正親町実正
日本の華族、官僚、薬剤師。正親町家20代。
正親町 実正(おおぎまち さねまさ、安政2年6月7日(1855年7月20日) - 大正12年(1923年)6月26日)は、日本の華族(伯爵)・官僚・薬剤師。大正天皇の侍従長を務めた。正二位[1]。
概要
編集正親町実光の三男である正親町実徳の長男として生まれ、公卿の正親町公董の嗣子となり、孝明天皇の侍従となった[2]。維新後東京帝国大学で研究の後、宮内省御用掛として侍医寮の薬剤掛を担当した[2]。1882年(明治15年)、正親町家の家督を継ぎ、1884年(明治17年)伯爵に叙せられた。1890年(明治23年)7月10日には貴族院議員となり[3]、1918年(大正7年)5月31日まで在任[4]。1893年(明治26年)には日本薬剤師会を設立した。1899年(明治32年)2月から翌年10月まで第10代埼玉県知事に就任した[2]。その後賞勲局総裁となり、1918年(大正7年)5月27日から1921年(大正10年)3月22日まで、大正天皇の侍従長を務めた。その後再び賞勲局総裁に就任した。1923年(大正12年)6月26日死去。墓所は染井霊園。
栄典
編集- 位階
- 勲章等
親族
編集脚注
編集- ^ a b 『官報』第1756号「叙任及辞令」1918年6月11日。
- ^ a b c 『埼玉大百科事典 第1巻』埼玉新聞社、1974年3月、pp239-240
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』25頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、25頁。
- ^ 『官報』第1351号「叙任及辞令」1887年12月28日。
- ^ 『官報』第307号「叙任及辞令」1884年7月8日。
- ^ 『官報』第7272号「叙任及辞令」1907年9月23日。
- ^ 『官報』第8257号「叙任及辞令」1910年12月28日。
- ^ 『官報』第565号「叙任及辞令」1914年6月19日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
- ^ 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。
- ^ 『官報』第3272号「叙任及辞令」1923年6月27日。
参考文献
編集- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
公職 | ||
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先代 児玉秀雄 大給恒 |
賞勲局総裁 1921年 - 1923年 1909年 - 1918年 |
次代 仙石政敬 児玉秀雄 |
日本の爵位 | ||
先代 創設 |
伯爵 正親町家初代 1884年 - 1923年 |
次代 正親町公和 |