紫波郡(しわぐん)は、岩手県陸奥国陸中国)の

岩手県紫波郡の範囲(1.紫波町 2.矢巾町)
旧紫波郡役所庁舎(紫波町指定文化財)

人口58,840人、面積306.3km²、人口密度192人/km²。(2024年12月1日、推計人口

以下の2町を含む。盛岡都市圏の南部に位置し、人口は増加傾向にある。

郡域

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明治11年(1878年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町に盛岡市の一部(上飯岡、下飯岡、飯岡新田、永井、津志田、津志田西、津志田町、三本柳、東見前以南)を加えた区域にあたる。

歴史

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律令期

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811年弘仁2年)斯波(後の紫波)・和我稗縫の「志波三郡」が成立、「胆沢三郡(胆沢江刺磐井)」とともに「律令期の六郡」が成立する。812年(弘仁3年)に徳丹城が築かれ政治的機能が移り、志波三郡以北の統帥権も「鎮守府領六郡」として集約される。10世紀、斯波郡の領域が北遷拡大し、岩手郡が斯波郡から分離独立した。一方、磐井郡は国府多賀城領に編入され、岩手・志和・稗抜・和賀・江刺・伊沢の「奥六郡」が成立した[1]

鎌倉時代足利家氏が斯波郡を所領し、家氏の嫡系子孫が斯波氏を称した。 興国2年/暦応4年(1341年)陸奥の南朝南部氏などが岩手・斯波二郡を平げ、葛西氏等と連合して国府を攻めようとした。斯波家兼が奥州に入部し四管領並立を制すると、同族の高水寺斯波氏が南朝側河村氏を次第に圧迫し、応永3年(1396年)河村秀基はその傘下に下ったという[2]。16世紀半ばに高水寺斯波氏は隆盛を極めるが、のちに南部氏の圧力により逼迫を余儀なくされた。

天正年間に高水寺斯波氏の斯波詮直(最後の斯波御所)が北上川遊覧の折、川底の赤石に陽が射し、紫色に輝く川波を瑞兆として「けふよりは 紫波と名づけん この川の 石にうつ波 紫に似て」と詠み、古代以来「斯波郡」と書いていたものを「紫波郡」に改めたという。また、元来の名は志賀理和気神社(全国最北の式内社)から「志和」と書かれた、という説がある。(この赤石を御神石として引き上げ祀ったので、この神社は後世「赤石神社」とも呼ばれている。)
奥六郡最北となる「岩手郡」の建郡以前に志波城が置かれ、後にこの地が岩手郡となったように、「岩手郡」も元は「志波(斯波・志和)郡」である。斯波氏の旧居城であった高水寺城は天正19年に郡山城と改称され、ほぼ同じ頃に郡名も改められた。
江戸初期において当郡全域が盛岡藩の米穀供給地とされたため、北上川西岸の新田開発が盛んに行われた[3]
八戸藩分立によって、寛文5年(1665年土館村、稲藤村、片寄村、平沢村の一部(上平沢村)の4村が、飛地領として編成され、同藩紫波通に属し、単に志和とも書かれていた。

近代以降の沿革

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幕末時点では陸奥国に所属した。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点の支配は以下の通り。(75村)

知行 村数 村名
藩領 陸奥盛岡藩 71村 手代森村、黒川村、乙部村、大ヶ生村、江柄村、栃内村、北沢村、砂子沢村、根田茂村、上飯岡村、羽場村、下飯岡村、飯岡新田、津志田村、永井村、赤林村、湯沢村、広宮沢村、煙山村、三本柳村、西見前村、東見前村、高田村、藤沢村、北矢幅村、下矢次村、上矢次村、又兵衛新田村、南矢幅村、西徳田村、東徳田村、間野々村、土橋村、北郡山村、太田村、中島村、陣ヶ岡村、高水寺村、白沢村、室岡村、和味村、北伝法寺村、岩清水村、南伝法寺村、小屋敷村、吉水村、上松本村、下松本村、南日詰村、北日詰村、犬淵村、平沢村、宮手村、升沢村、桜町村、日詰新田、二日町新田、西長岡村、東長岡村、山屋村、赤沢村、犬吠森村、草刈村、大巻村、彦部村、星山村、北田村、遠山村、船久保村、紫野村、佐比内村
陸奥八戸藩 4村 土館村、稲藤村、上平沢村、片寄村

町村制以降の沿革

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1.日詰町 2.古館村 3.徳田村 4.見前村 5.飯岡村 6.煙山村 7.不動村 8.水分村 9.志和村 10.赤石村 11.彦部村 12.佐比内村 13.赤沢村 14.長岡村 15.乙部村(紫:盛岡市 桃:矢巾町 赤:紫波町)
  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(1町14村)
    • 日詰町 ← 日詰新田、桜町村[字上川原・下川原](現・紫波町)
    • 古館村 ← 中島村、陣ヶ岡村、二日町新田、高水寺村[字三枚橋を除く](現・紫波町)
    • 徳田村 ← 東徳田村、西徳田村、間野々村、北郡山村、土橋村、高田村、藤沢村、高水寺村[字三枚橋](現・矢巾町)
    • 見前村 ← 東見前村、西見前村、津志田村、三本柳村(現・盛岡市)
    • 飯岡村 ← 上飯岡村、下飯岡村、羽場村、飯岡新田、湯沢村、永井村(現・盛岡市)
    • 煙山村 ← 広宮沢村、煙山村、赤林村、又兵衛新田、南矢幅村、北矢幅村、上矢次村、下矢次村(現・矢巾町)
    • 不動村 ← 岩清水村、室岡村、太田村、白沢村、北伝法寺村、和味村(現・矢巾町)
    • 水分村 ← 上松本村、下松本村、小屋敷村、吉水村、南伝法寺村、宮手村、升沢村(現・紫波町)
    • 志和村 ← 土館村、片寄村、上平沢村、稲藤村(現・紫波町)
    • 赤石村 ← 北日詰村、南日詰村、犬淵村、平沢村、桜町村[字上川原・下川原を除く](現・紫波町)
    • 彦部村 ← 星山村、大巻村、彦部村、犬吠森村[字沼端・沼口・間木沢・境](現・紫波町)
    • 佐比内村(単独村制。現・紫波町)
    • 赤沢村 ← 赤沢村、船久保村、紫野村、遠山村、北田村、山屋村(現・紫波町)
    • 長岡村 ← 東長岡村、西長岡村、江柄村、北沢村、栃内村、草刈村、犬吠森村[字後田・小路口・岩ノ沢・沼田・横田・盆成](現・紫波町)
    • 乙部村 ← 乙部村、手代森村、黒川村、大ヶ生村(現・盛岡市)
  • 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和17年(1942年)7月1日 - 「岩手紫波地方事務所」が盛岡市に設置され、岩手郡とともに管轄。
  • 昭和30年(1955年
    • 3月1日 - 煙山村・徳田村・不動村が合併して矢巾村が発足。(1町12村)
    • 4月1日(1町2村)
      • 日詰町・赤石村・赤沢村・佐比内村・志和村・長岡村・彦部村・古館村・水分村が合併して紫波町が発足。
      • 飯岡村・乙部村・見前村が合併して都南村が発足。
  • 昭和41年(1966年)5月1日 - 矢巾村が町制施行して矢巾町となる。(2町1村)
  • 平成4年(1992年)4月1日 - 都南村が盛岡市に編入。(2町)

変遷表

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自治体の変遷
明治22年以前 明治22年4月1日 明治22年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和39年 昭和40年 - 昭和64年 平成元年 - 現在 現在
日詰新田 日詰町 日詰町 昭和30年4月1日
紫波町
紫波町 紫波町 紫波町
桜町村
赤石村 赤石村
日詰村 北日詰村
南日詰村
犬淵村
平沢村 平沢村
上平沢村 志和村 志和村
土舘村
片寄村
稲藤村
二日町新田 古館村 古館村
中島村
陣ヶ岡村
高水寺村
東長岡村 長岡村 長岡村
西長岡村
江柄村
北沢村
栃内村
草刈村
犬吠森村
彦部村 彦部村 彦部村
星山村
大巻村
佐比内村 佐比内村 佐比内村
赤沢村 赤沢村 赤沢村
舟久保村
紫野村
遠山村
北田村
山屋村
上松本村 水分村 水分村
下松本村
小屋敷村
吉水村
宮手村
升沢村
伝法寺村 南伝法寺村
北伝法寺村 不動村 不動村 昭和30年3月1日
矢巾村
昭和40年5月1日
町制施行 矢巾町
矢巾町 矢巾町
岩清水村
太田村
白沢村
室岡村
和味村
徳田村 東徳田村 徳田村 徳田村
西徳田村
間之野村 間野々村
北郡山村
高田村
十日市村 土橋村
藤沢村
煙山村 煙山村 煙山村
矢羽場村 南矢幅村
北矢幅村
又兵衛新田
矢次村 上矢次村
下矢次村
赤林村
広宮沢村
上飯岡村 飯岡村 飯岡村 昭和30年4月1日
都南村
都南村 平成4年4月1日
盛岡市に編入
盛岡市
下飯岡村
永井村
羽場村
湯沢村
飯岡新田
乙部村 乙部村 乙部村
大ヶ生村
黒川村
手代森村
東見前村 見前村 見前村
西見前村
三本柳村
津志田村

行政

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紫波郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
明治11年(1878年)11月26日
明治13年(1880年)10月23日 廃官
北岩手・南岩手・紫波郡長

特記なき場合『岩手郡誌』による[5]

氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 宮部謙吉 明治13年(1880年)10月23日 明治25年(1892年)11月1日
2 松橋宗之 明治25年(1892年)11月1日 明治30年(1897年)3月31日 廃官
紫波郡長

特記なき場合『紫波郡誌』による[6]

氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 川口浩哉
2 二双石忠治
3 一戸武雄
4 岩崎亀太郎
5 今野良治
6 村松翠之輔
7 吉田一耕
8 杉竹次
9 渡邊寿
10 佐藤民三郎
11 安倍富七 大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官

脚注

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  1. ^ 「奥六郡」と呼ばれた岩手
  2. ^ 秋田の中世を歩く 大巻館
  3. ^ 「日本歴史地名大系 第3巻 岩手県の地名」平凡社
  4. ^ a b 明治元年12月23日(1869年2月4日)の「諸藩取締奥羽各県当分御規則」(法令全書通番明治元年太政官布告第1129)に従って設置された県だが、明治政府が権知県事を任命したわけではなく、そのため明治政府の公文書には全く記録が残っておらず、正式な県とは認められていない。
  5. ^ 岩手県教育会岩手郡部会 1941, 477頁.
  6. ^ 岩手県教育会紫波郡部会 1926, 135頁.

参考文献

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  • 岩手県教育会紫波郡部会 編『紫波郡誌』岩手県教育会紫波郡部会、1926年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1021170 
  • 岩手郡誌』岩手県教育会岩手郡部会、1941年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1042077 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 3 岩手県、角川書店、1985年2月7日。ISBN 4040010302 
  • (有)平凡社地方資料センター『日本歴史地名大系 第3巻 岩手県の地名』平凡社、1990年7月13日。ISBN 4-582-91022-X 
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連項目

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