石田乙五郎
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石田 乙五郎(いしだ おとごろう、1892年(明治25年)1月18日 - 1977年(昭和52年)3月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は中将。憲兵司令部本部長。戦後、A級戦犯として逮捕された。
石田 乙五郎 | |
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生誕 |
1892年1月18日 日本 広島県 |
死没 | 1977年3月7日(85歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1913年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
除隊後 | A級戦犯として逮捕 |
経歴
編集1913年、陸軍士官学校(25期)を卒業して陸軍少尉となる。
1930年、牛込憲兵分隊長、1935年、羅南憲兵隊長 となる。 1938年、陸軍大佐となり、支那駐屯憲兵隊警務部長に就任。
1941年、台湾憲兵隊長、1942年、陸軍少将・台湾憲兵隊司令官となる。1944年、陸軍憲兵学校長、憲兵司令部本部長となる。1945年4月30日、陸軍中将となる。
1945年8月15日、終戦の日に大阪憲兵隊に留置されていた米軍捕虜搭乗員5人が真田山墓地で2人が斬首、3人が銃殺され、埋められる。同年12月、連合国より第三次戦犯指名され、A級戦犯として逮捕され収監。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]。
栄典
編集- 位階