木村文治

日本のサッカー選手、監督

木村 文治(きむら ぶんじ、1944年7月27日 - )は京都府出身の元サッカー選手、指導者。

木村 文治
名前
カタカナ キムラ ブンジ
ラテン文字 KIMURA Bunji
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1944-07-27) 1944年7月27日(80歳)
出身地 京都府
ユース
日本の旗 大阪経済大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1968-1973 日本の旗 ヤンマー 72 (2)
通算 72 (2)
監督歴
1983-1991 日本の旗 京都紫光クラブ
1995 日本の旗 横浜フリューゲルス
1999 日本の旗 京都パープルサンガ(代行)
2003 日本の旗 京都パープルサンガ(代行)
2007-2010 日本の旗 FC鈴鹿ランポーレ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴

編集

大阪経済大学を経てヤンマーディーゼルサッカー部(現-セレッソ大阪)に入部。日本サッカーリーグで72試合2得点の成績を残した。

現役引退後、1982年京都紫光クラブの監督に就任、1990年まで務めた。1991年から横浜フリューゲルス監督加茂周の下でヘッドコーチを務めた。1995年に加茂が日本代表の監督に就任すると監督に昇格したが、14試合で4勝しか出来ず辞任した。その後は横浜Fのフロント入りしたが、1998年シーズンを最後にチームが消滅すると京都パープルサンガ(現-京都サンガF.C.)のチーム統括部長に就任、2000年には総監督も兼務した。辞任などで監督不在の際は監督も兼任した。2004年6月、西村昭宏が監督を解任されると木村自身も総監督を辞任、京都を退団した。

その後、京都の育成普及部長だった栗本直と共に特定非営利活動法人芝生のグラウンドを愛する会を設立。理事長に就任し、Jリーグ参加を目指すM.I.E.ランポーレFC(現アトレチコ鈴鹿クラブ)の経営に参画。2010年8月22日、成績不振を理由にチームの監督を解任された(理事長も辞任)。2011年より韓国の3部リーグに相当するチャレンジャースリーグソウルFCマルティスの総監督に就任。

個人成績

編集
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1968 ヤンマー JSL -
1969 -
1970 -
1971 11 -
1972 JSL1部 -
1973
通算 日本 JSL1部 72 2
総通算 72 2

監督成績

編集
年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 勝利 引分 敗戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯
1983 関西 京都紫光 5位 - 予選敗退
1984 6位 - 予選敗退
1985 4位 - 予選敗退
1986 準優勝 - 予選敗退
1987 5位 - 予選敗退
1988 優勝 - 予選敗退
1989-90 JSL2部 4位 30 60 17 9 4 1回戦 1回戦
1990-91 13位 30 31 8 7 15 1回戦 予選敗退
1995 J 横浜F - 14 4 - 10 - -
2003 J1 京都 - 4 0 1 3 - -
  • 1995年はサントリーシリーズ途中退任。
  • 2003年は代行としてファーストステージ・セカンドステージとも途中2試合ずつのみ。

その他

関連項目

編集

外部リンク

編集