與田寺

香川県東かがわ市にある寺院

與田寺(よだじ)は、香川県東かがわ市にある真言宗善通寺派別格本山の寺院。山号は醫王山、院号は虚空蔵院。さぬき七福神の一つ(寿老人)、四国八十八箇所奥の院。

與田寺

本堂
所在地 香川県東かがわ市中筋466番地
位置 北緯34度14分30.1秒 東経134度19分18.1秒 / 北緯34.241694度 東経134.321694度 / 34.241694; 134.321694座標: 北緯34度14分30.1秒 東経134度19分18.1秒 / 北緯34.241694度 東経134.321694度 / 34.241694; 134.321694
山号 醫王山
宗派 真言宗善通寺派
寺格 別格本山
本尊 薬師如来
創建年 (伝)天平11年(739年
開基 (伝)行基
正式名 醫王山虚空蔵院與田寺
別称 與田薬師、薬王寺
札所等 四國八十八ヶ所奥院
さぬき七福神寿老人
文化財 木造不動明王立像及び童子坐像2躯
絹本着色地蔵曼荼羅図1幅
絹本著色仏涅槃図1幅(重要文化財
公式サイト 四国八十八ヶ所奥の院 真言宗別格本山 與田寺
法人番号 4470005004689 ウィキデータを編集
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本尊真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

ご詠歌:祈るより 仏に ちかい あらたなる よだのお寺へ参るうれしさ

沿革

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寺伝によれば、奈良時代天平11年(739年)に行基を開山として醫王山薬王寺薬師院の号で法相宗の寺院として創建され、後に空海により宗派を真言宗、寺号を神宮寺に改められたという。

嵯峨天皇の時代に勅願寺となり、応長元年(1311年)には国内談議所の―つに定められ、13世紀後期から始まる増吽[1]による中興の時代は後小松天皇より虚空蔵院の院号を下賜されて、1,000を越す末寺を有する讃岐国屈指の大寺院となった。

安土桃山時代豊臣秀吉長宗我部氏攻めの兵火を受けて堂塔伽藍の大半を焼失したが、江戸時代初頭に高松藩初代藩主松平頼重の帰依により復興される。明治時代になってから、與田郡の所在であることから神宮寺から與田寺に改められた。

「厄除けの寺」、「四国八十八箇所奥の院」として広く知られ、年間約20万人の参拝者を集める。

境内

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大師堂、護摩堂
 
山門(仁王門)
 
中門(鐘楼門)
 
多宝塔
  • 山門(仁王門)
  • 中門(鐘楼門)
  • 本堂 - 本尊薬師如来像安置
  • 大師堂 - 室町時代建立、庭園では春と秋に野天茶会が開催される
  • 護摩堂
  • 多宝塔 - 高さ13m、1984年建立
  • 蛙・蛇・鶴亀などの石像、壽老人・聖救世観音菩薩などの石仏多数
  • 宝物館
  • 厄除石段
  • 四国八十八箇所写し霊場
  • 西国三十三所写し霊場
  • 奥の院大師堂 - 山上にあり

文化財

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重要文化財(国指定)

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  • 木造不動明王立像及び童子坐像 2躯
  • 絹本着色地蔵曼荼羅図 1幅
  • 絹本著色仏涅槃図 1幅

香川県指定有形文化財

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香川県指定天然記念物

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  • ムクの木、昭和29年8月18日指定

行事

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利用情報

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  • 境内自由
  • 宝物館は、開館時間9:00 - 16:00 、年末年始休館

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ 増吽(そううん)僧正は、多くの社寺を復興し「弘法大師の再来」として当時の人々が崇めた。1366年讃岐国大内郡西村に生誕、1424年59歳で道隆寺住職になる、1425年摩尼珠院に転住、1427年摩尼珠院住職になる、1450年隠居、1452年87歳で遷化(武田和昭「増吽僧正」五岳・発行より)

周辺

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関連項目

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