輝北天球館
輝北天球館(きほくてんきゅうかん)は、鹿児島県鹿屋市輝北町市成の輝北うわば公園内に位置する鹿屋市立の天体観測を核とするコミュニティー施設である。
輝北天球館 | |
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施設情報 | |
正式名称 | 輝北うわば公園輝北天球館[1] |
専門分野 | 天文 |
事業主体 | 鹿屋市 |
管理運営 | 特定非営利活動法人まちづくり輝北(指定管理者)[2] |
所在地 | 鹿児島県鹿屋市輝北町市成 |
位置 | 北緯31度35分40.7秒 東経130度49分34.7秒 / 北緯31.594639度 東経130.826306度座標: 北緯31度35分40.7秒 東経130度49分34.7秒 / 北緯31.594639度 東経130.826306度 |
プロジェクト:GLAM |
沿革
編集鹿屋市に合併する前の旧輝北町が、環境庁(当時)の星空継続観察で四季連続日本一となったことを記念して、1995年(平成7年)8月10日にオープンさせた[3][4]。館の名前は千葉県の男性が応募したものが選ばれている[3]。
当初は町の外郭団体である輝北上場きほく上場公園管理公社が運営していたが、2000年8月1日に財団法人輝北上場公園まちづくり公社へ移管した[5]。また、2003年4月1日から、輝北天究館の管理を続ける専従職員をそれまでの3名から館長のみの1名に削減されている[6]。
開館した1995年度は半年で約2万9,000人が来館したが、1999年度には約1万1,000人にまで減少している。「もうけ」を追求する施設ではなく、教育文化施設としての存在意義が求められている状況にある[7]。現在もなお国内外から大きな関心を集め、多大な影響を各分野に与え続けている(海外取材)。
過疎高齢化の進む町を「星空の美しい町」として世界に情報発信しているこの建築は、高原のもつ土地の精神性と融合して宇宙への想像を喚起し、広域に存在する聖地と呼応し、過疎に苦しむ地域のコミュニティーの活性化と交流を願って造られた[要出典]。
輝北天球館は建築と土地のもつエネルギーを宇宙へと開かせる。さらに、ダイナミックな全体の流れの中に建築や我々のトポスを位置づけ、建築と宇宙のシステムを共振させる。そして建築空間を通して人間と土地のもつエネルギーを絶えず交感させることにより、人間が自己の内奥へと意識を向けたとき、精神の最も深い場所である宇宙の起源へと緩やかに戻ることができる空間づくりが意図されている。まさしくゼロの空間(空の哲学・無の哲学を顕した球体上のフォルムを「ゼロフォルム」と命名している)ゼロの場所、原点へ。その人間の奥に潜む無意識の世界へと潜行してゆくという意識こそ、輝北天球館の中心のテーマとして表現されている[要出典]。
設備
編集鉄筋コンクリート四階建て延べ床面積430平方メートルの建物に、鹿児島県で最大の65センチカセグレン式反射望遠鏡を備えている。総工費は約5億6,000万円であった[3]。館自体が標高約550メートルの高地に設置されている。鹿児島市在住の建築家、高崎正治が設計したもので、ラグビーボールのような形をした空間が脇へ飛び出した特徴的な外観をしている。農耕武士の郷である高崎集落が設計した事が評価され、1996年度の日本建築家協会新人賞を受賞している[8]。
住所等
編集鹿児島県鹿屋市輝北町市成1660-3
アクセス
編集原則的に交通機関は乗用車のみ。
脚注
編集- ^ 鹿屋市立公園条例
- ^ “平成25年度から指定管理者を導入する施設”. 鹿屋市. 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年1月16日閲覧。
- ^ a b c 「輝北町が建設中の天文台「輝北天球館」に決定、千葉の男性命名」南日本新聞1995年2月19日朝刊28面
- ^ 「輝北町上場公園の天文台「輝北天球館」、初日は約230人見学」南日本新聞1995年8月11日朝刊20面
- ^ 「輝北天球館、料金下げ大人500円子供300円に/管理公社を財団法人化」南日本新聞2000年8月2日朝刊18面
- ^ 「天球館職員1人体制に/輝北町議会申し入れ」南日本新聞2003年3月27日
- ^ 「有留・輝北町政3期目の課題/公園整備に「温度差」、トップダウンから脱皮を」南日本新聞2000年4月25日朝刊18面
- ^ 「輝北天球館設計の建築家・高崎さん、日本建築家協会新人賞受賞」南日本新聞1996年9月13日朝刊14面
外部リンク
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