浅野氏

日本の氏族
浅野家から転送)

浅野氏(あさのし、旧字体淺野氏)は、武家華族を出した日本氏族関白豊臣秀吉正室北政所の養家だった家で浅野長吉(長政)が秀吉の下で大名として台頭。宗家は江戸時代に安芸広島藩(はじめ紀伊和歌山藩)主となり、分家に三次藩広島新田藩主、別家[1]播磨赤穂藩主(はじめ常陸笠間藩主)があった。赤穂浅野家は忠臣蔵で有名である。明治維新後、宗家は華族侯爵家に列する[2]通字は「」(広島藩は「」も使用)。家紋は「違い鷹の羽」であるが、宗家のみ、羽に渦巻きが入った「芸州鷹の羽」という家紋を使う。

浅野氏
家紋
浅野違い鷹の羽あさの ちがい たかのは
本姓 清和源氏土岐氏流
家祖 土岐光時
種別 武家
華族侯爵
出身地 美濃国土岐郡浅野村?
尾張国丹羽郡浅野村?
主な根拠地 美濃国
尾張国
紀伊国
安芸国
東京市本郷区
著名な人物 浅野長政
浅野長矩(内匠頭)
浅野長勲
支流、分家 赤穂浅野家(武家,士族)
三次浅野家(武家)
青山浅野家(武家)
三原浅野家(武家,男爵)
東城浅野家(武家,男爵)
浅野養長家(男爵)
凡例 / Category:日本の氏族

出自・血統

編集

尊卑分脈』によれば、清和源氏源頼光の孫・光信は、美濃国土岐郡に住んで土岐氏と称した。

その曾孫の土岐光行が同郡に浅野館を築いて浅野判官と称し、その子孫や弟光時が浅野氏を称するようになったという[3]

『寛永修諸家系図伝』では、広島藩主の浅野氏を光時の子孫であるとしているが、信憑性は不明[3]

宗家

編集

戦国から安土桃山期

編集

『寛永修諸家系図伝』によれば、浅野氏は尾張国丹羽郡浅野荘を本拠としており、浅野長勝織田信長に仕え、早くから秀吉に属していたという[4]

尾張国春日井郡北野[5]宮後城主・安井重継の子として生まれた浅野長吉(長政)は、長勝の婿養子となり[4]、同じく杉原定利から浅野家へ養子に出されたおねとのちに関白となる木下藤吉郎(秀吉)との婚姻によって、浅野長政と秀吉は義理の兄弟となった[4]。長政は秀吉の信任を得て大名に出世し、豊臣政権下において五奉行の一員に任ぜられた[4]

1583年に近江国において2万石を与えられてはじめて大名となり[3]、1587年の九州征伐後に若狭一国を与えられる[6]文禄の役では長政は軍監として朝鮮に渡っており、その戦功で1593年に長政と幸長の父子に甲斐一国21万石余(長政5万5000石、幸長16万石)が与えられた[6][7]

江戸時代

編集

関ヶ原の戦いの際に幸長は徳川家康に付き功を挙げたことによって37万6560石で紀伊国和歌山に移封となった[3][7]。幸長の跡は嫡男の長晟が継いだ。1619年元和5年)に安芸国広島藩福島正則が無断で石垣の修復工事をしたとして改易になった後、代わって長晟が42万6千石で安芸国に入封した[8]。以降浅野宗家の安芸国における領国支配は明治維新まで続いた[9]

幕末薩長同盟が成立すると浅野家の広島藩もこれに加わって薩長芸三藩同盟を締結し[10]、倒幕に踏み切った。その一方で徳川慶喜大政奉還の建白書を提出するなどしたため、日和見藩と不信を買い、浅野家はその中枢からは除外される形となった[11]

しかし戊辰戦争では官軍として奮戦し、広島藩士から成る応変隊、足軽の銃隊、庶民が主力の神機隊などの広島藩軍は会津藩軍や仙台藩軍との交戦で激戦を繰り広げた。広島藩は戊辰戦争出兵数2272人のうち戦死78人、戦傷118人を出した。戦死者の中には広島護国神社の祭神となっている神機隊隊士の高間省三もいる[12]。藩が所有する汽船も出動し、万年号と達観号は奥州方面へ、豊安号は蝦夷地へ派遣された[12]

明治以降

編集

浅野家の官軍への貢献により維新後の1869年明治2年)には1万5000石の賞典禄が下賜された。同年2月に長勲が最後の藩主に就任した[13]。同年、薩長土肥四藩主が版籍奉還を建白すると長勲も続いた。版籍奉還により6月、長勲は広島知藩事に任命され、1871年(明治4年)の廃藩置県まで務めた[14][3]。長勲は、廃藩置県後も元老院議官や駐イタリア公使、宮内省華族局長官など要職を歴任し、96歳の1937年(昭和12年)まで存命した長寿だった[15]

版籍奉還の際に定められた家禄は、現米で2万5837石[16][17][注釈 1]

1876年(明治9年)に家禄(2万5837石)と賞典禄(実額3750石)の合計2万9587石と引き換えに支給された金禄公債の額は63万5432円60銭で受給者中8位(1位島津公爵家132万2845円、2位前田侯爵家119万4077円、3位毛利公爵家110万7755円、4位細川侯爵家78万280円、5位尾張徳川侯爵家73万8326円、6位紀州徳川侯爵家70万6110円、7位山内侯爵家66万8200円に次ぐ)[19][17]

1884年(明治17年)の華族令発布とともに旧大藩知事(旧広島藩の現米は25万8370石で現米15万石以上の大藩に該当)として侯爵に列した[20]。さらに1888年(明治21年)には分家の浅野養長1900年(明治33年)には一門家老だった三原浅野家浅野忠純東城浅野家浅野守夫男爵に列した[21]

浅野長勲侯爵は華族銀行と呼ばれた十五銀行の頭取を務め、1896年時には日本鉄道の株を10万8318株保有して最大株主になっている(2位の三菱合資会社の岩崎久弥の2万5796株を大きく引き離している)[22]1898年(明治31年)の高額所得者ランキングで浅野侯爵家は11位でランクインしている(旧武家華族では3位前田侯爵家、5位島津公爵家、7位毛利公爵家、9位紀州徳川侯爵家、10位高松松平伯爵家に次ぐ)[23]

大正12年には長勲の幕末・維新期の功績、及び公共事業への功績から浅野家の爵位を公爵に陞爵させるよう内閣総理大臣山本権兵衛に請願が行われているが、不許可となっている[24]

浅野侯爵家の邸宅は昭和前期には東京市本郷区向ヶ丘弥生にあった[25]

昭和12年2月1日に長勲が死去した後、養子の長之浅野懋績九男)が侯爵位と家督を相続[26]

長之は昭和15年12月20日に隠居し、長男の長武が侯爵位と家督を相続した[26]。長武は東京国立博物館長を務めた[26]。長武の先妻寧子伏見宮博恭王第一王女。大正6年に寧子と死別した後に迎えた後妻の安子は、山階宮菊麿王第一王女[26]

分家

編集

三次浅野家

編集
浅野長晟庶長子浅野長治を祖とする。1632年寛永9年)、三次郡・恵蘇郡内5万石を分知され、三次郡に居館を建てて支配した(備後三次藩主家)。
3代長経は1719年享保4年)に死去し、無嗣のため所領は宗家に返還されたが、長経の弟・長寔に改めて5万石を分知された。しかし、翌年長寔も死去したため、1720年享保5年)に絶家となった[10]
なお、赤穂3代藩主浅野内匠頭の正室阿久里は初代長治の娘である[10]

青山浅野家

編集
宗家5代浅野綱長の三男・長賢が、1730年享保15年)に兄で宗家6代吉長から3万石を分知され分家した(広島新田藩)。定府江戸常駐)の大名として列せられ[10]、藩主家は江戸屋敷の所在地から青山浅野家(青山内証分家)と呼ばれた。
1862年文久2年)6代長興(のちの宗家13代長勲)が宗家を継いだため、翌年1863年(文久3年)に長厚が家督を継ぎ、翌年安芸国に帰郷して吉田郡吉田郡山城跡の山麓に「御本館」(吉田陣屋)を建てて居住した。1869年明治2年)に新田藩は宗家と併合した。[10]なお、その際に当主が華族の地位を返上したため1884年(明治17年)に華族令が出た際には華族でなくなっていたので旧広島新田藩主浅野家には叙爵がなかった[27]

浅野養長家

編集
浅野長懋八男養長浅野長勲侯爵の実弟)を家祖として明治時代に成立した浅野侯爵家の分家華族[28]
『授爵録』(明治21年)によれば、明治21年10月21日に長勲侯爵、および宗族の土井利与子爵、阿部正桓伯爵の3名が連名で宮内大臣土方久元に宛てて、実弟虎松(養長の幼名)に華族の体面を維持できるための財産を分与したうえで分家させたいので、彼にも華族の爵位を賜りたいという請願書を提出。宮内省で審議が行われたが、長勲は積年勤王の志をもち、戊辰の役では大軍を東北に出して藩屏の任に尽した功績があること、また議定・参与の重責を果たした功績もあることから、弟にも特旨をもって華族の男爵位を授ける裁可を仰ぐべきと結論された[24]
広島藩の維新の功労が認められる形で11月1日付けで授男爵。これに伴い、同月6日に虎松は養長と改名[24]。昭和前期に浅野養長男爵家の住居は東京市小石川区茗荷谷町にあった[29]
昭和16年3月5日に養長が死去すると、阿部正直伯爵の三男正昭が養子として男爵位と家督を相続した[28]

別家

編集

赤穂浅野家

編集
関ヶ原の戦いで戦功を挙げた浅野長政は、隠居料として常陸真壁・筑波5万石の領地を得たが、1611年慶長16年)9月7日に死去し、三男の長重(当時、真岡藩主)がその隠居料を継いだ。公収によって真岡と真壁を合わせて領したが、1622年元和8年)に常陸国笠間藩に移封[10]。長直の代に播磨国赤穂、加西、加東、作用の4郡、53,500石で移封された(播磨国赤穂藩)。しかし3代長矩(内匠頭)の代のとき、江戸城内での長矩の吉良義央への殿中刃傷事件で改易となり、『忠臣蔵』で知られる赤穂事件が起きるきっかけとなった[10]
その後、広島浅野宗家にお預けとなっていた浅野長矩の弟の浅野長広が宝永6年(1709年)8月20日に将軍綱吉の死去に伴う大赦で許され、宝永7年(1710年)9月16日に改めて安房国朝夷郡・平郡に500石の所領を与えられ、旗本に復した。またこれとは別に、浅野宗家からも300石を支給され続けた。これにより、赤穂浅野家は旗本ながら御家再興を果たした。
以降、旗本として存続し、明治維新を迎えた。維新後の明治元年(1868年)9月23日からは徳川幕府の推挙により、明治天皇より改めて禄高300俵を賜り[30]浅野長栄は弁官の支配とされた。赤穂浅野家は、長栄の孫である長楽の代まで続いたが、浅野長楽が妻帯せぬまま、1986年(昭和61年)に病死したため、赤穂浅野家は断絶した[31]

若狭野浅野家

編集
赤穂浅野家の分家旗本。浅野長恒が1671年に兄・長友から赤穂郡相生村三千石を分与されて成立。

家原浅野家

編集
家原浅野家
赤穂浅野家の分家旗本。浅野長賢が同年、加東郡[32]家原三千五百石を分与されて成立。

歴代当主

編集

浅野宗家

編集
代数 肖像 名前
(生没年)
続柄 位階 備考 息子
浅野長勝より前は伝説に近く信憑性がないため省略。
13   浅野長勝
(?-1575年?)
14   浅野長政
(1547年-1611年)
先代の養子
(安井重継の子)
従四位下
(1910年従三位追贈)
初名:浅野長吉
豊臣政権五奉行
常陸真壁藩
浅野幸長(長男・紀州藩主)
浅野長晟(次男・広島藩主)
浅野長重(三男・真壁藩主→笠間藩主)
15   浅野幸長
(1576年-1613年)
先代の長男 従四位下
(1915年従三位追贈)
初名:浅野長慶
紀伊和歌山藩
16   浅野長晟
(1586年-1632年)
先代の弟
(浅野長政の次男)
従四位下 紀伊和歌山藩
安芸広島藩
浅野長治(庶長子・三次藩主)
浅野光晟(次男・広島藩主)
17   浅野光晟
(1617年-1693年)
先代の長男 従四位下 安芸広島藩主 浅野綱晟(長男・広島藩主)
浅野長照(三男・三次藩主)
18   浅野綱晟
(1637年-1673年)
先代の長男 従四位下 安芸広島藩主 浅野綱長(長男・広島藩主)
浅野長澄(次男・三次藩主)
19   浅野綱長
(1659年-1708年)
先代の長男 従四位下 安芸広島藩主 浅野吉長(長男・広島藩主)
浅野長賢(三男・広島新田藩主)
中川久慶(四男・岡藩主)
20   浅野吉長
(1681年-1752年)
先代の長男 従四位下 安芸広島藩主 浅野宗恒(長男・広島藩主)
21   浅野宗恒
(1717年-1788年)
先代の長男 従四位下 安芸広島藩主 浅野重晟(長男・広島藩主)
水野忠鼎(次男・唐津藩主)
浅野長員(三男・広島新田藩主)
22   浅野重晟
(1743年-1814年)
先代の長男 従四位下 安芸広島藩主 浅野斉賢(次男・広島藩主)
森快温(三男・三日月藩主)
浅野忠順(七男・三原浅野家養子)
23   浅野斉賢
(1773年-1831年)
先代の長男 従四位下 安芸広島藩主 浅野斉粛(長男・広島藩主)
24   浅野斉粛
(1817年-1868年)
先代の長男 従四位下 安芸広島藩主 浅野慶熾(長男・広島藩主)
25   浅野慶熾
(1836年-1858年)
先代の長男 従四位下 安芸広島藩主
26   浅野長訓
(1812年-1872年)
先代の養子
(浅野長懋の五男)
従四位下 名前は長訓→茂長→長訓
広島新田藩主→安芸広島藩主
浅野長勲(長男・侯爵)
27   浅野長勲
(1842年-1937年)
先代の養子
(浅野懋昭の長男)
従一位 名前は長興→茂勲→長勲
広島新田藩主→広島藩主→同知藩事
駐イタリア公使
貴族院議員
侯爵
28   浅野長之
(1864年-1947年)
先代の養子
(浅野懋績の九男)
正三位[25] 宮内省官僚
十五銀行取締
貴族院議員
侯爵
浅野長武(長男・侯爵)
大河内輝信(次男)
浅野鐵馬(三男・男爵)
29   浅野長武
(1895年-1964年)
先代の長男 東京国立博物館長
貴族院議員
侯爵
浅野長愛(長男)
山階芳正(次男)
30   浅野長愛
(1927年-2007年)
先代の長男 学習院高等科長及び中等科長
山階鳥類研究所理事長
浅野長孝(長男)
31   浅野長孝
(1956年-存命中)
先代の長男

赤穂浅野家

編集
代数 肖像 名前
(生没年)
続柄 位階 備考 息子
1   浅野長重
(1588年-1632年)
浅野長政の三男 従五位下 常陸真壁藩主→笠間藩 浅野長直(長男・笠間藩主→赤穂藩主)
2   浅野長直
(1610年-1672年)
先代の長男 従五位下 常陸笠間藩主→播磨赤穂藩 浅野長友(長男・赤穂藩主)
浅野長賢(養子・旗本)
浅野長恒(養子・旗本)
3   浅野長友
(1643年-1675年)
先代の長男 従五位下 播磨赤穂藩主 浅野長矩(長男・赤穂藩主)
浅野長広(次男・旗本)
4   浅野長矩
(1667年-1701年)
先代の長男 従五位下 播磨赤穂藩主
「浅野内匠頭
忠臣蔵で著名
5   浅野長広
(1670年-1734年)
先代の弟
(浅野長友の次男)
「浅野大学
旗本
浅野長純(長男)
6   浅野長純
(1707年-1754年)
先代の長男[33] 旗本 浅野長延(長男)
7   浅野長延
(1736年-1792年)
先代の長男[33] 旗本 浅野長貞(長男)
8   浅野長貞
(1747年-1808年)
先代の長男[33] 旗本 浅野長邦(長男)
9   浅野長邦
(1776年-1852年)
先代の長男[33] 旗本 浅野長年(長男)
10   浅野長年
(?-1863年)
先代の長男[33] 旗本 浅野長栄(長男)
11   浅野長栄
(1839年-1889年)
先代の長男[33] 旗本→朝臣 浅野静子(娘)
12   浅野静子 先代の娘[33] 浅野正言(息子)
13   浅野正言 先代の息子[33] 浅野長和(息子)
14   浅野長和 先代の息子[33] 浅野長楽(息子)
15   浅野長楽 先代の息子[33]

三次浅野家

編集
代数 肖像 名前
(生没年)
続柄 位階 備考 息子
1   浅野長治
(1614年-1675年)
浅野長晟の庶長子 従五位下 初代三次藩主
  浅野長尚
(1644年-1666年)
先代の甥
浅野光晟の次男)
従五位下 三次藩主世嗣(未相続)
2   浅野長照
(1652年-1705年)
先代の甥
浅野光晟の三男)
従五位下 2代三次藩主
3   浅野長澄
(1671年-1718年)
先代の甥
浅野綱晟の次男)
従五位下 3代三次藩主
4   浅野長経
(1709年-1719年)
先代の三男 4代三次藩主 除封

系譜

編集
実線は実子、点線(縦)は養子、当主太字、点線(横)は婚姻関係。「長勝」までの系図は伝説に近く極めて信用ならない。
 
杉原家利
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
勝福院[34]
 
 
 
浅野長勝
 
 
 
七曲殿家次朝日殿
 
 
 
定利
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
[諸説3と4]
長生院
 
 
 
長政1[通説]
長生院
高台院木下家定高台院
 
 
 
豊臣秀吉長慶院[通説]
長生院
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
幸長長晟長重
 
 
 
 
 
長晟長直
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
光晟長治長友長賢[35]長恒[36]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
長尚長照長矩長広長武[37]長豊大久保忠高富沢利実
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
綱晟長照長尚長澄長広長時長根長逵長寿
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
綱長長澄長経長寔長純長充[38]長致[39]長哥
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
吉長中川久慶長賢長寔長延長貞小川義長長谷川長熙長富
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
宗恒長喬長貞三枝守春依田長房松前広配長泰
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
重晟水野忠鼎[40]長員長員長容長邦長光
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
斉賢森快温長懋長容長年
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
斉粛懋昭懋績長訓長栄
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
慶熾
 
 
長之長厚長勲静子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
長訓長勲阿部正桓養長長厚正言
 
 
 
 
 
長勲[41]長和
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
長之長道長楽
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
長武大河内輝信
 
 
 
長愛
 
 
 
長孝

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ 明治2年6月17日の版籍奉還時、藩財政と藩知事の個人財産の分離のため、藩の実収入(現米)の十分の一をもって藩知事個人の家禄と定められた[18]

出典

編集
  1. ^ 本家が知行を分与したわけでないため別家に当たる。宇和島伊達や鳥取池田と同じ扱い。
  2. ^ 小田部雄次 2006, p. 322.
  3. ^ a b c d e 日本大百科全書(ニッポニカ)『浅野氏』 - コトバンク
  4. ^ a b c d 久下実 2021, p. 38.
  5. ^ 現在の愛知県北名古屋市
  6. ^ a b 世界大百科事典 第2版『浅野氏』 - コトバンク
  7. ^ a b 新田完三 1984, p. 703.
  8. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)『広島藩』 - コトバンク
  9. ^ 新田完三 1984, p. 704-707.
  10. ^ a b c d e f g 二木謙一監修、工藤寛正編『国別 藩と城下町の辞典』東京堂出版2004年ISBN 4-490-10651-3
  11. ^ 藩名・旧国名がわかる事典『広島藩』 - コトバンク
  12. ^ a b 久下実 2021, p. 196.
  13. ^ 新田完三 1984, p. 707.
  14. ^ 久下実 2021, p. 197.
  15. ^ 新訂 政治家人名事典 明治~昭和『浅野長勲』 - コトバンク
  16. ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会 1985, p. 25.
  17. ^ a b 石川健次郎 1972, p. 36.
  18. ^ 刑部芳則 2014, p. 107.
  19. ^ 小田部雄次 2006, p. 62.
  20. ^ 浅見雅男 1994, p. 110.
  21. ^ 小田部雄次 2006, p. 344/351.
  22. ^ 小田部雄次 2006, p. 97.
  23. ^ 小田部雄次 2006, p. 64.
  24. ^ a b c 松田敬之 2015, p. 52.
  25. ^ a b 華族大鑑刊行会 1990, p. 36.
  26. ^ a b c d 霞会館華族家系大成編輯委員会 1996, p. 25.
  27. ^ 浅見雅男 1994, p. 66.
  28. ^ a b 霞会館華族家系大成編輯委員会 1996, p. 26.
  29. ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 454.
  30. ^ 『冷光君御伝記 播磨赤穂浅野家譜』
  31. ^ 泉岳寺浅野家墓碑
  32. ^ 古代の賀茂郡(加茂郡)が加東郡・加西郡に分割して発足。
  33. ^ a b c d e f g h i j 斎藤茂 1975, pp. 110.
  34. ^ 樋口美濃守の娘。
  35. ^ 交代寄合竹谷松平家当主松平清昌の末子。
  36. ^ 赤穂藩重臣大石良重の長男。
  37. ^ 赤穂藩重臣・大石良重の次男、浅野長恒の実弟。
  38. ^ 藪忠通の三男
  39. ^ 堀直堯の三男
  40. ^ 水野忠邦の祖父
  41. ^ 広島新田藩家督相続後、宗家相続。

参考文献

編集
  • 浅見雅男『華族誕生 名誉と体面の明治』リブロポート、1994年(平成6年)。 
  • 浅野史蹟顕彰会 編『国立国会図書館デジタルコレクション 浅野荘と浅野氏』浅野史蹟顕彰会、1917年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926969/32 国立国会図書館デジタルコレクション 
  • 石川健次郎「明治前期における華族の銀行投資―第15国立銀行の場合―」『大阪大学経済学』第22号、大阪大学経済学部研究科、1972年、27 - 82頁。 
  • 刑部芳則『京都に残った公家たち: 華族の近代』吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー385〉、2014年(平成26年)。ISBN 978-4642057851 
  • 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社中公新書1836〉、2006年(平成18年)。ISBN 978-4121018366 
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『昭和新修華族家系大成 別巻 華族制度資料集』霞会館、1985年(昭和60年)。ISBN 978-4642035859 
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年(平成8年)。ISBN 978-4642036702 
  • 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。ISBN 978-4820540342 
  • 斎藤茂『赤穂義士実纂』赤穂義士実纂頒布会、1975年(昭和50年)。 
  • 新田完三『内閣文庫蔵諸侯年表』東京堂出版、1984年(昭和59年)。 
  • 久下実『広島藩』現代書館〈藩物語〉、2021年(令和3年)。ISBN 978-4768471579 
  • 堀田正敦 編「国立国会図書館デジタルコレクション 浅野氏」『寛政重修諸家譜https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2577366/4 国立国会図書館デジタルコレクション 
  • 松田敬之『〈華族爵位〉請願人名辞典』吉川弘文館、2015年(平成27年)。ISBN 978-4642014724 

関連項目

編集