明白寺(めいはくじ)は、岐阜県瑞浪市明世町山野内にある黄檗宗の寺院。山号は佛日山。

明白寺めいはくじ
所在地 岐阜県瑞浪市明世町山野内698
位置 北緯35度22分4.80秒 東経137度13分46.84秒 / 北緯35.3680000度 東経137.2296778度 / 35.3680000; 137.2296778座標: 北緯35度22分4.80秒 東経137度13分46.84秒 / 北緯35.3680000度 東経137.2296778度 / 35.3680000; 137.2296778
山号 佛日山
宗派 黄檗宗
本尊 釈迦牟尼仏
中興年 延宝3年(1675年
中興 雲峯元冲
札所等 美濃瑞浪三十三観音霊場二十九番
文化財 五輪塔
法人番号 8200005008622
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歴史

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室町時代に、虎渓山永保寺の修行僧により明白庵が開創されたと伝わる。

永禄8年(1565年)、武田信玄の重臣であった秋山虎繁と野村長門守が土岐郡に侵攻した。神篦城付近で織田方と両軍が衝突した(高野口の戦い)。

秋山は配下の仁木(山中)藤九郎なる者に150騎を授けて土岐郡の寺社を悉く焼討した[1]。この時に明白寺・定林寺天福寺光善寺酒波神社が焼討されて明白寺は一旦廃寺となったが、後に地蔵堂として復興した。

延宝3年(1675年)、滋賀県近江八幡市にある正宗寺雲峯元冲が黄檗宗の寺院として再興した。

二世の天眞元正、三世の仙瑞廣光も正宗寺から入っている。

令和2年(2020年)12月、明白寺で武田信玄を描いたとみられる肖像画が見つかった。

肖像画は縦約70cm、横約30cmの掛軸に、合戦で着用する鎧姿が正面から描かれている。

寺を再興した雲峯元冲が、信玄の玄孫であったことから、肖像画を持っていたと考えられるという。

明白寺五輪塔

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明白寺の境内にある五輪塔は花崗岩で造られており、高さは約137cm。造立時期は、南北朝時代14世紀)頃と推定されている。

室町時代に永保寺の修行僧が造立したものと伝えられているが、また一説には土岐頼貞の九男である長山頼基の墓とも言われており、瑞浪市の文化財に指定されている。

関連リンク

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参考文献

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  • 『瑞浪市史 歴史編』 第六編 近世 第五章 文化と信仰(文化宗教史) 第二節 神社と信仰 ニ 市内の近世寺院 市内の各寺院 p1038 瑞浪市 昭和49年(1974年)
  • 『ふるさとの歴史 : 郷土学習のための各町概史 (瑞浪市郷土史シリーズ ; その1)』 明世町概史 二 山野内村 近世 山野内村 明白寺 p104~p105 渡辺俊典 瑞浪市郷土史研究会 1983年
  • 『土岐市史 1 (原始時代-関ケ原合戦)』第八編 鎌倉室町時代の宗教概観 第三章 郷土寺院の変遷 八 定林寺・明白寺兵火について p235~p241 土岐市史編纂委員会  1970年

脚注

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  1. ^ 酒波神社の棟札による永禄元年(1558年)説と永禄8年(1565年説)がある。