海尉
海尉(かいい)とは
海尉の階級の位置付け
編集19世紀半ばに至るまで、海軍士官の階級はその配置と連動していた。イギリス海軍においてはアドミラル(Admiral(提督);艦隊の指揮官)、コモドー[注釈 1](Commodore(代将);戦隊(小艦隊)の指揮官)、ポスト・キャプテン(Post Captain(勅任艦長);大型および中型軍艦の指揮官[注釈 2])、コマンダー(Commander(海尉艦長);小型軍艦の指揮官[注釈 3] [注釈 4])、コマンディング・レフテナント(Commanding Lieutenant(軍艦を指揮する海尉);艦の指揮権を一時的に付与された士官)、レフテナント[注釈 5](Lieutenant(海尉);艦の指揮権を持たない士官[注釈 6])となる。フランス海軍やアメリカ海軍などのようにレフテナントの下にエンスン(Ensign)という階級を置く海軍もあった。
軍艦には艦長は1名しかいないが、士官(海尉)は複数名いるのが通常である。この場合、その中の序列は先任順(レフテナントに任官して海軍士官名簿に登録された順)に拠り、上席から1等海尉(First Lieutenant)、2等海尉(Second Lieutenant)のように呼ばれた。これはあくまで艦内(ないし海軍士官の中での)の席次である。そのため、例えば小型艦の2等海尉が士官のたくさんいる大型艦に異動すると3等以下の海尉になる、というようなこともあった。
1等海尉は艦の次席として「副長」とも呼ばれ、艦長の不在時にはその任務を代行する責任と権限を持っていた。今日でもイギリス海軍の副長は「ナンバー・ワン(Number One)」という別名で呼ばれることがある。
1766年にジェームズ・クックが金星の日面通過の観測を目的に南太平洋へ派遣された際、士官待遇だが公式の指揮権を有さない航海長から直接にコマンディング・レフテナントに任命され、エンデバー号の指揮官となった。この航海からの帰還後、功績を認められて海尉艦長に昇進した。
訳語としての海尉
編集「海尉」という訳語は、翻訳家の高橋泰邦が帆船時代を舞台にした海洋冒険小説「ホーンブロワーシリーズ」(セシル・スコット・フォレスター著)を日本語に翻訳するに当たって、当時の軍隊の階級制度のあり方が現代のそれと大きく異なっていて「大尉」「中尉」などと呼ぶのが不適切であることに気づき、「Lieutenant」の訳語として造語したものである[7]。
その後、オーブリー&マチュリンシリーズなど帆船時代の海洋冒険小説においても、「勅任艦長」(Post Captain)、「海尉艦長」(Commander)など[注釈 7]とともに訳語として定着した。
脚注
編集注釈
編集- ^ 指揮官として独立している場合と、戦隊の先任艦長が務める場合とがある。大日本帝国海軍ではコモドーに相当する階級はなく、後者のケース(先任艦長が代将旗を掲げて戦隊の指揮を執る)しかなかった。1886年(明治19年)の閣議に参考資料として提出された英国陸海軍武官官等比較表の注釈に「小艦隊司令官(コモドル)アリ少将心得に当レトモ官名ニアラサルカ如シ我国ノ大佐ニ相当ス」とある[1]。
- ^ REGULATIONS AND INSTRUCTIONS RELATING TO HIS MAJESTY'S AT SEA(海軍本部規則書)の追加規則では、職位3年を過ぎた勅任艦長は国王規則により陸軍大佐と同格、それ以外の勅任艦長は同じく陸軍中佐と同格とされている。 また、1872年2月20日(明治5年1月12日)に日本の兵部省が定めた外国と国内の海軍武官の呼称でもシニヲル・ケプテインを大佐に、ジューニヲル・ケプテインを中佐に対応させている[2][3]。1886年(明治19年)に外国海軍で同一の官であるものが日本では異なる官名に別れていると外交上不都合が多いとして海軍中佐と海軍中尉を廃止しており、そのときの閣議に参考資料として提出された英国陸海軍武官官等比較表でも大(中)佐はケピテンとしている[1]。
- ^ Universal Dictionary of Marine(1780年度版)では、陸軍少佐と同格とされている。 また、1872年2月20日(明治5年1月12日)に日本の兵部省が定めた外国と国内の海軍武官の呼称でもコマンドルを少佐に対応させている[2]。1886年(明治19年)の閣議に参考資料として提出された英国陸海軍武官官等比較表でも少佐はコマンドルとしている[1]。
- ^ 1872年(明治5年)の海軍省刊本である英国海軍官名録では英語の Commander コマンドルに「准艦長」を充てている[4]。 1881年(明治14年)の五国対照兵語字書でも フランス語: Officier commandant、ドイツ語: Befehlshaber、英語: Commander、オランダ語: Bevelhebber に「准艦長」を充てている[5]。
- ^ Lieutenant は、イギリス英語ではレフテナント、アメリカ英語ではルテナントのように発音する。
- ^ 1872年(明治5年)の海軍省刊本である英国海軍官名録では英語の Lieutenant リウテナントに「艦士」を充て、Sub-Lieutenant サブリウテナントに「二等艦士」を充てている[4]。 1881年(明治14年)の五国対照兵語字書では フランス語: Lieutenat en pied、ドイツ語: Derjenige Officier eins Kriegsschiffes, welcher dem Befehlshaber zunächst im Range und Commando folgt、英語: First lieutenant of a man-of-war、オランダ語: Eerste Officier に「艦士」を充てている[6]。
- ^ なお、『砲艦ホットスパー』の翻訳を担当した菊池光はホーンブロワーが勅任艦長に昇進する場面で、Post Captain を「海佐」、Commander を「准海佐」と訳しており、軍事専門誌ではこちらを使うケースも見られる。これは職としての艦長は Commanding Officer と呼称するため、明確に区別する必要性から[8]。
出典
編集- ^ a b c 「海軍武官官等表ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15111142400、公文類聚・第十編・明治十九年・第十四巻・兵制三・陸海軍官制三(国立公文書館)(第1画像目、第7画像目から第8画像目まで)
- ^ a b 内閣官報局「海軍元帥ヨリ水夫マテ彼我ノ称呼ヲ定ム 明治5年正月12日 兵部省」『法令全書』 明治5年、内閣官報局、東京、1889年1月26日、789-790頁。doi:10.11501/787952。NDLJP:787952/453。
- ^ 「海軍武官彼我ノ称呼ヲ定ム」国立公文書館、請求番号:太00432100、件名番号:003、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百十巻・兵制九・武官職制九
- ^ a b 「海軍官名諸艦船トモ英国海軍官名録ノ通リ唱ヘシム」国立公文書館、請求番号:太00432100、件名番号:004、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百十巻・兵制九・武官職制九(第3画像目)
- ^ 室岡峻徳、若藤宗則、矢島玄四郎 ほか 編『五国対照兵語字書』 〔本編〕、参謀本部、東京、1881年2月、682頁。NDLJP:842999/350。
- ^ 室岡峻徳、若藤宗則、矢島玄四郎 ほか 編『五国対照兵語字書』 〔本編〕、参謀本部、東京、1881年2月、588頁。NDLJP:842999/303。
- ^ セシル・スコット・フォレスター『スペイン要塞を撃滅せよ』(Lieutenant Hornblower)(ハヤカワ文庫)あとがき。
- ^ 英国海軍その他順風満帆ホーンブロワー・ファンサイト