酒井直次
酒井 直次(さかい なおつぐ)は、出羽左沢藩主。酒井家次の次男。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長元年(1596年) |
死没 | 寛永7年3月10日(1630年4月22日) |
改名 | 右近(幼名)→直次 |
戒名 | 慈光院殿普照琳清大居士 |
墓所 | 山形県西村山郡大江町本郷己の巨海院 |
官位 | 従五位下、右近大夫 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 出羽左沢藩主 |
氏族 | 左衛門尉酒井家 |
父母 | 父:酒井家次、母:榊原政吉の娘 |
兄弟 |
忠勝、直次、忠重、勝吉、了次、忠時、政時、 松平忠良正室、水谷勝隆正室、 内藤忠興正室、娘里見義高室、 島田重利室、高力一成室、 管沼忠隆正室 |
妻 | 正室:鳥居忠政の娘 |
子 | 養女:内田正信正室 |
酒井忠次の孫に当たる。元和6年(1620年)6月19日に叙任する。元和8年(1622年)9月、兄・忠勝が出羽庄内藩主となったため、1万2,000石を分与されて庄内藩の支藩である左沢藩を立藩した。 ほどなく漆川(月布川)と小漆川にはさまれた河岸段丘に、小漆川城を築き利便性の悪かった左沢楯山城より移った。
寛永7年(1630年)3月10日(もしくは1631年)に死去した。子は養女しかいなかったため、左沢藩は一代限りで改易となり、小漆川城も破却された。左沢藩は幕府に収公され、庄内藩の預地となった。
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