浅野長友
浅野 長友(あさの ながとも)は、江戸時代前期の大名。播磨国赤穂藩2代藩主。官位は従五位下采女正。
浅野長友像(花岳寺蔵) | |
時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 寛永20年10月3日(1643年11月14日) |
死没 | 延宝3年1月26日(1675年2月20日) |
改名 | 又一郎、長友 |
墓所 | 兵庫県赤穂市の花岳寺 |
官位 | 従五位下采女正 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱 |
藩 | 播磨赤穂藩主 |
氏族 | 浅野氏 |
父母 | 浅野長直、丹羽長重娘 |
兄弟 | 長友、鶴姫、長賢、長恒 |
妻 | 内藤波知 |
子 | 長矩、長広 |
略歴
編集初代藩主・浅野長直の長男として誕生。幼名は又一郎。
明暦3年(1657年)12月17日、祖父長重と同じ従五位下采女正に任官された。寛文11年(1671年)3月5日、父の隠居により家督を相続した。このとき父の命で表高5万3000石の所領のうち、3500石を義兄の長賢に、新田3000石を長恒にそれぞれ分与したため、赤穂藩は5万石となった。寛文12年(1672年)10月、赤穂に初めて入り藩政を執り始めたが、延宝3年(1675年)正月26日、33歳で早世した。墓所は赤穂市の花岳寺。
系譜
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