石川興二
石川 興二(いしかわ こうじ 1892年5月16日 - 1976年3月25日)は、昭和時代に活動した日本の経済学者、教育者。経済学博士(京都帝国大学)。京都大学名誉教授。
人物情報 | |
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生誕 | 1892年5月16日 |
死没 | 1976年3月25日(83歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 京都帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 経済哲学、経済学史 |
研究機関 |
京都帝国大学 人文科学研究所 京都学芸大学 京都女子大学 |
学位 | 経済学博士(京都帝国大学) |
称号 | 京都大学名誉教授 |
経歴
編集第六高等学校を経て、1917年に京都帝国大学法科大学政治経済科を卒業[1]。在学時には西田幾多郎の指導を受け、日本では先例のない経済哲学を研究した。経済学は河上肇を師として慕った。1920年より京都帝国大学経済学部講師、彦根高等商業学校教授を務め、1926年から京都帝国大学経済学部助教授、次いで1930年には教授となった。同年、同大学経済学博士[2]。1937年から評議員として大学運営に参画、1939年に経済学部長に就任。1943年には著書『新体制の指導原理』(1940年)の記述内容が帝国議会に於いて問題視され休職処分を受けている(いわゆる石川事件)[3]。戦後は一時公職追放となったが[4]、解除された1952年に京都大学名誉教授となり、京都学芸大学、 京都女子大学で講じた[5]。
1976年3月25日、脳軟化症のため京都大学医学部附属病院にて死去。83歳。告別式は京都市左京区の常光院にて行われた[6]。
受章歴
編集主著
編集- 『精神科学的経済学の基礎問題:経済学祖アリストテレス並に経済学父アダム・スミスに於ける』弘文堂書房、1930年。
- 『新体制の指導原理:我国体に基く現代の革新』有斐閣、1940年。
- 『第三の経済学』有斐閣、1963年。
編著
編集- 『西田先生による西田哲学への道:今日の世界に自覚的に生きるために』1967年。
脚注
編集- ^ 京都大学 歴代総長・教授・助教授履歴検索システム ―対象:1949年以前の在職者―
- ^ NAID 500000494893
- ^ 岡田知弘 2019, pp. 51–52.
- ^ 岡田知弘 2019, p. 57.
- ^ a b 東京大学経済学会「故石川興二名誉教授・哀辞」『經濟論叢』第118巻第3-4号、京都大學經濟學會、1976年9月、CRID 1050282677090168960、hdl:2433/133672、ISSN 0013-0273、2024年8月21日閲覧。
- ^ 訃報欄『朝日新聞』1976年(昭和51年)3月26日夕刊、3版、11面
- ^ 『官報』第12568号、1968年(昭和43年)11月4日、p.12
- ^ 『官報』第14783号、1976年(昭和51年)4月17日、p.13
参考文献
編集- 鈴木一典「『第三の経済学』の生誕:石川興二の人と思想」『大学院紀要』第56巻、法政大学大学院、2006年3月、219-230頁、doi:10.15002/00020688。
- 岡田知弘「【特集】経済学部の成立と日本の学知:京都帝国大学経済学部の教育研究活動と国家・社会」『大原社会問題研究所雑誌』No.734、法政大学大原社会問題研究所、2019年12月、29-57頁、doi:10.15002/00023168。