河野 敏鎌(こうの とがま、旧字体河野 敏󠄀鎌󠄁1844年11月29日天保15年10月20日) - 1895年明治28年)4月24日)は、日本政治家栄典従二位勲一等子爵。幼名は万寿弥(ますや、旧字体萬壽彌)。

河野こうの 敏鎌とがま
河野 敏󠄀鎌󠄁
生年月日 1844年11月29日
天保15年10月20日
出生地 日本の旗 日本土佐国高知
没年月日 (1895-04-24) 1895年4月24日(50歳没)
所属政党 立憲改進党
称号 従二位勲一等瑞宝章
子爵
子女 河野寿男 (子)
親族 河野通好(父)

日本の旗 第5代 文部大臣
内閣 第2次伊藤内閣
在任期間 1892年8月8日 - 1893年3月17日

日本の旗 第3代 司法大臣
内閣 第1次松方内閣
在任期間 1892年6月23日 - 1892年8月8日

日本の旗 第6代 内務大臣
内閣 第1次松方内閣
在任期間 1892年7月14日 - 1892年8月8日

内閣 第1次松方内閣
在任期間 1892年3月14日 - 1892年7月14日

日本の旗 初代 農商務卿
在任期間 1881年4月7日 - 1881年10月20日

その他の職歴
日本の旗 第5代 文部卿
1880年2月28日 - 1881年4月7日)
広島県の旗 初代 広島県参事
1871年11月27日 - 1871年12月26日
広島県の旗 広島県大参事 / 大参事心得
(1871年8月15日 - 1871年11月
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経歴

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天保15年(1844年)10月、土佐藩郷士河野通好の長男として高知に生まれる。安政5年(1858年)3月、江戸へ遊学して安井息軒の門下となり、文久元年(1861年)に帰国。土佐勤王党に加入して武市半平太坂本龍馬らと交友関係を持つ。文久2年(1862年)、五十人組に参加し京都と江戸の間を往来して国事に奔走した。ところが文久3年(1863年)に藩主・山内容堂佐幕派に鞍替えしたことから藩論が転換、このため投獄され6年間の獄中生活を送る。その際、厳しい拷問にも耐えて同志を守り通したと伝えられる。永牢の宣告を受けたが、河野は逆にこれを誇りにしたという。

慶応4年(1868)に江戸幕府が崩壊して明治維新がはじまると、罪を免じられて出獄。同藩の後藤象二郎の手引きで大坂に上り、江藤新平の知遇を得る。明治2年(1869年)4月に侍詔局出仕、のちに広島県大参事、司法大丞兼大検事となる。

明治5年 (1872年)に司法少丞として岸良兼養、川路利良、井上毅、鶴田皓ら8名の理事官とフランスの司法制度調査のため岩倉遣外使節団として渡欧。パリでボアソナードの講義をうけ、政府の法律顧問として招聘する契約に立ち会う。

明治7年(1874年)に勃発した佐賀の乱では、三権を統括して対処した初代内務卿大久保利通のもと、権大判事として裁判に従事。

明治8年(1875年)に元老院議官、明治11年(1878年)には元老院副議長となる。

明治13年(1880年)3月、文部卿として教育令改正に着手、12月には改正教育令を公布する。

明治14年(1881年)、農商務省設立に伴って初代農商務卿に就任するが、明治十四年の政変大隈重信らに同調して下野した。明治15年(1882年)4月、大隈らとともに立憲改進党を結党して副総理(副党首)になる。

明治19年1886年10月17日 - 1888年5月5日 東京株式取引所頭取

明治21年(1888年)に枢密顧問官として憲法の審議にあたる。その後第1次松方内閣内務大臣司法大臣農商務大臣を歴任、第2次伊藤内閣では文部大臣に就任して文部行政の基礎を確立した。

明治26年(1893年)10月30日[1]、子爵を叙爵して華族に列すが、明治28年(1895年)4月24日に死去、享年52。墓所は東京都港区青山墓地にある。

栄典

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位階
勲章等

脚注

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  1. ^ 『官報』第3103号、明治26年10月31日。
  2. ^ 『太政官日誌』明治6年、第152号
  3. ^ 『官報』第3544号「叙任及辞令」1895年4月26日。
  4. ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。
  5. ^ 『官報』第2853号「叙任及辞令」1893年1月4日。

関連文献

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登場する作品

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関連項目

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外部リンク

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公職
先代
後藤象二郎(→欠員)
  元老院副議長
1878年 - 1880年
次代
佐々木高行
先代
島本仲道
  警保頭
1873年
次代
(欠員→)村田氏寿
ビジネス
先代
小松彰
東京株式取引所頭取
1886年 - 1888年
次代
谷元道之
その他の役職
先代
(新設)
神田区教育会会長
1890年 - 1893年
次代
細川潤次郎
日本の爵位
先代
叙爵
子爵
河野(敏鎌)家初代
1893年 - 1895年
次代
河野寿男