道を研究して練習した、と自身で述べる鋭く曲がり落ちるアーリークロスは大きな武器となり、当時の専門誌において「クロスボール部門」Jリーガー第1位に選ばれている[13]。
2007年、広島は守備の崩壊などによりシーズンを16位で終え、入れ替え戦の末J2への降格が決定。オフには広島からの慰留に加えてジュビロ磐田及びヴィッセル神戸からオファーを受けた[14][15]が、ジュビロ磐田への移籍を決断した[16][7]。佐藤寿人は入れ替え戦の敗北後サポーターに向けて残留宣言とも取れるメッセージを発し、ベガルタ仙台での降格経験からチーム戦力維持のためにチームメイトへの慰留を行ったが、日本代表の主力であった駒野だけは直ぐに呼びかけることができなかった[17]。結果として、駒野は当時レンタル移籍中であったウェズレイを除き唯一広島を退団した主力選手となった。
ジュビロ磐田時代
編集2009年からは背番号を田中誠の退団により空いた広島在籍時と同じ「5」に、ポジションをMFからDF(SB)に変更。2年続けてJ1残留争いを経験し[18]、同年末には広島からの復帰要請に前向きな姿勢を見せるも[18] 広島の資金難によって復帰は立ち消えとなり[19] 磐田に残留。
2010年もSBとして活躍を続けたが、同年10月の韓国代表戦で右上腕骨を骨折[20]。磐田が12年ぶりの優勝を決めたナビスコカップ決勝戦を含めたシーズン終盤を欠場した。
2011年、右SBとしてJ1全試合にフル出場し、FW前田遼一との好連携でリーグ最多のアシストを記録[21][注 3]。2012年1月にはベルギー1部リーグ・シント=トロイデンVVへの移籍で基本合意に至るも[22]、磐田との契約期間を残しており[23] 違約金等の調達がまとまらずに頓挫[24][25]。磐田残留が決まった[26]。
2012年もリーグ戦全試合に出場し、自身初のJリーグベストイレブンに選出された。
2013年は監督・森下仁志による新布陣採用に伴ってSBからWBにポジションを上げたが、これが奏功せずチームは低迷[27]。同年は主将を務め[28] 第23節新潟戦でJ1通算350試合出場を達成するも[29]、クラブ史上初、自身3度目のJ2降格を喫した[28]。
2015年はシーズン後半にかけて宮崎智彦に左SBのレギュラーを奪われたが、第33節群馬戦では途中出場で直接FKによる決勝点を挙げ[30]、ベテランとしてチームを支え磐田のJ1昇格に貢献。しかし、磐田からは契約延長を打診されたが、若返りを理由に単年契約でのオファーだった事もあり、退団を決意した[31]。
FC東京時代
編集2016年よりFC東京へ移籍[32][6]。 2月9日に行われた2016年シーズン初戦となったAFCチャンピオンズリーグ2016 プレーオフ・チョンブリーFC戦でスタメンで出場。自身初のACLとなったvs全北現代モータースで肉離れを起こし、リーグ開幕戦は欠場となった[33]。オーバーエイジ枠でFC東京 U-23として、同年4月3日に行われたJ3リーグ第3節・ブラウブリッツ秋田戦で初めてJ3の試合に出場した。 2016年7月、怪我や若手の小川諒也の活躍もあり、リーグ戦は1試合のみの出場で止まり、同年7月3日にアビスパ福岡へ期限付き移籍[34]。
アビスパ福岡時代
編集11月22日に契約満了によりFC東京を退団する事が発表され[35]、2017年1月6日に期限移籍先であった福岡へ完全移籍する事が発表された[36]。10月22日に行われたジェフユナイテッド市原・千葉戦でJリーグ通算500試合を達成。
2018年11月25日、福岡との契約満了が発表された[37]。
FC今治時代
編集2019年1月4日、南アフリカW杯で日本代表監督だった岡田武史が代表を務め、広島在籍時代監督だった小野剛が監督を務める[38]FC今治へ入団すると発表された[39]。2019年シーズン、JFLベストイレブン受賞[40]。
2022年10月11日、2022年をもって現役引退することを発表した[41]。
現役引退後
編集2023年4月から古巣 サンフレッチェ広島のスクールコーチに就任した[42]。同年10月24日にJリーグ功労選手賞を受賞した[43]。
日本代表
編集年代別代表時代から左右のSBとしてプレー。2004年にはU-23日本代表としてアテネオリンピックに選出されたが、ガーナ戦で左鎖骨を骨折[9][12]
A代表には、2005年の東アジア選手権で負傷の三浦淳宏に代わって初招集され[44]、8月3日の中国戦で国際Aマッチ初出場[45]。その後もDF加地亮のバックアッパーとして定着し[45][46]、翌2006年開催のワールドカップメンバーに選出された。これは追加招集された茂庭照幸と共に「アテネ世代」からの数少ない選出であった。加地の負傷により[9][45]、本大会初戦のオーストラリア戦で先発出場。この試合では同点に追いつかれた直後、ペナルティエリア内でドリブルを仕掛けて相手DFに倒され、あわや追加点となるチャンスを作った[注 4]。しかし守備で振るわずに逆転負けを喫し[47][45]、加地が復調した第2戦以降は控えに回った[47]。
2006年から2007年にかけてのイビチャ・オシム体制下では、スピード[注 5]を評価され、左SB及び左WBの一番手として重用されたが[46]、オシム後任の岡田武史監督の下ではDF内田篤人や長友佑都ら若手選手の台頭により、控えに戻った[45]。
2010年開催のFIFAワールドカップでは、大会直前に行われた強化試合コートジボワール戦におけるDF今野泰幸の負傷もあり[9][47]堅実なプレーでポジションを再奪取[49][50]。本大会のグループリーグ3試合と決勝トーナメント1試合の計4試合で右SBとして先発出場した。好調を維持し[47]、スプリント数においては日本代表では駒野と本田圭佑だけが4試合全てで100超を数え[51][52][53][54]、また、カメルーン戦では時速25.77kmを記録[51]。攻守に献身的な働きで[11]日本の決勝T進出に貢献した。決勝T1回戦のパラグアイ戦では、相手陣内深いエリアまで上がり再三クロスを上げるなどチャンスを演出し、パラグアイに押し込まれた時間帯には体を張った守備でピンチの芽を摘むなど豊富な運動量でチームの完封に貢献した[55]。同試合は延長戦でも決着せずPK戦となり、駒野は3人目のキッカーを任されたが[56] シュートをバーに当て失敗[11][55]。パラグアイは全員PKを成功させたためベスト8進出を逃した。
2010年8月以降のアルベルト・ザッケローニ体制下でも内田・長友の控えが続いたが[57][45][58]、2011年10月11日のFIFAワールドカップ3次予選・タジキスタン戦では国際Aマッチ初得点を含む1ゴール2アシストの活躍[59][60]。通算65試合目の出場での初得点は、GKを除き日本代表史上最も遅いものとなった[58][60]。
2013年の東アジアカップでは、これまでの貢献度の高さを理由にチームキャプテンを任された[61][62]。第1戦中国戦では2失点に絡んだが、急造チームに一体感を作り、日本の同大会初優勝に貢献[63]。
チームに献身する姿勢はザッケローニから「本当のプロフェッショナル」と賞賛されていたが[64]、2014年のFIFAワールドカップに際しては、予備登録の30名に留まり、自身3度目となる本大会のメンバー入りを逃した[65]。
エピソード
編集- 利き脚は右だが、利き腕は左利き[2]。サインは右手で書く、野球は左投げ左打ち、趣味のゴルフ[2][44]は左打ち。
- 実弟の森川祐輝(旧姓・駒野)は、アマチュア選手として関西リーグ1部のパナソニックエナジー洲本サッカー部(旧 三洋電機洲本サッカー部)に所属[66]。
- いじられキャラ。『やべっちFC』にてゲスト出演していた中山雅史に駒吉と呼ばれるなど、クラブや代表のチームメートからネタにされた逸話も多い。また、2014年からジュビロで同じチームとなった松井大輔は、入団会見で「チームの中で1年間駒野をずっといじっていこうかなと思っています。」と話している[67]。
- 2度のワールドカップでも着用した日本代表での背番号「3」に強いこだわりを持っている。2012年に本田圭佑から3番を譲るように頼まれたがこれを拒否したため[68]、本田は4番に定着。
- 2014年から「ふるさとアスリート」としてよしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属[69]。
所属クラブ
編集- 海南市立大野小学校[3]
- 1994年 - 1996年 海南市立第三中学校[3]
- 1997年 - 1999年 サンフレッチェ広島ユース[3] (広島県立吉田高等学校)
- 2000年 - 2007年 サンフレッチェ広島
- 2008年 - 2015年 ジュビロ磐田
- 2016年 FC東京
- 2016年7月 - 同年12月 アビスパ福岡 (期限付き移籍)
- 2017年 - 2018年 アビスパ福岡
- 2019年 -2022年 FC今治
個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2000 | 広島 | 23 | J1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 |
2001 | 5 | 24 | 1 | 3 | 0 | 2 | 0 | 29 | 1 | ||
2002 | 27 | 1 | 2 | 0 | 4 | 0 | 33 | 1 | |||
2003 | J2 | 23 | 0 | - | 0 | 0 | 23 | 0 | |||
2004 | J1 | 18 | 1 | 3 | 0 | 1 | 0 | 22 | 1 | ||
2005 | 34 | 2 | 4 | 0 | 1 | 0 | 39 | 2 | |||
2006 | 31 | 2 | 1 | 0 | 2 | 1 | 34 | 3 | |||
2007 | 34 | 2 | 3 | 0 | 5 | 1 | 42 | 3 | |||
2008 | 磐田 | 25 | 34 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 35 | 2 | |
2009 | 5 | 34 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 36 | 1 | ||
2010 | 23 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 27 | 0 | |||
2011 | 34 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 37 | 2 | |||
2012 | 34 | 3 | 4 | 0 | 1 | 0 | 39 | 3 | |||
2013 | 34 | 2 | 4 | 1 | 2 | 0 | 40 | 3 | |||
2014 | J2 | 35 | 3 | - | 2 | 0 | 37 | 3 | |||
2015 | 29 | 1 | - | 0 | 0 | 29 | 1 | ||||
2016 | FC東京 | 50 | J1 | 1 | 0 | - | - | 1 | 0 | ||
福岡 | 24 | 12 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 12 | 1 | ||
2017 | 3 | J2 | 39 | 1 | - | 0 | 0 | 39 | 1 | ||
2018 | 24 | 1 | - | 1 | 0 | 25 | 1 | ||||
2019 | 今治 | JFL | 29 | 1 | - | - | 29 | 1 | |||
2020 | J3 | 24 | 1 | - | - | 24 | 1 | ||||
2021 | 23 | 0 | - | 1 | 1 | 24 | 1 | ||||
2022 | 17 | 0 | - | - | - | 17 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 374 | 19 | 36 | 2 | 20 | 2 | 430 | 23 | |
日本 | J2 | 150 | 6 | - | 3 | 0 | 153 | 6 | |||
日本 | J3 | 64 | 1 | - | 1 | 1 | 65 | 2 | |||
日本 | JFL | 29 | 1 | - | - | 29 | 1 | ||||
総通算 | 617 | 27 | 36 | 2 | 24 | 3 | 677 | 32 |
- その他の公式戦
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | 期間通算 | ||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||||||
日本 | リーグ戦 | 期間通算 | |||||||||
2016 | F東23 | 50 | J3 | 4 | 0 | 4 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J3 | 4 | 0 | 4 | 0 | |||||
総通算 | 4 | 0 | 4 | 0 |
- 2007年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
- 2008年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
- 2014年
- J1昇格プレーオフ 1試合0得点
- 2017年
- J1昇格プレーオフ 2試合0得点
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2016 | FC東京 | 50 | 2 | 0 |
通算 | AFC | 2 | 0 |
- その他の国際公式戦
- 2011年
- スルガ銀行チャンピオンシップ 1試合0得点
- 2016年
- AFCチャンピオンズリーグ2016・プレーオフ 1試合0得点
- 出場歴
- 2000年川崎フロンターレ (等々力陸上競技場) 3月25日:公式戦初ベンチ入り - J1・1st第3節 vs
- 2000年モンテディオ山形 (山形県総合運動公園陸上競技場) 4月12日:公式戦初出場 - ナビスコカップ1回戦第1戦 vs
- 2001年コンサドーレ札幌 (広島ビッグアーチ)[2] 3月31日:Jリーグ初出場 - J1・1st第 3節 vs
- 2001年東京ヴェルディ1969 (広島スタジアム)[2] 5月19日:Jリーグ初得点 - J1・1st第10節 vs
- 2005年11月20日:J1 100試合出場 - J1第31節 vs横浜F・マリノス (日産スタジアム)
- 2008年11月23日:J1 200試合出場 - J1第32節 vs柏レイソル (ヤマハスタジアム)
- 2012年[70] 4月21日:J1 300試合出場 - J1第 7節 vs横浜F・マリノス (ヤマハスタジアム)
- 2013年アルビレックス新潟 (東北電力ビッグスワンスタジアム)[29] 8月28日:J1 350試合出場 - J1第23節 vs
タイトル
編集- SBSカップ 国際ユースサッカー (1999, 2000)
- ジャパンユースカップ (2001)
- EAFF E-1サッカー選手権 (2013)
個人タイトル
編集- Jリーグアウォーズ・優秀選手賞:3回 (2005, 2007, 2012)
- Jリーグベストイレブン:1回 (2012)
- JFLベストイレブン:1回(2019)[71]
代表・選抜歴
編集- 2005年国際Aマッチ初出場 - 東アジアサッカー選手権2005 vs 中国 (大邱スタジアム)[45] 8月 3日:
- 2011年10月11日:国際Aマッチ初得点 - 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 vs タジキスタン (長居陸上競技場)
出場大会
編集- 広島県選抜
- 1998年 第53回国民体育大会サッカー競技
- 1999年 第54回国民体育大会サッカー競技
- U-18日本代表
- U-19日本代表
- U-20日本代表
- U-21日本代表
- U-22日本代表
- 2003年 アテネオリンピックアジア2次予選
- U-23日本代表
- 日本代表
- 2005年 東アジア選手権[3](準優勝)、FIFAワールドカップ・アジア最終予選[3]
- 2006年 AFCアジアカップ予選[3]、FIFAワールドカップ[3](GL敗退)
- 2007年 AFCアジアカップ[3](ベスト4)、AFCアジア/アフリカチャレンジカップ[3]
- 2008年 東アジア選手権[3](準優勝)、FIFAワールドカップ・アジア3次予選、最終予選[3]
- 2009年 AFCアジアカップ予選[3]、FIFAワールドカップアジア最終予選[3]
- 2010年 東アジア選手権[3](3位)、FIFAワールドカップ[3](ベスト16)
- 2011年 FIFAワールドカップ・アジア3次予選[3]
- 2012年 FIFAワールドカップ・アジア最終予選[3]
- 2013年 東アジアカップ[3](優勝)
試合数
編集- 国際Aマッチ 78試合 1得点 (2005-2014)[3]
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2005 | 5 | 0 |
2006 | 10 | 0 |
2007 | 12 | 0 |
2008 | 13 | 0 |
2009 | 9 | 0 |
2010 | 11 | 0 |
2011 | 7 | 1 |
2012 | 5 | 0 |
2013 | 6 | 0 |
2014 | 0 | 0 |
通算 | 78 | 1 |
出場
編集No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2005年08月03日 | 大田 | 中華人民共和国 | △2-2 | ジーコ | 東アジア選手権 | |
2. | 2005年08月07日 | 大邱 | 韓国 | ○1-0 | 東アジア選手権 | ||
3. | 2005年10月08日 | リガ | ラトビア | △2-2 | 国際親善試合 | ||
4. | 2005年10月12日 | キエフ | ウクライナ | ●0-1 | 国際親善試合 | ||
5. | 2005年11月16日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | アンゴラ | ○1-0 | キリンチャレンジカップ | |
6. | 2006年02月18日 | 静岡県 | 静岡県小笠山総合運動公園スタジアム | フィンランド | ○2-0 | キリンチャレンジカップ | |
7. | 2006年05月30日 | レバークーゼン | ドイツ | △2-2 | 国際親善試合 | ||
8. | 2006年06月04日 | デュッセルドルフ | マルタ | ○1-0 | 国際親善試合 | ||
9. | 2006年06月12日 | カイザースラウテルン | オーストラリア | ●1-3 | ワールドカップ | ||
10. | 2006年08月09日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ブラジル | ○2-0 | イビチャ・オシム | キリンチャレンジカップ |
11. | 2006年08月16日 | 新潟県 | 新潟スタジアム | イエメン | ○2-0 | アジアカップ予選 | |
12. | 2006年09月03日 | ジッダ | サウジアラビア | ●0-1 | アジアカップ予選 | ||
13. | 2006年10月04日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | ガーナ | ●0-1 | キリンチャレンジカップ | |
14. | 2006年10月11日 | バンガロール | インド | ○3-0 | アジアカップ予選 | ||
15. | 2006年11月15日 | 北海道 | 札幌ドーム | サウジアラビア | ○3-1 | アジアカップ予選 | |
16. | 2007年03月24日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | ペルー | ○2-0 | キリンチャレンジカップ | |
17. | 2007年06月01日 | 静岡県 | 静岡県小笠山総合運動公園スタジアム | モンテネグロ | ○2-0 | キリンカップ | |
18. | 2007年06月05日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | コロンビア | △0-0 | キリンカップ | |
19. | 2007年07月13日 | ハノイ | アラブ首長国連邦 | ○3-1 | アジアカップ | ||
20. | 2007年07月16日 | ハノイ | ベトナム | ○4-1 | アジアカップ | ||
21. | 2007年07月21日 | ハノイ | オーストラリア | △1-1(PK4-3) | アジアカップ | ||
22. | 2007年07月25日 | ハノイ | サウジアラビア | ●2-3 | アジアカップ | ||
23. | 2007年07月28日 | パレンバン | 韓国 | △0-0(PK5-6) | アジアカップ | ||
24. | 2007年08月22日 | 大分県 | 大分スポーツ公園総合競技場 | カメルーン | ○2-0 | キリンチャレンジカップ | |
25. | 2007年09月07日 | クラーゲンフルト | オーストリア | △0-0(PK3-4) | 3大陸トーナメント | ||
26. | 2007年09月11日 | クラーゲンフルト | スイス | ○4-3 | 3大陸トーナメント | ||
27. | 2007年10月17日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | エジプト | ○4-1 | アジア・アフリカチャレンジカップ | |
28. | 2008年01月26日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | チリ | △0-0 | 岡田武史 | キリンチャレンジカップ |
29. | 2008年01月30日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ボスニア・ヘルツェゴビナ | ○3-0 | キリンチャレンジカップ | |
30. | 2008年02月06日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | タイ | ○4-1 | ワールドカップ予選 | |
31. | 2008年02月17日 | 重慶 | 北朝鮮 | △1-1 | 東アジア選手権 | ||
32. | 2008年02月20日 | 重慶 | 中華人民共和国 | ○1-0 | 東アジア選手権 | ||
33. | 2008年03月26日 | マナマ | バーレーン | ●0-1 | ワールドカップ予選 | ||
34. | 2008年05月24日 | 愛知県 | 豊田スタジアム | コートジボワール | ○1-0 | キリンカップ | |
35. | 2008年05月27日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | パラグアイ | △0-0 | キリンカップ | |
36. | 2008年06月02日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | オマーン | ○3-0 | ワールドカップ予選 | |
37. | 2008年06月07日 | マスカット | オマーン | △1-1 | ワールドカップ予選 | ||
38. | 2008年06月14日 | バンコク | タイ | ○3-0 | ワールドカップ予選 | ||
39. | 2008年08月20日 | 北海道 | 札幌ドーム | ウルグアイ | ●1-3 | キリンチャレンジカップ | |
40. | 2008年11月13日 | 兵庫県 | 御崎公園球技場 | シリア | ○3-1 | キリンチャレンジカップ | |
41. | 2009年01月20日 | 熊本県 | 熊本県民総合運動公園陸上競技場 | イエメン | ○2-1 | アジアカップ予選 | |
42. | 2009年02月04日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | フィンランド | ○5-1 | キリンチャレンジカップ | |
43. | 2009年05月27日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | チリ | ○4-0 | キリンカップ | |
44. | 2009年06月06日 | タシケント | ウズベキスタン | ○1-0 | ワールドカップ予選 | ||
45. | 2009年09月09日 | ユトレヒト | ガーナ | ○4-3 | 国際親善試合 | ||
46. | 2009年10月08日 | 静岡県 | 静岡市清水日本平運動公園球技場 | 香港 | ○6-0 | アジアカップ予選 | |
47. | 2009年10月10日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | スコットランド | ○2-0 | キリンチャレンジカップ | |
48. | 2009年11月14日 | ポート・エリザベス | 南アフリカ共和国 | △0-0 | 国際親善試合 | ||
49. | 2009年11月18日 | 香港 | 香港 | ○4-0 | アジアカップ予選 | ||
50. | 2010年02月02日 | 大分県 | 大分スポーツ公園総合競技場 | ベネズエラ | △0-0 | キリンチャレンジカップ | |
51. | 2010年02月11日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 香港 | ○3-0 | 東アジア選手権 | |
52. | 2010年05月24日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | 韓国 | ●0-2 | キリンチャレンジカップ | |
53. | 2010年06月04日 | シオン | コートジボワール | ●0-2 | 国際親善試合 | ||
54. | 2010年06月14日 | ブルームフォンテーン | カメルーン | ○1-0 | ワールドカップ | ||
55. | 2010年06月19日 | ダーバン | オランダ | ●0-1 | ワールドカップ | ||
56. | 2010年06月24日 | ルステンブルク | デンマーク | ○3-1 | ワールドカップ | ||
57. | 2010年06月29日 | プレトリア | パラグアイ | △0-0(PK3-5) | ワールドカップ | ||
58. | 2010年09月04日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | パラグアイ | ○1-0 | 原博実(代行) | キリンチャレンジカップ |
59. | 2010年09月07日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | グアテマラ | ○2-1 | キリンチャレンジカップ | |
60. | 2010年10月12日 | ソウル | 韓国 | △0-0 | アルベルト・ザッケローニ | 国際親善試合 | |
61. | 2011年08月10日 | 北海道 | 札幌ドーム | 韓国 | ○3-0 | キリンチャレンジカップ | |
62. | 2011年09月02日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | 北朝鮮 | ○1-0 | ワールドカップ予選 | |
63. | 2011年09月06日 | タシケント | ウズベキスタン | △1-1 | ワールドカップ予選 | ||
64. | 2011年10月07日 | 兵庫県 | 御崎公園球技場 | ベトナム | ○1-0 | キリンチャレンジカップ | |
65. | 2011年10月11日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | タジキスタン | ○8-0 | ワールドカップ予選 | |
66. | 2011年11月11日 | ドゥシャンベ | タジキスタン | ○4-0 | ワールドカップ予選 | ||
67. | 2011年11月15日 | 平壌 | 北朝鮮 | ●0-1 | ワールドカップ予選 | ||
68. | 2012年02月24日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | アイスランド | ○3-1 | キリンチャレンジカップ | |
69. | 2012年02月29日 | 愛知県 | 豊田スタジアム | ウズベキスタン | ●0-1 | ワールドカップ予選 | |
70. | 2012年08月15日 | 北海道 | 札幌ドーム | ベネズエラ | △1-1 | キリンチャレンジカップ | |
71. | 2012年09月06日 | 新潟県 | 新潟スタジアム | アラブ首長国連邦 | ○1-0 | キリンチャレンジカップ | |
72. | 2012年09月11日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | イラク | ○1-0 | ワールドカップ予選 | |
73. | 2013年03月22日 | ドーハ | カナダ | ○2-1 | 国際親善試合 | ||
74. | 2013年03月26日 | アンマン | ヨルダン | ●1-2 | ワールドカップ予選 | ||
75. | 2013年05月30日 | 愛知県 | 豊田スタジアム | ブルガリア | ●0-2 | キリンチャレンジカップ | |
76. | 2013年07月21日 | ソウル | 中華人民共和国 | △3-3 | 東アジアカップ | ||
77. | 2013年07月28日 | ソウル | 韓国 | ○2-1 | 東アジアカップ | ||
78. | 2013年08月14日 | 宮城県 | 宮城スタジアム | ウルグアイ | ●2-4 | キリンチャレンジカップ |
ゴール
編集# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|
1. | 2011年10月11日 | 日本、大阪市 | タジキスタン | ○8-0 | 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 |
関連情報
編集出演
編集- CM
- デオデオ (2006年 - 2007年) 下田崇との共演、広島限定
- トイ・ストーリー3 (2010年)[85]
- プーマジャパン株式会社 (2010年 - ) 「パラメヒコマン篇」
- 静岡県 (2010年) 「静岡県人権週間」
- 映画
- 劇場版 仮面ライダー鎧武 サッカー大決戦!黄金の果実争奪杯! (2014年)[86] - 本人役
- PV
- PUSHIM「誓い feat.MIHIRO -マイロ-」 (2010年)
展示
編集表彰
編集関連項目
編集脚注
編集- 注釈
- 出典
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- ^ 駒野が語る本田にも譲れなかった「3番」への想い ゲキサカ (2012年5月29日)
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- ^ 2012Jリーグディビジョン1 第7節 駒野友一 選手(磐田)J1通算300試合出場達成 Jリーグ (2012年4月21日)
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- ^ U−20日本代表チーム フランス遠征(5/19-6/4)について - ウェイバックマシン(2001年11月25日アーカイブ分)日本サッカー協会 (2001年5月14日)
- ^ U−20日本代表 FIFAワールドユース選手権アルゼンチン2001メンバーについて - ウェイバックマシン(2001年11月25日アーカイブ分)日本サッカー協会 (2001年6月1日)
- ^ U−21日本代表ツーロン国際大会遠征について - ウェイバックマシン(2002年10月18日アーカイブ分)日本サッカー協会 (2002年4月23日)
- ^ 第14回アジア競技大会(2002/釜山)日本代表 (U-21) - ウェイバックマシン(2002年12月5日アーカイブ分)日本サッカー協会 (2002年8月26日)
- ^ 駒野が初CM「トイストーリー3」PR 日刊スポーツ (2010年8月2日)
- ^ キャスト 劇場版 仮面ライダー鎧武 サッカー大決戦! 黄金の果実争奪杯!
外部リンク
編集- 駒野友一 プロフィール|吉本興業株式会社
- 駒野友一 - Olympedia
- 駒野友一 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 駒野友一 - National-Football-Teams.com
- 駒野友一 - Soccerway.com
- 駒野友一 - FootballDatabase.eu
- 駒野友一 - WorldFootball.net
- 駒野友一 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 駒野友一 - FIFA主催大会成績
- 駒野友一 - J.League Data Siteによる選手データ
- 駒野友一 - playmakerstats.com
- プロフィール (2007年) - ウェイバックマシン(2007年11月22日アーカイブ分) - サンフレッチェ広島
- プロフィール (2009年) - ジュビロ磐田
- 『ザックジャパンの完成度』連載 第8回:駒野友一 (1/4) , (2/4) , (3/4) , (4/4) - Sportiva (2012年10月10日)