永井一正
1929-, グラフィックデザイナー
永井 一正(ながい かずまさ、1929年4月20日 - )は、日本のグラフィックデザイナー。大阪府大阪市[1]出身。日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)二代目会長。息子はHAKUHODO DESIGN(博報堂デザイン)代表取締役社長の永井一史。
ながい かずまさ 永井一正 | |
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生誕 |
1929年4月20日(95歳) 大阪府大阪市[1]出身 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京藝術大学彫刻科 中退 |
職業 | グラフィックデザイナー |
子供 | 永井一史 |
栄誉 | 紫綬褒章, 勲四等旭日小綬章 |
現在日本デザインセンター最高顧問、日本グラフィックデザイナー協会特別顧問、日本デザインコミッティ名誉会員。
略歴
編集- 1929年 大阪府大阪市に生まれる。両親は姫路市出身[1]で、1945年3月の大阪大空襲で実家を戦火で焼失後、戦後の姫路で10代の青年期を過ごす[2]。
- 1951年 東京藝術大学彫刻科中退[3]。大和紡績に入社、宣伝を担当しグラフィックデザイナーとして仕事をする。
- 1953年 日本宣伝美術会(日宣美)会員
- 1960年 日本デザインセンター創立に亀倉雄策等とともに参加する
- 1960年 亀倉雄策・河野鷹思・田中一光・杉浦康平・稲垣行一郎と共に1964年東京五輪エンブレムの指名コンペ対象6人に選ばれるも、落選[4][5][6]
- 1962年 東京ADCで銀賞・銅賞受賞
- 1962年 日本宣伝美術会展にて永井ほか2名が、円の大きさが縦の2/3の「日の丸」を共同提案(1964年東京五輪では不採用も1998年長野五輪では使用された)[7][8][9]
- 1966年 第1回ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ金賞
- 1966年 札幌冬季五輪のシンボルマーク(エンブレム)に8名の中から永井案が採用される[10]
- 1968年 第6回東京国際版画ビエンナーレ東京国立近代美術館賞
- 1988年 永井一正の世界展(姫路市立美術館)
- 1989年 紫綬褒章受章
- 1994年 日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)二代目会長に就任
- 2015年 2020年東京五輪エンブレムデザイン審査委員代表として佐野研二郎の作品を選出[11][12][13]
作品・業績
編集- つくばエクスプレス(首都圏新都市鉄道)シンボルマーク[16]
- 三菱UFJフィナンシャル・グループシンボルマーク(2004年、商標登録出願)[17]
- 東京電力旧シンボルマーク
- 富山県美術館ロゴマーク(2016年)[18]
- 放送大学シンボルマーク[19]
- 一連のSaveポスター(1998年)
- Save Natureポスター(1995年)
- 一連のLifeポスター(1995年)
- 河北新報社シンボルマーク(1993年)
- ニコニコのりシンボルマーク(1986年)
- 茨城県旗・県章(1991年)[16]
- 新潟県シンボルマーク(1992年)[16]
- 神姫バス 貸切バスデザイン(1990年)
- 世界デザイン博覧会シンボルマーク(1987年)
- JRグループ共通シンボルマーク(1986年、監修)[20]
- 南日本放送シンボルマーク(1983年)
- 阪神タイガースユニフォームの袖、パンツのライン(『輝流ライン』ギザギザ模様)(ホーム用1976年~1978年、ビジター用1975年〜1978年)[21]
- フジネットワークシンボルマーク(1973年)
- 沖縄国際海洋博覧会シンボルマーク(1972年)[21]
- 日清食品シンボルマーク(1971年)
- アサヒビールシンボルマーク(1986年)[17]
- SDポスター(1968年)
- 農業協同組合(JA)シンボルマーク(1991年)[16]
- 札幌冬季オリンピックシンボルマーク(オリンピックエンブレム)[22](1966年)[21]
- アサヒビール『アサヒスタイニー』ポスター(1965年)
- スルガ銀行行章(1965年)[23][16]
など多数。
-
つくばエクスプレスのシンボルマーク
-
三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFJ)マーク
-
東京電力旧シンボルマーク
-
放送大学シンボルマーク
-
アサヒビールシンボルマーク
-
JAグループシンボルマーク
-
茨城県章
-
新潟県シンボルマーク
-
神姫バスのカラーリング
-
JRグループ共通ロゴマーク
-
南日本放送ロゴマーク
-
沖縄国際海洋博覧会シンボルマーク
-
札幌五輪シンボルマーク
-
日清食品の旧マークがあるカップヌードルの自動販売機
主な受賞・受章
編集- 第一回モスクワ国際ポスタートリエンナーレグランプリ(1992年)
- 紫綬褒章(1989年)
- 芸術選奨文部大臣賞(1988年)
- 第11回ブルノ国際グラフィックビエンナーレグランプリ(1985年)
- 第2回亀倉雄策賞[24] (1966年)
- 勝見勝賞(1966年)
- 日宣美会員賞(1966年)
- 朝日広告賞(1966年)
- 毎日産業デザイン賞(1966年)
- ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ(金賞・銀賞・名誉賞1966年)
- 勲四等旭日小綬章(1999年)[25]
- ADCグランプリ
- 毎日芸術賞
他
著作
編集- 『つくることば いきることば』(2012年六耀社)
- 『生命のうた』(2007年六耀社)
- 『永井一正』(2004年トランスアート)
- 『永井一正のポスター』(1995年河出書房新社)
- 『永井一正デザインライフ』(1994年六耀社)
- 『永井一正の世界』(1985年講談社)
- 『アートディレクション』(1968年美術出版社)
他
主な作品収蔵先
編集関連人物
編集脚注
編集- ^ a b c “姫路は原点の地 永井一正さんのポスター展開幕”. 神戸新聞 (2017年11月12日). 2018年3月14日閲覧。
- ^ “永井一正ポスター展:生を求める表現の宇宙”. 毎日新聞 (2017年12月13日). 2018年3月14日閲覧。
- ^ FGひろば140号 クリエイターズ・アイ
- ^ 亀倉雄策が東京五輪で示した、デザインの力。 2013年11月号 宣伝会議
- ^ オリンピック・パラリンピックとビジュアルデザイン 東京デザイン2020フォーラム
- ^ 雑誌「デザインの現場」1998年No.100
- ^ 日の丸の大きさ・解答 - 吹浦忠正(ユーラシア21研究所理事長)の新・徒然草 2007年12月31日
- ^ 月刊五輪:吹浦忠正の1964年東京五輪物語 「日の丸」基準に苦労 - 毎日新聞、2015年4月21日 東京朝刊(アーカイブ)
- ^ 東京五輪エンブレムのパクリ疑惑 原因はコンペ作品のコンセプトか - ライブドアニュース(2015年8月2日 LITERA)
- ^ 第8回 永井一正(1) スポーツとアート - JOC
- ^ 2020年東京オリンピック・パラリンピックの大会エンブレムデザインを募集 マイナビニュース 2014年9月19日
- ^ 「夢だと思った」2020年東京五輪のエンブレムに佐野研二郎氏 104件から選定 Art Annual online、2015年7月27日
- ^ 五輪エンブレム盗作問題 審査員と佐野研二郎さんとのつながりがネットで話題に ガジェット通信 2015年8月17日
- ^ 第17回亀倉雄策賞:選考経緯・展覧会情報(更新)
- ^ 第18回亀倉雄策賞:選考経緯・展覧会情報(更新)
- ^ a b c d e “グラフィックトライアル2015|永井一正|GA info.”. www.toppan.co.jp. 2023年8月11日閲覧。
- ^ a b “永井一正|NPO法人建築思考プラットホームPLAT|プラット”. npo-plat.org. 2023年8月11日閲覧。
- ^ “来夏開館の富山県美術館、 新ロゴマークは永井一正がデザイン”. 美術手帖. 2023年8月11日閲覧。
- ^ 彩坂本 (2023年2月17日). “放送大学シンボルマークの制作者・永井一正氏にお話を伺いました。”. 放送大学ウェブマガジン ON AIR WEB. 2023年8月11日閲覧。
- ^ “数多の有名ロゴを生んだ永井一正。実践で培ったデザイン&ロゴ論 | CINRA”. www.cinra.net. 2023年8月11日閲覧。
- ^ a b c ユニフォーム物語 阪神タイガース2010年交流ユニフォーム『週刊ベースボール』2012年2月6日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌20444-2/6, 70頁。
- ^ 2020年東京五輪のエンブレムは亀倉デザインの正統進化 - デザイン情報サイト[JDN]、2015年7月29日
- ^ “沿革”. www.surugabank.co.jp. 2023年8月11日閲覧。
- ^ Japan Graphic Designers Association Inc.
- ^ 「秋の叙勲 晴れの受章者 勲四等-勲七等(都内分)」『読売新聞』1999年11月3日朝刊