江口四郎
江口 四郎(えぐち しろう、1892年(明治25年)9月15日[1] - 1967年(昭和42年)11月30日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
江口 四郎 | |
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生誕 |
1892年9月15日 日本 佐賀県 |
死没 | 1967年11月30日(75歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1913年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1892年(明治25年)に佐賀県で生まれた[1]。陸軍士官学校第25期卒業[1]。1938年(昭和13年)5月に第106師団兵器部長(第11軍)に就任し[1][2]、日中戦争に出動[1]。1939年(昭和14年)3月9日に陸軍歩兵大佐に進級し[2]、8月1日に歩兵第239連隊長(第1軍・第41師団・第41歩兵団)に転じた[1][2]。臨汾に駐屯し[1]、晋南作戦、郷寧作戦、晋中作戦を連戦し[1]、中原会戦では敵軍の脱出渡河地点を確保し[1]、敵軍の包囲撃滅に貢献する功を挙げた[1]。1942年(昭和17年)に金沢連隊区司令官に転じた[2]。
1945年(昭和20年)3月31日に第13軍司令部附となり[3]、4月15日に歩兵第101旅団長(支那派遣軍・第13軍・第161師団)に就任し[1]、6月10日に陸軍少将に進級[2]。上海で守備に任じ、終戦を迎えた[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。