紀元前220年代
十年紀
西暦による紀元前229年から紀元前220年までの10年間を指す十年紀。
(きげんぜんにひゃくにじゅうねんだい)は、千年紀: | 紀元前1千年紀 |
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世紀: | 前4世紀 - 紀元前3世紀 - 前2世紀 |
十年紀: | 前250年代 前240年代 前230年代 - 紀元前220年代 - 前210年代 前200年代 前190年代 |
年: | 前229年 前228年 前227年 前226年 前225年 前224年 前223年 前222年 前221年 前220年 |
できごと
編集紀元前229年
編集→詳細は「紀元前229年」を参照
- 第一次イリュリア戦争勃発( - 紀元前228年)
- 秦が趙の首都邯鄲を陥落させる。
紀元前228年
編集→詳細は「紀元前228年」を参照
紀元前227年
編集→詳細は「紀元前227年」を参照
紀元前226年
編集→詳細は「紀元前226年」を参照
紀元前225年
編集→詳細は「紀元前225年」を参照
紀元前224年
編集→詳細は「紀元前224年」を参照
- 秦の武将王翦が60万の大軍を率いて楚に進攻し、これを大破する。
紀元前223年
編集→詳細は「紀元前223年」を参照
- セレウコス3世が暗殺され、アンティオコス3世が即位。
- クレオメネス3世がメガロポリスを占領。
- グレコ・バクトリア王国のディオドトス2世がエウテュデモス1世に暗殺され、王位を奪われる。
- 秦が楚を滅ぼす。
紀元前222年
編集→詳細は「紀元前222年」を参照
- セッラシアの戦いで、クレオメネス3世率いるスパルタが、アンティゴノス朝アンティゴノス3世の後ろ盾を得たアラトスに敗れ。クレオメネスはエジプトに亡命。
- メディア総督(サトラップ)のモロン、ペルシス総督のアレクサンドロスらが、アンティオコス3世に対して反乱を起こす。
- マルクス・クラウディウス・マルケッルスがガリア人の一派ガエサティ族との戦闘(クラスティディウムの戦い)で、その王ブリトマトゥスに一騎討ちで勝利し、ローマで最高の戦利品とされるスポリア・オピマを得る。
- 秦が燕と趙の残存勢力を滅ぼす。
紀元前221年
編集→詳細は「紀元前221年」を参照
- カルタゴのハスドルバルがケルト人によって暗殺される。
- エジプト・プトレマイオス朝では、プトレマイオス3世に代わりプトレマイオス4世が即位する。
- ガイウス・フラミニウスがローマにフラミニウス競技場を建設する。
- 秦が斉(田斉)を滅ぼして中国統一を果たし、政が始皇帝を名乗る。
紀元前220年
編集→詳細は「紀元前220年」を参照
- 第二次イリュリア戦争が勃発( - 紀元前219年)
- 10月末から11月初めまでの間に、アルシノエ3世がプトレマイオス4世と結婚し、エジプト女王となる( - 紀元前204年)
誕生
編集- 紀元前229年
- ルキウス・アエミリウス・パウルス・マケドニクス、共和政ローマの元老院議員(+ 紀元前160年)
- 胡亥?、秦の第2代皇帝(+ 紀元前207年)
- 紀元前228年
- ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌス、共和政ローマの軍人、元老院議員(+ 紀元前174年)
- プルシアス1世、ビテュニアの第6代国王(+ 紀元前182年?)
- 紀元前227年
- プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ、共和政ローマの執政官(+ 紀元前171年?)
- 紀元前220年
- アッタロス2世、アッタロス朝ペルガモン王国第4代国王(+ 紀元前138年)
- パクウィウス、ローマの悲劇詩人(+ 紀元前130年)
- サモトラケのアリスタルコス?、古代ギリシャの文法学者(+ 紀元前143年頃)
死去
編集- 紀元前229年
- 紀元前228年
- 紀元前227年
- 紀元前226年
- セレウコス2世、セレウコス朝の第4代国王
- アンティオコス・ヒエラクス、セレウコス2世の弟
- 紀元前225年
- トローアスのリュコン、古代ギリシアの哲学者(* 紀元前299年)
- ガイウス・アティリウス・レグルス、共和政ローマの執政官
- 紀元前223年
- 紀元前222年
- 紀元前221年
- 紀元前220年
脚注
編集注釈
出典
関連項目
編集外部リンク
編集- ウィキメディア・コモンズには、紀元前220年代に関するカテゴリがあります。