有馬頼之
有馬 頼之(ありま よりゆき、1870年11月29日〈明治3年閏10月7日[1]〉 - 1917年〈大正6年〉5月1日[1][2])は、明治から大正期の政治家、華族。貴族院子爵議員。勲等は勲三等[2]。
有馬頼之 ありま よりゆき | |
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生年月日 | 1870年11月29日 |
没年月日 | 1917年5月1日(46歳没) |
所属政党 | 研究会 |
称号 |
従三位 勲三等 |
配偶者 | 有馬藤子 |
親族 |
義父・京極朗徹(丸亀県知事) 娘婿・綾小路護(貴族院議員) 義兄(義弟)[注釈 1]・久我通久(貴族院議員) 義兄(義弟)[注釈 1]・伊達宗陳(貴族院議員) 従兄・松平直之(貴族院議員) |
在任期間 | 1902年6月13日 - 1917年5月1日 |
経歴
編集久留米藩主・有馬頼咸の七男として生まれる[1][3]。旧吹上藩有馬家当主・瑤光院(鎮、有馬氏郁未亡人)の養子となり、1877年(明治10年)12月20日に家督を継承[1][3][4]。1884年(明治17年)7月8日に子爵を叙爵した[5]。
1886年(明治19年)ドイツ帝国に留学[2]。1902年(明治35年)6月13日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6]、死去するまで在任した[2]。会派は研究会に所属した[7]。
栄典
編集親族
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 (吹上)有馬家初代 1884年 - 1917年 |
次代 有馬聰頼 |