検見川町
日本の千葉県千葉郡にあった町
検見川町(けみがわまち)は、かつて千葉県千葉郡に存在した町である。地名は千葉市の町名(けみがわちょう)として現存する。郵便番号は262-0023[1]。千葉街道の宿場町であり、千葉郡の拠点の一つであったが、現在では、本町の一大字であったものの、総武本線の快速停車駅を擁し、区名にもなっている稲毛との立場が逆転している。
けみがわまち 検見川町 | |
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廃止日 | 1937年2月11日 |
廃止理由 |
編入合併 蘇我町、都村、都賀村、検見川町 → 千葉市 |
現在の自治体 | 千葉市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 千葉県 |
郡 | 千葉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 11.05 km2 |
総人口 |
9,094人 (1935年) |
隣接自治体 | 千葉市、千葉郡幕張町、都賀村、犢橋村 |
検見川町役場 | |
所在地 | 千葉県千葉郡検見川町大字検見川473番地 |
座標 | 北緯35度39分46秒 東経140度04分09秒 / 北緯35.66289度 東経140.06906度座標: 北緯35度39分46秒 東経140度04分09秒 / 北緯35.66289度 東経140.06906度 |
ウィキプロジェクト |
沿革
編集歴史
編集- 戦国時代 - けみ川の地名が見られる。
- 江戸時代 - 以下の3村が成立。
- 検見川村 - 幕府領、旗本金田氏・清野氏の相給→幕府領、旗本金田氏・清野氏・吉田氏の相給→幕府領、旗本金田氏・清野氏・吉田氏・小林氏の相給。ほかに八坂神社・熊野神社・鷲神社の各除地、定使免除地。
- 稲毛村 - 幕府領、旗本石河氏・浅倉氏の相給→幕府領、旗本浅倉氏の相給。ほかに浅間神社除地。
- 畑村 - 旗本宮城氏領→旗本宮城氏・金田氏知行→旗本宮城氏・金田氏・遠山氏知行→幕府領、旗本金田氏・遠山氏の相給。
- 1868年(明治元年)8月8日 - 3村が下総知県事の管轄となる。
- 1869年(明治2年)1月13日 - 下総知県事が葛飾県となる。
- 1871年(明治4年)11月13日 - 葛飾県が印旛県に統合。3村が印旛県の管轄となる。
- 1873年(明治6年)6月15日 - 印旛県が木更津県に統合して千葉県が発足。3村が千葉県の管轄となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行より、検見川村、稲毛村、畑村が合併し、千葉郡検見川村が発足。善勝寺に村役場を設置。旧3村が3つの大字となる。
- 1891年(明治24年)5月1日 - 町制を施行して検見川町となる。
- 1894年(明治27年) - 町役場を検見川91番地に移転。
- 1899年(明治32年)9月13日 - 総武鉄道幕張駅 - 千葉駅間の延伸開業にともない稲毛駅が開業。
- 1907年(明治40年)9月1日 - 総武鉄道が国有化し、総武本線となる。
- 1921年(大正10年)7月17日 - 京成電鉄千葉線津田沼駅(現在の京成津田沼駅) - 千葉駅(現在の千葉市中央区・中央公園付近)間の開業にともない検見川駅が開業。
- 1926年(大正15年)4月1日 - 東京無線局検見川送信所が開局。
- 1937年(昭和12年)2月11日 - 千葉市に編入。同日検見川町廃止。
- 1992年(平成4年)4月1日 - 千葉市が政令指定都市に移行し、旧・検見川町域は、旧・検見川村、畑村(検見川市民センター管轄)が花見川区、旧・稲毛村(編入後に市役所本庁管轄に移行)が稲毛区になる。
交通
編集鉄道
編集現在は総武本線の新検見川駅が町域内に存在するが、検見川町が存在した時期には開業していなかった。
道路
編集産業
編集鉱工業
編集- 第二次世界大戦後の燃料事情の逼迫に応じて、1947年から東京大学の敷地(現:東京大学検見川総合運動場)および周辺では、泥炭の採掘が盛んに行われるようになった。検見川一帯の泥炭の埋蔵量は1000万トンとも推定されていた[2]。
教育
編集- 検見川尋常高等小学校(現・千葉市立検見川小学校)
- 稲毛尋常小学校(現・千葉市立稲毛小学校)
- 畑尋常小学校(現・千葉市立畑小学校)
名所
編集現在の町名
編集- 住居表示実施地区
- 旧・検見川村:花園、南花園、朝日ヶ丘(一部)、瑞穂(一部)
- 旧・稲毛村:稲丘町、稲毛、稲毛台町、稲毛東、黒砂(一部)、小仲台(一部)
- 旧・畑村:朝日ヶ丘、さつきが丘、瑞穂、宮野木台(それぞれ一部)
- 住居表示未実施地区
- 旧・検見川村:朝日ヶ丘町、検見川町、浪花町、花園町
- 旧・稲毛村:稲毛町
- 旧・畑村:畑町