松尾泰宏
松尾 泰宏(まつお やすひろ、1937年3月17日 - )は、佐賀県出身の元ボートレーサー。
松尾泰宏 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 佐賀県 |
生年月日 | 1937年3月17日(87歳) |
身長 | 163cm |
体重 | 53kg(現役時) |
選手情報 | |
所属 | 佐賀支部 |
登録番号 | 1203 |
選手実績 | |
記念優勝 | 17 回 |
SG優勝 | 2 回 |
GI/PGI優勝 | 15 回 |
通算勝率 | 6.65 |
通算勝利 | 2718勝 |
主要獲得タイトル | |
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来歴
編集1961年の第7回モーターボート記念競走(宮島)で四大特別競走・SG級レース初制覇[1]、1979年の第14回鳳凰賞競走(浜名湖)では松野寛を破って[2]17年7ヶ月ぶり[3] [4]のSG2勝目を挙げるなど、瀬戸康孝と共に佐賀と九州を牽引[5]。1971年には第6回鳳凰賞競走(蒲郡)で弟の幸長が制しており[6]、2021年現在も唯一の兄弟SGレーサーとなっている。1973年の第19回モーターボート記念競走(下関)では初の兄弟SG優出を果たし話題になったが、優勝は同郷の瀬戸で、泰宏は4着、幸長は5着に終わった[7]。21年後の1994年に児島で行われた第40回モーターボート記念競走でも林通・貢が兄弟SG優出を果たしたが、優勝は同郷の関忠志で、通は4着、貢は5着に終わった[8]。平成に入っても7点レーサーとして君臨し、特にホームプールの唐津では周年3連覇を含む7勝(1959年, 1962年, 1971年, 1975年・1977年-1978年[9], 1983年)[10]と無敵を誇った[11]。1998年7月28日の住之江「一般競走」が最後の優出(4号艇3コース進入で3着)となり[12]、2000年3月13日の戸田一般戦最終日2Rで最後の勝利(5号艇2コースからまくり勝ち)を挙げ[13]、26日唐津一般戦「スポーツニッポン杯争奪戦競走」最終日10Rが最後の出走(1号艇1コース進入から3着)となった[14]。 2009年、ボートレースの殿堂入りを果たした[15][11]。
獲得タイトル
編集※太字は四大特別競走を含むSG級レース
- 1959年 - 唐津開設6周年記念競走
- 1961年 - 第7回モーターボート記念競走(宮島)
- 1962年 - 唐津開設9周年記念競走
- 1967年 - 徳山開設14周年記念競走
- 1971年 - 唐津開設18周年記念競走
- 1972年 - 下関開設17周年記念競走
- 1975年 - 唐津開設22周年記念競走、下関開設20周年記念競走
- 1977年 - 唐津開設23周年記念競走
- 1978年 - 唐津開設24周年記念競走、若松開設28周年記念競走
- 1979年 - 第14回鳳凰賞競走(浜名湖)、九州地区選手権競走(芦屋)、若松開設29周年記念競走
- 1983年 - 唐津開設29周年記念競走、鳴門開設30周年記念競走
親族
編集弟の幸長[注釈 1]も元ボートレーサーで、引退後はスポーツニッポン西部本社評論家を経て、1995年頃から2008年まで14年間も唐津市議会議員を務めた。2012年死去。
脚注
編集注釈
編集- ^ 「こうちょう」と読む。
出典
編集- ^ 第7回モーターボート記念|BOAT RACE オフィシャルウェブサイト
- ^ 第14回総理大臣杯|BOAT RACE オフィシャルウェブサイト
- ^ 中道善博『競艇選手心理の読み方 - 名人・善さんの競艇人生と歴戦の体験から読み解く舟券戦術』東邦出版、2006年2月1日、ISBN 4809405214、p34。
- ^ 濱野谷憲吾、優勝トピック | ボートレース(競艇)【マクール】
- ^ 678 瀬戸 康孝 (佐賀) - ボートレース大村 > ボートレース殿堂・殿堂マイスター
- ^ 第6回総理大臣杯|BOAT RACE オフィシャルウェブサイト
- ^ 第19回モーターボート記念|BOAT RACE オフィシャルウェブサイト
- ^ 第40回モーターボート記念|BOAT RACE オフィシャルウェブサイト
- ^ 1976年は開催されなかった。
- ^ 全日本王者決定戦|BOAT RACE オフィシャルウェブサイト
- ^ a b 1203 松尾 泰宏 (佐賀) - ボートレース大村 > ボートレース殿堂・殿堂 マイスター
- ^ 1998年7月28日 住之江12R | 艇国データバンク
- ^ 2000年3月13日 戸田2R | 艇国データバンク
- ^ 2000年3月26日 唐津10R | 艇国データバンク
- ^ ボートレース大村 六十周年記念