長谷川国太郎
大日本帝国陸軍軍人
長谷川 国太郎(長谷川 國太郎、はせがわ くにたろう、1877年(明治10年)1月25日 - 1957年(昭和32年)3月9日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
長谷川 国太郎 | |
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生誕 |
1877年1月25日 日本 兵庫県 |
死没 | 1957年3月9日(80歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1899年 - 1932年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
墓所 | 多磨霊園 |
経歴・人物
編集兵庫県加東郡小部野村、のちに社町野村(現在は加東市)の庄屋に生まれる[1]。1899年(明治32年)陸軍士官学校第11期卒業[1]。
1923年(大正12年)8月に陸軍歩兵大佐・函館連隊区司令官、1926年(大正15年)3月に歩兵第12連隊長を経て、1929年(昭和4年)8月に陸軍少将に昇進[2]。 歩兵第7旅団長に補任する[2]。 その後は、1931年(昭和6年)8月に第6師団司令部附を経て、1932年(昭和7年)8月8日に待命、同年8月30日に予備役に、1936年(昭和11年)4月1日に後備役に編入した[1][2]。
親族
編集経歴
編集- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[5]
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。