正木 清(まさき きよし、1900年明治33年)5月30日 - 1961年昭和36年)4月12日)は、日本政治家衆議院議員衆議院副議長(第40代)を務めた。

正木 清
まさき きよし
生年月日 1900年5月30日
出生地 日本の旗 日本 福島県石城郡好間村
没年月日 (1961-04-12) 1961年4月12日(60歳没)
所属政党新労農党→)
全国労農大衆党→)
社会大衆党→)
(無所属→)
日本社会党→)
左派社会党→)
日本社会党

選挙区 (北海道第1区→)
(旧北海道第1区→)
北海道第1区
当選回数 7回
在任期間 1942年4月30日 - 1948年12月23日
1952年10月1日 - 1960年10月24日
テンプレートを表示

来歴・人物

編集

福島県石城郡好間村(現いわき市)出身。小学校卒業後、炭坑給仕などを経て1921年大正10年)に上京するが、関東大震災で帰郷。1924年(大正13年)24歳の時北海道小樽市に移住し、鉄筋工などとして働く。小樽総労働組合に参加し、北海道地方評議会常任執行委員として多数の争議を指導する。1928年昭和3年)の三・一五事件で2年間投獄される。出獄後は日雇労働を経て、1931年(昭和6年)、新労農党に参加。1934年(昭和9年)、全札幌労働者組合の支持を得て8年ぶりとなる無産派札幌市議に選出される。1936年(昭和11年)より北海道議会議員を2期務める。

1937年(昭和12年)、運輸業を自営する傍ら社会大衆党に参加。1942年第21回衆議院議員総選挙に、非推薦議員ながら北海道1区から出馬し初当選。戦後、日本社会党に入党し芦田内閣商工政務次官1949年の総選挙では落選したが、その次の1952年総選挙左派社会党から出馬し復帰。

左右社会党統一後の1958年12月13日、同じ選挙区選出の椎熊三郎の辞任に伴い第40代衆議院副議長に就任。60年安保の強行採決に反対して副議長を辞任し、1960年1月30日まで務めた。ほかに、衆議院運輸及び交通委員会委員長、衆議院運輸委員会理事、衆議院運輸委員会委員などの要職を歴任した。第29回衆議院議員総選挙で落選し、翌年の4月12日死去。享年60。

ジャーナリスト本澤二郎は、義理の甥にあたる。

参考文献

編集
  • 『正木清伝 ― 民衆とともに歩んだ60年』労働旬報社、1969年。
議会
先代
椎熊三郎
  衆議院副議長
第40代:1958年 - 1960年
次代
中村高一
先代
新設
  衆議院運輸及び交通委員長
1947年 - 1948年
次代
川野芳満