谷口恒二
日本の大蔵官僚
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谷口 恒二(たにぐち つねじ、1894年(明治27年)6月18日 - 1945年(昭和20年)5月26日)は、日本の大蔵官僚。大蔵次官、日本銀行副総裁。
略歴
編集- 1894年(明治27年)6月18日:東京府東京市本郷区駒込千駄木町(現・東京都文京区千駄木)で出生。旧制北野中学(現・大阪府立北野高校)卒業、旧制第一高等学校卒業。
- 1919年(大正8年)7月:東京帝国大学法科大学政治科卒業
- 同年同月:大蔵省臨時調査局属
- 1920年(大正9年)5月:大蔵属、主税局勤務
- 同年11月:任・司税官、叙・高等官八等、大津税務署長
- 同年12月:従七位
- 1921年(大正10年)9月:任・税関事務官、叙・高等官七等、門司税関在勤
- 同年6月:陞叙・高等官六等
- 同年8月:正七位
- 1923年(大正12年)4月:長崎税関監視部長
- 1924年(大正13年)6月::陞叙・高等官五等
- 同年9月:叙・従六位
- 同年12月:任・税関事務官、叙・高等官五等、長崎税関監視部長兼港務部長
- 1926年(大正15年)12月:陞叙・高等官四等
- 1927年(昭和2年)2月:正六位
- 1928年(昭和3年)1月:横浜税関在勤、大蔵事務官兼任、叙・高等官四等、主税局在勤
- 同年10月:欧米各国へ出張
- 1929年(昭和4年)12月:陞叙・高等官三等
- 1930年(昭和5年)2月:従五位
- 1932年(昭和7年)4月:勲六等瑞宝章
- 同年12月:任・大蔵書記官、叙・高等官三等、主税局在勤、フランス政府よりレジオンドヌール勲章オフィシエを受ける(日本国及びインドシナ(フランス領インドシナ)間通商協定の締結に従事したため)
- 1934年(昭和9年)2月:主税局関税課長
- 同年3月:満洲国皇帝より建国功労章を受ける
- 同年4月:昭和六年乃至九年事変従軍記章を受ける、昭和六年乃至九年事変(満洲事変・第一次上海事変)に於ける功により勲五等瑞宝章及び金350円を授け賜う
- 同年12月:大蔵大臣秘書官を兼任、大臣官房秘書課長兼務
- 1935年(昭和10年)3月:正五位
- 同年9月:満洲国皇帝より満洲帝国皇帝訪日記念章を受ける
- 1936年(昭和11年)8月:大臣官房文書課長、資源局事務官
- 同年11月:営繕管財局理事を兼任、叙・高等官二等
- 1937年(昭和12年)1月:勲四等瑞宝章
- 同年3月:任・大蔵省主計局長、内閣東北局参与、資源局参与
- 同年11月:企画院参与
- 1939年(昭和14年)11月:陞叙・高等官一等
- 同年12月:従四位
- 1940年(昭和15年)1月:勲三等瑞宝章
- 同年4月:支那事変に於ける功により勲三等旭日中綬章及び金2,800円を授け賜う
- 1941年(昭和16年)4月:技術院参与
- 同年5月:満洲国政府より銀杯(組)を受ける
- 同年7月:任・預金部長官、叙・高等官一等、任・大蔵次官兼預金部長官
- 1943年(昭和18年)8月:中華民国政府(汪兆銘政権)より二級同光勲章を受ける
- 1944年(昭和19年)3月:依願免本官
- 同年同月:日本銀行副総裁
- 同年4月10日:特旨を以て叙・正四位
- 1945年(昭和20年)5月26日:前夜からの空襲(東京大空襲)により死去
- 同年8月8日:同年5月26日付で従三位を追贈
栄典
編集- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[1]
脚注
編集- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
外部リンク
編集- 故正四位谷口恒二位階追陞の件(ref.A12090675800) - 国立公文書館アジア歴史資料センター
公職 | ||
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先代 広瀬豊作 |
大蔵次官 1941 - 1944年 |
次代 松隈秀雄 |