胆沢郡
岩手県の郡
人口15,085人、面積179.76km²、人口密度83.9人/km²。(2024年12月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
- 金ケ崎町(かねがさきちょう)
郡域
編集明治11年(1878年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町に奥州市の一部(北上川以西)を加えた地域にあたる。
歴史
編集近世以前の沿革
編集- 古代の胆沢[1]は志波(現・盛岡)と並ぶ東北蝦夷の拠点だった[2]。
- 802年(延暦21年)坂上田村麻呂は造胆沢城使として、胆沢城の造営を開始、同時に周辺地域の支配体制を確立。804年(延暦23年)に胆沢・江刺・磐井の「胆沢三郡」が成立した。10世紀、磐井郡は国府多賀城領に編入され、岩手・志和・稗抜・和賀・江刺・伊沢の「奥六郡」が成立した[3]。
近世以降の沿革
編集- 上衣川村、下衣川村、白鳥村、前沢村、目呂木村、上麻生村、関村、中畑村、小山村、六日入村、中野村、下姉躰村、上姉躰村、堤尻村、須江村、瀬台野村、安土呂井村、四丑村、茄子川村、下河原村、八幡村、佐野村、三ヶ尻村、相去村、西根村、永沢村、百岡村、永徳寺村、上葉場村、栃木村、北下葉場村、塩竈村、南下葉場村、柳田村、新里村、若柳村、都鳥村
- 明治元年
- 明治2年
- 明治4年
- 明治8年(1875年)
- 10月17日 - 以下の村の統合が行われる。(25村)
- 稲置村 ← 上麻生村、関村、目呂木村
- 白山村 ← 下姉体村、六日入村
- 秋成村 ← 上姉体村、須江村、堤尻村
- 常盤村 ← 安土呂井村、四丑村、瀬台野村、茄子川村
- 宇佐村 ← 佐野村、八幡村
- 永栄村 ← 永徳寺村、百岡村
- 満倉村 ← 上葉場村、栃木村
- 東田村 ← 新里村、柳田村
- 古城村 ← 中畑村、小山村[本郷]
- 11月22日 - 水沢県が磐井県に改称。
- 10月17日 - 以下の村の統合が行われる。(25村)
- 明治9年(1876年)4月18日 - 第2次府県統合により岩手県の管轄となる。
- 明治11年(1878年)11月26日
町村制以降の沿革
編集- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は全域が現・奥州市。(2町11村)
- 水沢町 ← 塩竈村、北下葉場村、常盤村[安土呂井の一部[5]]
- 前沢町 ← 前沢村、白鳥村、稲置村[目呂木]
- 佐倉河村 ← 宇佐村、下河原村、満倉村、常盤村[四丑・茄子川、安土呂井の一部[5]を除く]
- 真城村 ← 中野村、秋成村[須江・堤尻]、常盤村[瀬台野]
- 姉体村 ← 秋成村[上姉体]、白山村[下姉体]
- 白山村 ← 白山村[六日入]、稲置村[上麻生]
- 古城村 ← 古城村、稲置村[関]
- 衣川村 ← 上衣川村、下衣川村
- 小山村(単独村制)
- 南都田村 ← 南下葉場村、都鳥村、東田村[柳田]
- 若柳村 ← 若柳村、東田村[新里]
- 永岡村 ← 永栄村、永沢村(現・金ケ崎町)
- 金ヶ崎村 ← 西根村、三ヶ尻村(現・金ケ崎町)
- 明治30年(1897年)4月1日
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正14年(1925年)9月1日 - 金ヶ崎村が町制施行して金ヶ崎町となる。(3町11村)
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和17年(1942年)7月1日 - 「胆江地方事務所」が水沢町に設置され、江刺郡とともに管轄。
- 昭和29年(1954年)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和42年(1967年)4月1日 - 胆沢村が町制施行して胆沢町となる。(3町1村)
- 平成18年(2006年)2月20日 - 前沢町・胆沢町・衣川村が水沢市・江刺市と合併して奥州市が発足し、郡より離脱。(1町)
- 平成19年(2007年)10月1日 - 金ヶ崎町が町名表記を金ケ崎町に改定。
変遷表
編集自治体の変遷
明治以前 | 明治8年10月17日 | 明治8年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 町村制施行 |
明治22年 - 大正15年 | 昭和元年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和39年 | 昭和40年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
塩竈村 | 塩竈村 | 塩竈村 | 水沢町 | 水沢町 | 昭和29年4月1日 水沢市 |
水沢市 | 水沢市 | 平成18年2月20日 奥州市 |
奥州市 | |||
北下葉場村 | 北下葉場村 | 北下葉場村 | ||||||||||
安土呂井村 | 一部[5] | 常盤村[7] | 常盤村の一部 (四丑・茄子川・安土呂井) | |||||||||
一部[5] を除く |
佐倉河村 | 佐倉河村 | ||||||||||
四丑村 | ||||||||||||
茄子川村 | ||||||||||||
八幡村 | 宇佐村 | 宇佐村 | ||||||||||
佐野村 | ||||||||||||
上葉場村 | 満倉村 | 満倉村 | ||||||||||
栃木村 | ||||||||||||
下河原村 | 下河原村 | 下河原村 | ||||||||||
瀬台野村 | 常盤村[7] | 常盤村の一部(瀬台野) | 真城村 | 真城村 | ||||||||
中野村 | 中野村 | 中野村 | ||||||||||
須江村 | 秋成村 | 秋成村 | ||||||||||
堤尻村 | ||||||||||||
上姉体村 | 姉体村 | 姉体村 | ||||||||||
下姉体村 | 白山村 | 白山村 | ||||||||||
六日入村 | 白山村 | 白山村 | 白山村 | 昭和30年4月1日 前沢町 |
前沢町 | |||||||
上麻生村 | 稲置村[8] | 稲置村の一部(上麻生) | ||||||||||
磐井郡 赤生津村 |
磐井郡赤生津村 | 磐井郡赤生津村 | 明治12年1月4日 東磐井郡赤生津村 |
東磐井郡 生母村 |
東磐井郡生母村 | 東磐井郡生母村 | ||||||
磐井郡 母体村 |
磐井郡母体村 | 磐井郡母体村 | 明治12年1月4日 東磐井郡母体村 | |||||||||
前沢村 | 前沢村 | 前沢村 | 前沢町 | 前沢町 | 前沢町 | |||||||
白鳥村 | 白鳥村 | 白鳥村 | ||||||||||
目呂木村 | 稲置村[8] | 稲置村の一部(目呂木・関) | ||||||||||
関村 | 古城村 | 古城村 | 古城村 | |||||||||
中畑村 | 古城村 | 古城村 | ||||||||||
小山村 | 本郷 | |||||||||||
その他 | 小山村 | 小山村 | 小山村 | 小山村 | 小山村 | 昭和30年4月1日 胆沢村 |
昭和42年4月1日 町制 胆沢町 | |||||
南下葉場村 | 南下葉場村 | 南下葉場村 | 南都田村 | 南都田村 | 南都田村 | |||||||
都鳥村 | 都鳥村 | 都鳥村 | ||||||||||
柳田村 | 東田村 | 東田村 | ||||||||||
新里村 | 若柳村 | 若柳村 | 若柳村 | |||||||||
若柳村 | 若柳村 | 若柳村 | ||||||||||
上衣川村 | 上衣川村 | 上衣川村 | 衣川村 | 衣川村 | 衣川村 | 衣川村 | 衣川村 | |||||
下衣川村 | 下衣川村 | 下衣川村 | ||||||||||
永徳寺村 | 永栄村 | 永栄村 | 永岡村 | 永岡村 | 永岡村 | 昭和30年3月1日 金ヶ崎町 |
金ヶ崎町 | 平成19年10月1日 改称 金ケ崎町 |
金ケ崎町 | |||
百岡村 | ||||||||||||
永沢村 | 永沢村 | 永沢村 | ||||||||||
西根村 | 西根村 | 西根村 | 金ヶ崎村 | 大正14年9月1日 町制 金ヶ崎町 |
金ヶ崎町 | |||||||
三ヶ尻村 | 三ヶ尻村 | 三ヶ尻村 | ||||||||||
相去村 | 一部[6] | 相去村 | 明治11年11月26日 和賀郡相去村 |
明治12年1月4日 東和賀郡相去村 |
東和賀郡 相去村 |
明治29年3月29日 胆沢郡に復帰 |
昭和29年4月1日 北上市の一部 |
昭和29年10月1日 金ヶ崎町に編入 | ||||
一部[6] を除く |
北上市 | 北上市 | 北上市 | 平成3年4月1日 北上市の一部 |
北上市 |
行政
編集- 胆沢・江刺郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 出納貞武 | 明治12年(1879年)1月28日 | 明治13年(1880年)8月21日 | |
2 | 直江兼重 | 明治13年(1880年)10月23日 | 明治14年(1881年)10月6日 | |
3 | 板垣四郎 | 明治14年(1881年)10月7日 | 明治18年(1885年)12月26日 | |
4 | 下田栄光 | 明治19年(1886年)8月25日 | 明治27年(1894年)3月21日 | |
5 | 鈴木愿治 | 明治27年(1894年)3月22日 | 明治30年(1897年)3月31日 | 廃官 胆沢郡長へ転任 |
- 胆沢郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 鈴木愿治 | 明治30年(1897年)4月1日 | 明治35年(1902年)4月22日 | 胆沢・江刺郡長より転任 |
2 | 長谷川四郎 | 明治35年(1902年)4月22日 | 明治36年(1903年)7月7日 | |
3 | 尾形亀寿 | 明治36年(1903年)7月7日 | ||
4 | 勝俣元長 | |||
5 | 佐土原親則 | |||
6 | 鹿野宏 | |||
7 | 木村友次郎 | |||
8 | 亀山忠之助 | |||
9 | 山田彦四郎 | 大正15年(1926年)6月30日 | 郡制廃止により、廃官 |
脚注
編集- ^ 古文書では「膽澤」。
- ^ 蝦(えみし)夷松岡正剛の千夜千冊
- ^ 「奥六郡」と呼ばれた岩手
- ^ 明治元年12月23日(1869年2月4日)の「諸藩取締奥羽各県当分御規則」(法令全書通番明治元年太政官布告第1129)に従って設置された県だが、明治政府が権知県事を任命したわけではなく、そのため明治政府の公文書には全く記録が残っておらず、正式な県とは認められていない。
- ^ a b c d e 一葉起・肥後起・三本木
- ^ a b c 字六原の大部分
- ^ a b 常盤村は、明治8年(1875年)に瀬台野村・四丑村・茄子川村・安土呂井村の合併により成立。明治22年(1889年)に分村し、旧・安土呂井村の一部[5]は水沢町へ、旧・瀬台野村域は真城村へ残部は佐倉河村となる。
- ^ a b 稲置村は、明治8年(1875年)に上麻生村・目呂木村・関村の合併により成立。明治22年(1889年)に分村し、旧・上麻生村域は白山村へ、旧・目呂木村域は前沢町へ、旧・関村域は古城村となる。
参考文献
編集この節で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 3 岩手県、角川書店、1985年2月7日。ISBN 4040010302。
- 旧高旧領取調帳データベース
- 胆沢郡誌(岩手県教育会胆沢郡部会、1927年)