酒波神社
酒波神社(さかなみじんじゃ)は、岐阜県瑞浪市日吉町南垣外に鎮座する神社(旧郷社)。
酒波神社 | |
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所在地 | 岐阜県瑞浪市日吉町南垣外4088 |
位置 | 北緯35度24分26秒 東経137度14分37秒 / 北緯35.40722度 東経137.24361度座標: 北緯35度24分26秒 東経137度14分37秒 / 北緯35.40722度 東経137.24361度 |
主祭神 | 酒波大神 |
社格等 | 旧郷社・金幣社 |
創建 | 不明 |
本殿の様式 | 三間社流造 |
祭神
編集概要
編集創建時期は不明である。
平安時代に編纂された美濃国神名帳の土岐郡の項に「正一位酒波大神」と記されていることから、少なくても10世紀以前に創建されたと思われる[1][2][3]。
その後土岐氏により八幡神が合祀され八幡宮と呼ばれるようになった[1]。
永禄元年(1558年)、武田信玄の重臣であった秋山虎繁は、配下の仁木(山中)藤九郎なる者に150騎を授けて土岐郡の寺社を悉く焼討した[4]。
この時に酒波神社・明白寺・光善寺・定林寺・天福寺が焼討されて焼失したが、翌年に、代官の西尾千代丸によって再建されたと記された棟札がある[1][5]。
江戸時代にこの地を収めた千村氏や氏子により境内が整備された[1][6]。
現在の本殿は元禄5年(1702年)建築の建物であり[3]、鐘楼とともに国の登録有形文化財に登録されている[7][8][5]。
明治元年(1868年)に、八幡宮から酒波神社に再び改称した[1]。
酒波は「しゅは=すわ」の音につながるため、諏訪神社も境内社の一つとなっている。
拝殿は明治42年(1909年)の再建。
境内社
編集建物
編集- 本殿
- 元禄5年(1702年)建築の三間社流造銅板葺の建物[7][2]。桁行3.5m、梁間2.2m。棟札には「桧皮大工」の記載もあることから、かつては桧皮葺きと推測される[2]。2013年(平成25年)6月21日に国の登録有形文化財となる[7][5][2]。
- 鐘楼
交通アクセス
編集- 瑞浪市コミュニティバス日吉線「日吉コミュニティーセンター」バス停より徒歩で約2分。
関連項目
編集- 岐阜県の登録有形文化財一覧
- 慈照寺 (瑞浪市) (酒波神社の別当寺であったと伝わる)
- 増福寺 (瑞浪市) (酒波神社の別当寺であったと伝わる)
参考文献
編集- 木村照 編『岐阜県の主要神社巡り』長良天神神社、1997年。
- 柘植厚一 編『酒波神社誌』柘植厚一、2015年。
- 『瑞浪市史 歴史編』 第三編 古代(ニ) 第二章 東山道と瑞浪 第三節 古代の宗教 三 古代の神社 酒波大神 p227 瑞浪市 昭和49年
- 『瑞浪市史 歴史編』 第四編 中世 第二章 室町時代の郷土 第三節 中世の宗教・文化 日吉酒波社 p376~p377 瑞浪市 昭和49年
外部リンク
編集- 酒波神社 - 岐阜県神社庁
- 酒波神社本殿 瑞浪市役所
- 酒波神社鐘楼 瑞浪市役所
- 日吉町まちづくり推進協議会
脚注
編集- ^ a b c d e f 酒波神社(岐阜県神社庁)
- ^ a b c d 酒波神社本殿(瑞浪市)
- ^ a b c 柘植 2015, p. 3.
- ^ 酒波神社の棟札による永禄元年(1558年)説と永禄8年(1565年説)がある。
- ^ a b c d 酒波神社(瑞浪市日吉町まちづくり推進協議会)
- ^ 正しくは当地は尾張藩士の千村助右衛門家の知行所であった
- ^ a b c 酒波神社本殿(文化遺産オンライン)
- ^ a b c d 酒波神社鐘楼(文化遺産オンライン)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 柘植 2015, p. 4.
- ^ 柘植 2015, p. 144.
- ^ a b c d 酒波神社鐘楼(瑞浪市)