松前広国
松前 広国(まつまえ ひろくに)は、江戸時代前期の仙台松前氏(仙台藩準一家、松川松前氏)2代当主。伊達騒動を題材にした「伽羅先代萩」の登場人物である松前鉄之助のモデルとして知られる。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永8年(1631年) |
死没 | 天和2年3月10日(1682年4月17日) |
別名 | 八之助 |
墓所 | 宮城県白石市の傑山寺 |
主君 | 伊達忠宗→綱宗→綱村 |
藩 | 仙台藩 |
氏族 | 松前氏 |
父母 | 松前安広、喜佐 |
兄弟 |
片倉景長、広国、長、夏、鶴、六、 片倉吉長、古内義憲、為広 |
妻 | 石田常員娘 |
子 |
市 養子:為広 |
生涯
編集寛永8年(1631年)、仙台松前氏初代当主・松前安広の二男として誕生。兄・片倉景長が母方の片倉氏を継いでいため跡取りとなり、明暦2年(1656年)3月21日、父の隠居に伴い仙台松前氏2代当主となる。
寛文5年(1665年)に江戸番頭となり、幼少の藩主・亀千代(のちの伊達綱村)に近侍する。この経歴から「伽羅先代萩」において幼君・鶴喜代の傅役に、広国をモデルとした人物が当てられることとなった。寛文9年(1669年)3月には品川藩邸で隠居していた伊達綱宗の付家老に転じ、延宝4年(1676年)には若年寄に就任した。
天和2年(1682年)3月10日死去。享年52。広国には男子がおらず、一人娘の市は延宝8年(1680年)に片倉村長(景長の子)に嫁いでいたため、末弟の為広が家督を相続した。
系譜
編集┏片倉景長━━片倉村長 片倉重長━━喜佐 ┃ ┃ ┣━━━╋松前広国━━━市 松前安広 ┃ ┗松前為広
参考文献
編集- 『角田市史』2 通史編下(宮城県角田市、1986年)
- 平成『古川市史』第七巻 資料Ⅱ(宮城県古川市、2001年)