泉大橋(いずみおおはし)は、京都府木津川市国道24号国道163号京都府道・滋賀県道5号木津信楽線重複区間)上にある木津川に架かるであり、日本百名橋に選ばれている。

泉大橋
泉大橋
基本情報
日本の旗 日本
所在地 木津川市
交差物件 木津川
建設 1951年
座標 北緯34度44分36.3秒 東経135度49分17.8秒 / 北緯34.743417度 東経135.821611度 / 34.743417; 135.821611座標: 北緯34度44分36.3秒 東経135度49分17.8秒 / 北緯34.743417度 東経135.821611度 / 34.743417; 135.821611
構造諸元
形式 カンチレバー式トラス橋
全長 383.6m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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橋の位置
橋の位置
橋の位置
泉大橋の北詰
京都府道801号京都八幡木津自転車道線の終点から見た泉大橋の南詰

概要

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かつて木津川は、泉河とも呼ばれていた。 今日の泉大橋は、1951年に架けられた長さ383.6メートルのカンチレバー(ゲルバー)式トラス橋である。西側には、歩行者・自転車用の橋が隣接し、東側ではJR奈良線鉄道橋がのぞめる。橋の南詰には府道801号京都八幡木津自転車道の終点がある。

歴史

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行基740年(行基年譜)か741年(行基大菩薩行状記)に架けたのが始まりとされる。

恭仁京の建設時には3か所で橋が架けられたが、876年には橋が洪水で流され(日本三代実録)、明治時代の1877年まで橋を架けずに船で渡ったと推定される。

仮設の橋だったこともあり2度にわたり橋が流され、1893年明治26年)京都府費によって初めて両岸をつなぐ橋が架けられた。

1901年(明治34年)には現在の橋より長い594メートルの橋が架けられるが、1917年大正6年)に流されてしまう。

その後、1931年昭和6年)に国費で開通したボウストリングトラス構造の橋を経て、現在ある橋が架けられた。

年表

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  • 1951年昭和26年)3月 - 一級国道24号・二級国道163号大阪四日市線の橋として現在の泉大橋が竣工。
  • 1953年(昭和28年)8月 - 先代の泉大橋(1931年開通)が南山城水害で流出。
  • 1974年(昭和49年)度 - 下流に側道橋(歩道)が竣工[1]

周辺

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脚注

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  1. ^ 建設省近畿地方建設局 京都国道工事事務所「京都国道事務所 40年のあゆみ」2000年3月

参考文献

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  • 松村博『日本百名橋』鹿島出版会
  • 木津町史編纂委員会「木津町史」

関連項目

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外部リンク

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