関浩
日本の将棋棋士
関 浩(せき ひろし、1960年7月8日 - 2024年11月11日[1])は、将棋棋士。山川次彦八段門下。棋士番号は169。東京都田無市(現西東京市)出身[1]。
関浩 七段 | |
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名前 | 関浩 |
生年月日 | 1960年7月8日[1] |
没年月日 | 2024年11月11日(64歳没)[1] |
プロ入り年月日 | 1985年3月28日(24歳) |
引退年月日 | 2007年3月31日(46歳) |
棋士番号 | 169 |
出身地 | 東京都田無市(現西東京市)[1] |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 山川次彦八段 |
段位 | 七段 |
棋士DB | 関浩 |
戦績 | |
通算成績 | 182勝325敗(.3590) |
竜王戦最高クラス | 4組 |
順位戦最高クラス | C級2組(12期) |
2024年12月2日現在 |
棋歴
編集1974年の奨励会入会から11年目にして、1985年3月28日、24歳で四段昇段[1]。
その8か月後、10歳下の羽生善治がデビューしたが、1986年3月13日に「オールスター勝ち抜き戦」の予選で羽生と当たる。矢倉の本格的な攻防となるが、これに勝利。羽生にとっては、棋士人生初の黒星であった。関は、このデビュー1年目に20勝を挙げた。
1989年度は、22勝15敗・勝率0.595の好成績を収める。
第3期竜王戦5組(1990年度)の昇級者決定戦(敗者復活戦)で大野八一雄と井上慶太を破り、4組に昇級。
第19期棋王戦(1993年度)で予選2回戦でタイトル戦出場経験者の森下卓に勝利し本戦進出。本戦トーナメントでも1回戦で鈴木輝彦に勝利を挙げる。(2回戦で高橋道雄に敗れる。)
順位戦では、初参加から12年目の第55期順位戦C級2組(1996年度)で降級点累積3点となり、フリークラスに降級。以降10年間、順位戦復帰の条件をクリアできず、2007年に引退[2]。
棋風
編集一辺倒とも言えるほどの純粋な居飛車党で、相居飛車戦においては、矢倉・相掛かり・横歩取り・角換わりといった主要戦法を一通り指しこなした。
人物
編集昇段履歴
編集→昇段規定については「将棋の段級」を参照
主な成績
編集在籍クラス
編集→竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
開始 年度 |
順位戦 出典[8]
|
竜王戦 出典[9]
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
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1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1985 | 44 | C246 | 7-3 | 第25期十段戦 予選敗退 | ||||||||||||||
1986 | 45 | C208 | 3-7 | 第26期十段戦 予選敗退 | ||||||||||||||
1987 | 46 | C235 | 6-4 | 1 | 5組 | -- | 1-2 | |||||||||||
1988 | 47 | C218 | 5-5 | 2 | 5組 | -- | 1-2 | |||||||||||
1989 | 48 | C227 | 6-4 | 3 | 5組 | -- | 5-1 | |||||||||||
1990 | 49 | C220 | 3-7 | 4 | 4組 | -- | 3-2 | |||||||||||
1991 | 50 | C241 | 6-4 | 5 | 4組 | -- | 2-2 | |||||||||||
1992 | 51 | C217 | 4-3 | 6 | 4組 | -- | 1-2 | |||||||||||
1993 | 52 | C232x | 2-8 | 7 | 4組 | -- | 1-2 | |||||||||||
1994 | 53 | C242*x | 3-7 | 8 | 4組 | -- | 1-4 | |||||||||||
1995 | 54 | C239** | 4-6 | 9 | 5組 | -- | 0-3 | |||||||||||
1996 | 55 | C235**x | 2-8 | 10 | 5組 | -- | 0-4 | |||||||||||
1997 | 56 | F編 | 11 | 6組 | -- | 0-2 | ||||||||||||
1998 | 57 | F編 | 12 | 6組 | -- | 0-2 | ||||||||||||
1999 | 58 | F編 | 13 | 6組 | -- | 1-2 | ||||||||||||
2000 | 59 | F編 | 14 | 6組 | -- | 0-2 | ||||||||||||
2001 | 60 | F編 | 15 | 6組 | -- | 1-2 | ||||||||||||
2002 | 61 | F編 | 16 | 6組 | -- | 0-2 | ||||||||||||
2003 | 62 | F編 | 17 | 6組 | -- | 1-2 | ||||||||||||
2004 | 63 | F編 | 18 | 6組 | -- | 1-2 | ||||||||||||
2005 | 64 | F編 | 19 | 6組 | -- | 0-2 | ||||||||||||
2006 | 65 | F編 | 20 | 6組 | -- | 2-2 | ||||||||||||
2007 | 2007年3月末でフリークラス期限経過 | 2007年5月23日 引退 | ||||||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
年度別成績
編集この節の加筆が望まれています。 |
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
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1985 | 0. | ||||
1986 | 0. | ||||
1987 | 0. | ||||
1988 | 0. | ||||
1989 | 0. | ||||
1990 | 0. | ||||
1986-1990 (小計) |
|||||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
1991 | 0. | ||||
1992 | 0. | ||||
1993 | 0. | ||||
1994 | 0. | ||||
1995 | 0. | ||||
1996 | 0. | ||||
1997 | 0. | ||||
1998 | 0. | ||||
1999 | 0. | ||||
2000 | 0. | ||||
1991-2000 (小計) |
|||||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
2001 | 0. | ||||
2002 | 0. | ||||
2003 | 0. | ||||
2004 | 0. | ||||
2005 | 0. | ||||
2006 | 0. | ||||
2007 | 1 | 0 | 1 | 0.0000 | [10] |
2001-2007 (小計) |
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通算 | 507 | 182 | 325 | 0.3590 | |
2007年5月23日引退 |
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g “将棋の関浩七段が死去、64歳 羽生善治九段に初黒星を付けた棋士 日本将棋連盟が発表”. Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. (2024年12月2日) 2024年12月2日閲覧。
- ^ a b “2006年度内引退棋士等|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2007年3月31日). 2017年8月26日閲覧。
- ^ 「訃報 関浩七段」『日本将棋連盟』2024年12月2日。
- ^ 「将棋世界」2000年1月号付録
- ^ 『近代将棋 1985年6月号』182-183頁。
- ^ 「2004年4月1日付昇段・昇級の棋士」『日本将棋連盟』。2004年6月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ “昇段・引退棋士のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2019年4月1日). 2019年4月4日閲覧。
- ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
- ^ 「竜王戦」『日本将棋連盟』。
- ^ 2007年度棋士成績・記録 - 日本将棋連盟