立石 定夫(たていし さだお、1928年昭和3年)2月29日[1] - 1995年平成7年)6月8日[1])は、日本政治家弁護士、歴史研究家。第8代福山市長(3期)。

立石 定夫
たていし さだお
生年月日 1928年2月29日
出生地 広島県福山市
没年月日 (1995-06-08) 1995年6月8日(67歳没)
出身校 同志社大学法学部
所属政党 無所属

当選回数 3回
在任期間 1970年5月12日 - 1979年7月28日

当選回数 2回
在任期間 1963年4月30日 - 1970年
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人物

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広島県福山市東堀端町(現・福山市城見町)に生まれる。1945年(昭和20年)、広島県立福山誠之館中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)卒業。1948年(昭和23年)、旧制広島高等学校卒業。1951年(昭和26年)、同志社大学法学部卒業[2]

1955年(昭和30年)4月、弁護士を開業。1960年(昭和35年)4月、広島弁護士会福山地区会会長に就任。

1963年(昭和37年)4月、広島県議会議員に初当選。1967年(昭和42年)に再選。

1970年(昭和45年)4月25日に行われた福山市長選挙に立候補。徳永豊市長や市議会多数派の公政会の支援を受けた前助役の上田政雄らを破り、初当選した[3]

3選した年の翌1979年(昭和54年)5月、保守系市議21人が連名で、立石に次期衆院選への立候補を促す推薦状を手渡す。同年7月28日付で市長を辞職[4]。同年10月7日に行われた第35回衆院選旧広島3区から自民党公認で出馬するが落選。

1983年(昭和58年)8月21日に行われた福山市長選挙で返り咲きを狙うも落選[5]

1985年(昭和60年)7月、福山ワシントンホテル代表取締役に就任した[2]1995年(平成7年)6月8日[6]

市長職を退いた後は、水野勝成島津義弘杉原盛重、藤井皓玄、備前国の宇喜多氏など戦国時代の武将、人物についての歴史書を多数著した。

脚注

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  1. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、347頁。
  2. ^ a b 誠之館人物誌「立石定夫」福山市長(第8代)、弁護士、歴史研究家、茶道家
  3. ^ 中国新聞」1970年4月27日。『福山市史 近代現代資料編Ⅰ 政治・行財政』に転載。
  4. ^ 山陽新聞」1979年7月26日。『福山市史 近代現代資料編Ⅰ 政治・行財政』に転載。
  5. ^ 朝日新聞」1983年8月23日。『福山市史 近代現代資料編Ⅰ 政治・行財政』に転載。
  6. ^ 備陽史探訪:66号(立石定夫先生追悼号)

参考文献

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  • 『福山市史 近代現代資料編Ⅰ 政治・行財政』 福山市、2013年3月29日。
  • 立石定夫 『あしあと 立石定夫の生涯』 立石事務所刊、1994年8月10日。