松隈秀雄
日本の大蔵官僚
松隈 秀雄(まつくま ひでお、1896年(明治29年)6月10日[1] - 1989年9月30日)は、日本の大蔵官僚。大蔵次官、日本専売公社総裁。
来歴・人物
編集神奈川県出身[1]。旧制第一高等学校を経て、1921年(大正10年)3月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)卒業[1]。1920年(大正9年)10月、高等試験行政科に合格[1]。
1921年5月、大蔵省入省し[1]、参事官付[2]。主税局国税課長[1]、大臣官房文書課長などを歴任[1]。1940年(昭和15年)5月25日、銀行局長[1]。同年12月14日、主税局長[1]。1944年(昭和19年)に谷口恒二(のちに日本銀行副総裁、東京大空襲で戦災死)のあとを受けて大蔵次官に就任[1]。1945年2月、田中豊に大蔵次官の座を譲って勇退した[1]。同年3月、東洋拓殖副総裁となり同年9月の同社閉鎖まで在任[1]。
1946年(昭和21年)1月、公職追放となり、1951年(昭和26年)に解除された[1]。その後、日本専売公社総裁、国民生活研究所会長、日本蒸留酒酒造組合会長、全国合成清酒酒造組合会長、租税研究協会副会長、地方財政審議会委員などを歴任した。
著作
編集- 『税務読本』東洋経済新報社、1967年。
栄典
編集- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[3]
出典
編集参考文献
編集- 『大蔵省人名録:明治・大正・昭和』大蔵財務協会、1973年。
- 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年。
公職 | ||
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先代 谷口恒二 |
大蔵次官 1944 - 1945年 |
次代 田中豊 |