杉浦武雄
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杉浦 武雄(すぎうら たけお、1890年(明治23年)5月20日[1] - 1963年(昭和38年)9月12日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)。位階は正四位、勲等は勲二等。
経歴
編集- 1890年(明治23年) - 愛知県豊橋市東細谷町生まれ。
- 1892年(明治25年) - 網元だった父、六太郎が打瀬網事件で首謀とされ服役することになり、静岡県榛原町(現牧之原市)で育つ。
- 榛原中学校などいくつかの中学校を転々とした後に京北中学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学法科大学法律科卒業
- 1924年(大正13年) - 第15回衆議院議員総選挙愛知13区初当選(憲政会)
- 1928年(昭和3年) - 第16回衆議院議員総選挙愛知5区当選(立憲民政党)
- 1930年(昭和5年) - 第17回衆議院議員総選挙当選
- 1931年(昭和6年)2月 - 瓦斯事業法中改正法律案委員長
- 1932年(昭和7年) - 第18回衆議院議員総選挙落選(中立)
- 1936年(昭和11年) - 第19回衆議院議員総選挙当選
- 1937年(昭和12年) - 第20回衆議院議員総選挙当選(東方会)
- 1942年(昭和17年) - 第21回衆議院議員総選挙落選
- 1948年(昭和23年) - 公職追放[2]
- 1951年(昭和26年) - 公職追放解除[3]
- 1952年(昭和27年) - 第25回衆議院議員総選挙愛知5区落選(改進党)
- 1953年(昭和28年) - 第26回衆議院議員総選挙落選
- 1955年(昭和30年) - 第27回衆議院議員総選挙当選(日本民主党)
- 1958年(昭和33年) - 第28回衆議院議員総選挙落選(自由民主党)
- 1959年(昭和34年) - 第5回参議院議員通常選挙愛知県選挙区初当選
- 1961年(昭和36年) - 第18代裁判官弾劾裁判所所長。
- 1963年(昭和38年)9月12日 - 参議院議員在任中に死去、73歳。死没日をもって勲二等旭日重光章追贈(勲四等からの昇叙)、正五位から正四位に叙される[4]。
脚注
編集参考文献
編集- 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』(衆議院、1990年11月)