藏内修治
日本の政治家
藏内 修治(くらうち しゅうじ、1918年3月8日[1] – 1993年12月29日[1][2])は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(6期)。参議院議員(1期)。
蔵内 修治 くらうち しゅうじ | |
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生年月日 | 1918年3月8日 |
出生地 | 日本 福岡県築上郡築城町(現:築上町) |
没年月日 | 1993年12月29日(75歳没) |
出身校 | 東京帝国大学国史学科卒業 |
前職 |
西日本新聞政治部記者 農林大臣秘書官 |
所属政党 | 自由民主党 |
選挙区 | 福岡県選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1980年7月8日 - 1986年7月7日 |
選挙区 | 旧福岡4区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 |
1958年5月23日 - 1972年11月13日 1976年12月6日 - 1979年9月7日 |
来歴
編集福岡県築上郡築城町(現:築上町)出身[1]。本人は蔵内次郎作(炭鉱主で元政治家)の長男と述べている[3]。
1942年、東京帝国大学国史学科卒[1][2]。大日本帝国陸軍に入り、中国で終戦を迎える[2]。
帰国後、西日本新聞社の政治部記者を経て[2]、河野一郎農相秘書官となる[2]。
1958年の第28回衆議院議員総選挙で旧福岡4区から自民党公認で立候補して初当選[4]。6期務める[1]。この間、労働、外務の各政務次官、衆議院商工、内閣の各委員長を歴任した[2]。
1979年の第35回衆議院議員総選挙で落選[4]。翌1980年の第12回参議院議員通常選挙で福岡県から自民党公認で立候補して当選[1][5]。
1986年の第14回参議院議員通常選挙に出馬せず引退[1]。
1993年、死去。
脚注
編集参考文献
編集- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
議会 | ||
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先代 始関伊平 |
衆議院内閣委員長 1978年 - 1979年 |
次代 木野晴夫 |
先代 鴨田宗一 |
衆議院商工委員長 1972年 |
次代 浦野幸男 |