真名杏樹
真名 杏樹(まな あんじゅ、3月22日[1] - )は、日本の女性作詞家。東京都出身。
真名 杏樹 | |
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出生名 | 福田 三月子 |
出身地 | 日本 東京都 |
学歴 | 学習院女子高等科卒業 |
ジャンル | ポップス、J-POP、アニメソング |
職業 | 作詞家 |
活動期間 | 1985年 - |
人物・来歴
編集10代から作詞・作曲を始め、高校卒業後に詞・曲のデモテープをいとこのスタジオで作り始める。楽曲の一つが白鶴酒造のCMイメージソングに選ばれ、当時電通の社員だった新井満の勧めで、自ら作詞・作曲を手掛けたシングルレコード「優しい時の流れに」がビクター音楽産業から本名の ″福田三月子″ 名義でリリースした。同じ頃にコマーシャル音楽の制作会社に入社し、ディレクター見習いとして働き始め、江崎グリコ、大阪ガス、象印など多くのCM音楽を手掛ける[1]。その後、戸川純のアルバム『極東慰安唱歌』に詞を書いてみないかと声が掛かり、「極東花嫁」を提供したことがきっかけで、作家事務所・株式会社フロムイーストに所属し作詞家としてプロデビューを果たす。フロムイーストを退社後、株式会社K.S.Pに移籍し、10年間所属したのちに独立する[2]。
詞を提供した代表的な作品として、1991年にリリースされた織田裕二のシングル「歌えなかったラヴ・ソング」、1995年リリースの岡本真夜のデビューシングル「TOMORROW」(岡本との共作)などがあり、いずれも大ヒットを記録した。ほか西城秀樹、アン・ルイス、山本潤子、和田アキ子、坂本冬美、BEGIN、SMAP、KinKi Kidsなど、多数の作詞を手掛ける以外にも、NHKラジオ第2放送「お話でてこい」の「きいろいバケツ」等の脚本を手掛けるなど、活動は多岐に亘る[1]。現在はフリーランスとして活動している。
主な作詞
編集- 「NIGHT DANCER」(1989年)
- 「殉愛」(1988年)
- 「笑顔の花」(2023年)
- 「恋なのにね」(1989年)
- 「Do "Yo" Body!」(1992年)
- 「マネキン」「Thanks」(1989年)
- 「TOMORROW」(1995年/岡本との共作詞)「サヨナラなんて言えないから」(1996年/岡本との共作詞)
- 「歌えなかったラヴ・ソング」「現在、この瞬間から」(1991年)「KODO−鼓動−」(1992年)
- 「愛なんてコトバじゃ言えない」(1998年)
- 「恋に恋するサカナたち」(1989年)「雲のように風のように」(1990年)
- 「元気ですか…」(1996年)
- 「TOKYOかくれんぼ」(1996年)
- 「砂の男」(1990年)
- 「さよならの恋人」(1991年)「悲しくて眠れない」「これから海へ行こうよ」(1993年)
- 「真夜中のサブリナ」「眠れぬ森の美女」(1988年)「悲しみよこんにちは」「Rosé」(1989年)
- 「キミはどんとくらい」「サヨナラを言わせないで」(1987年)
- 「In This Love」(1995年)
- 「極東花嫁」(戸川純ユニット)(1985年)
- 「ラジャ・マハラジャー」- NHK「みんなのうた」(1985年/″福田三月子″名義での作詞)
- 「Wet Wet」(1990年)
- 「水彩画」(1990年)
- 「YOU」(BEGINとの共作詞)「太陽のチルドレン」(1991年)
- 「あなたが宇宙 〜BY MY SIDE〜」「サスペンスに接吻(くちづけ)」(1990年)
- 「世界中の時計を止めて」(1988年)
- 「君はどこにいるの」「ナヴィのはじめて物語」(1989年)
- 「OFF LIMITな夜」「Video Days」(1990年)
- 「HELP ME PLEASE」(1988年/朝倉光洋との共作)
- 「City Rambler」(1992年)
- 「Because of rain」「プラチナとダイアモンド」「自由」(1997年)
- 「Everybody Shake」(2001年)
アニメーション関連
編集- 「不思議の国のスイートミント」「パラダイスGOGO」「ミントの夢旅行」(1990年)
- 「天使たちは眠れない」(1990年)
- 「See You Again」(1990年)
- 「Say, Yes!」(1990年)
- 「猫にMATATABI」(1990年)
脚注
編集出典
編集- ^ a b c “真名 杏樹 BIOGRAPHY”. aosis records. ビクターエンタテインメント. 2024年7月21日閲覧。
- ^ a b “言葉の達人/作詞家:真名杏樹さん”. 歌ネット. 2024年7月21日閲覧。