東千歳駐屯地
東千歳駐屯地(ひがしちとせちゅうとんち、JGSDF Camp Higashi-Chitose)は、北海道千歳市祝梅1016に所在し、第7師団司令部等が駐屯する陸上自衛隊の駐屯地である。
東千歳駐屯地 | |
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第7師団創隊58周年及び東千歳駐屯地創立59周年記念行事・観閲行進 | |
位置 | |
所在地 | 北海道千歳市祝梅1016 |
座標 | 北緯42度50分23秒 東経141度44分13秒 / 北緯42.83972度 東経141.73694度座標: 北緯42度50分23秒 東経141度44分13秒 / 北緯42.83972度 東経141.73694度 |
概要 | |
駐屯地司令 | 第7師団副師団長 |
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開設年 | 1954年 |
概要
編集駐屯地司令は、第7師団副師団長が兼務する。
最寄の演習場は駐屯地に隣接する北海道大演習場(東千歳地区)別名東千歳演習場、また小規模ではあるが駒里演習場がある。
総敷地面積約590万m2という陸自最大の敷地面積を誇り、第7師団の隷下部隊の多くや陸上自衛隊最大の普通科連隊をはじめ、陸上自衛隊最大級の高射特科団をはじめする北部方面隊直轄部隊の多くが駐屯し、北部方面隊の中核をなす駐屯地となっている。駐屯地内に隊員食堂・売店が3個設置[注 1]されている。
石狩平野の中心点にあり、南は苫小牧市、北は札幌市、或いは石狩川沿いに道央を臨み、東は国道274号線を越えて十勝平野に広がる、北海道防衛の要衝にあたる。
当駐屯地のシンボルで正門に立つ「我らここに励みて国やすらかなり」のポールオブジェがあったが、2018年(平成30年)9月の台風と胆振東部地震の影響で基礎部分が脆弱化し、安全性が保てないという理由で同年11月中旬、長きにわたる役目を終えて撤去された(なお、現在は白看板に文言が書かれているが、2019年(平成31年)4月~2019年(令和元年)5月をめどに2代目となるオブジェがお披露目となる予定)。
敷地内に北海道中央バスの路線バス(東部隊線)が乗り入れており、バスが敷地内に進入する際に正門にて一旦停車し警衛隊の歩哨が乗り込み敷地内での乗下車時に乗客の身分証の確認を行っている[注 2]。
周辺の市民からは「東部隊」と呼ばれている。
沿革
編集日本海軍
- 1942年(昭和17年):水谷政次郎が農場用地を大日本帝国海軍に寄付、第2千歳飛行場滑走路(800m)を整備し後に1300mに延伸[1]。
- 1943年(昭和18年)9月6日:東京商科大学北遣隊により第2千歳飛行場誘導路完成[1]。
- 1944年(昭和19年):第2千歳飛行場の東部隣接地に第3千歳飛行場滑走路(1200m)完成[1]。
- 1945年(昭和20年)8月15日:第2千歳飛行場滑走路を2500mに延伸[1]。
米軍
- 1945年(昭和20年)
陸上自衛隊東千歳駐屯地
- 1954年(昭和29年)
- 8月25日:東千歳駐屯地が開設[4]。旧米軍の300万坪を用いる[2]。
- 8月30日:第10普通科連隊が大村駐屯地から移駐。第2管区隊隷下に入る。
- 9月20日:第1特科団本部および本部中隊が札幌駐屯地から移駐。
- 9月23日:第11普通科連隊が小月駐屯地から移駐完了。第5管区隊の隷下に入る[5]。
- 9月30日:第9普通科連隊(第2大隊欠)が善通寺駐屯地(主力)および松山駐屯地(第3大隊)から移駐、第2管区隊の隷下に入る。
- 10月18日:第1高射特科群本部および本部中隊、第301高射運用隊が北千歳駐屯地から移駐。
- 10月20日:第116特科大隊が浜松駐屯地から移駐。
- 10月30日:
- 12月15日:第106特科大隊が函館駐屯地から移駐。
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年)
- 1月15日:
- 1月25日:第116特科大隊を母体に第118特科大隊(M1 90mm高射砲)が編成完結。
- 1957年(昭和32年)11月15日:第5特科連隊本部および本部中隊、第4大隊が帯広駐屯地に移駐。
- 1958年(昭和33年)6月17日:第120特科大隊が編成完結。
- 1959年(昭和34年)8月20日:
- 第121特科大隊が真駒内駐屯地から移駐。
- 第113特科大隊が真駒内駐屯地に移駐。
- 1961年(昭和36年)8月26日:第5特科連隊第5大隊が帯広駐屯地に移駐。
- 1962年(昭和37年)
- 1月18日:
- 1964年(昭和39年)3月24日:第1高射特科群第118特科大隊第4中隊および無線誘導標的隊が静内分屯地へ移駐。
- 1965年 (昭和40年)1月20日:
- 第121特科大隊が廃止。
- 地対空誘導弾改良ホークを運用する第102高射大隊および第302高射搬送通信隊が東千歳駐屯地で、第102高射直接支援隊が島松駐屯地で編成完結。
- 1970年(昭和45年)8月5日:第116特科大隊が飯塚駐屯地へ移駐。
- 1971年(昭和46年)
- 1972年(昭和47年)
- 3月24日:第1高射団本部および本部付隊が編成完結。
- 7月1日:無線誘導標的機隊を第302無線誘導機隊に称号変更[6]。
- 1976年(昭和51年)8月20日:第1高射団を第1高射特科団に改称[2]。
- 1978年(昭和53年)3月25日:第126特科大隊が美唄駐屯地へ移駐。
- 1981年(昭和56年)
- 1985年(昭和60年)7月15日:東千歳駐屯地静内分屯地が静内駐屯地に昇格。
- 1996年(平成 8年)3月29日:第1陸曹教育隊上級陸曹教育中隊が倶知安駐屯地へ移駐。
- 2000年(平成12年)3月28日:後方支援体制移行に伴う改編
- 北部方面教育連隊を北部方面混成団に改編。
- 第1陸曹教育隊が再編、北部方面混成団の隷下部隊となる。
- 2023年(令和 5年)3月15日:
- 2024年(令和 6年)3月21日:
駐屯部隊・機関
編集陸上総隊隷下部隊
編集- 電子作戦隊
- 第302電子戦中隊
北部方面隊隷下部隊
編集- 第7師団
- 第1高射特科団
- 第1高射特科団本部
- 第1高射特科団本部付隊
- 第1高射特科群
- 北部方面後方支援隊
- 第101高射直接支援大隊
- 第101高射直接支援大隊本部
- 第101高射直接支援大隊本部付隊
- 整備隊:第1高射特科群を支援
- 北部方面輸送隊
- 北部方面輸送隊本部
- 北部方面輸送隊本部付隊
- 第310輸送中隊
- 第313輸送中隊
- 第314輸送中隊
- 第101高射直接支援大隊
- 北部方面混成団
- 北部方面システム通信群
- 第101基地システム通信大隊
- 第313基地通信中隊
- 第101基地システム通信大隊
- 北部方面会計隊
- 第324会計隊
- 北部方面指揮所訓練支援隊
- 東千歳駐屯地業務隊
防衛大臣直轄部隊・機関
編集- 警務隊
- 北部方面警務隊
- 第122地区警務隊
- 北部方面警務隊
- 陸上自衛隊中央輸送隊
- 第1方面分遣隊
特別の機関・外局
編集史料館
編集施設内に「第7師団 史料館 戦車博物館」がある[10]。占守島の戦いにおける旧日本陸軍戦車第11連隊の慰霊碑が池田末男連隊長の遺族によって愛知県の霊園で管理されていたが、2023年(令和5年)に史料館のある陸上自衛隊東千歳駐屯地に寄贈され同館の中庭に移設された[11]。
周辺の幹線交通
編集重要施設
編集- 苫東厚真発電所(出力165.0万kW。石炭)(勇払郡厚真町)
- 苫小牧発電所(出力25.0万kW。石油)(苫小牧市)
- 苫小牧東部国家石油備蓄基地(平成16年(2004年)1月現在:備蓄施設容量約640万kl中約542万klを備蓄)(苫小牧市、厚真町)
- 北海道石油共同備蓄基地(平成16年(2004年)1月現在:備蓄施設容量約350万kl中約240万klを備蓄)(苫小牧市、厚真町)
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d 新千歳市市通史編上巻 第6章太平洋戦争開戦 - 千歳市役所
- ^ a b c d e 新千歳市史通史編下巻 第6編部門史 第14章米軍・自衛隊 - 千歳市役所
- ^ “千歳航空年表-空港で過ごす | 新千歳空港ターミナルビル”. 新千歳空港ターミナルビル 2019年7月20日閲覧。
- ^ 自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和29年8月9日政令第235号)
- ^ 第11普通科連隊創隊60周年記念誌より
- ^ 北部方面隊 五十年のあゆみ
- ^ “北部方面輸送隊 移駐”. 北部方面後方支援隊. 2023年5月20日閲覧。
- ^ “方面輸送隊2コ中隊が島松駐屯地に移駐その出迎え式に参加”. 隊友会恵庭支部連合会. 2023年5月20日閲覧。
- ^ 陸上自衛隊 北千歳駐屯地 【公式】 [@kitachitose_STA] (2024年4月1日). "第1高射特科群第302高射中隊は、令和6年3月21日をもって東千歳駐屯地に移駐となりました。". X(旧Twitter)より2024年4月1日閲覧。
- ^ “第7師団 史料館 戦車博物館”. 陸上自衛隊北部方面隊第7師団. 2023年8月3日閲覧。
- ^ “占守島の激戦 千歳へ慰霊碑 旧陸軍遺族が寄贈、陸自駐屯地に移設 写真や名刺300点も”. 北海道新聞. 2023年8月3日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 東千歳駐屯地
- 陸上自衛隊 東千歳駐屯地(公式)(higashichitose_) - twitter