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曲詰(きょくづめ)は、詰将棋の分野の1つである。初形や詰上がりが文字や図形など意味があるものをいう。

種類

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曲詰は主に、「形象型」「あぶり出し」「立体曲詰」の3種類に分けられる。

形象型
最初の配置が意味を持っているもの。
あぶり出し
詰めあがりが意味を持っているもの。
立体曲詰
初形・詰めあがり共に意味を持っているもの。

立体曲詰の中には途中にも意味がある図が出現する「3段曲詰」などがある。

歴史

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最初の曲詰は、江戸時代名人二代伊藤宗印による作品であるとされている。『将棋勇略』91番に収録されているこの作品は、初形が左右対称形となっている。

あぶり出し曲詰に関しては三代伊藤宗看(『将棋無双』30番・対称形)や伊藤看寿(『将棋図巧』92番・引き違い)も作成しているが、同時期の添田宗太夫が有名である。添田はあぶり出し曲詰のみを101作収録した『将棋秘曲集』を出版している。

立体曲詰も、添田が最初に作成した。『将棋秘曲集』の26番『角切角鏡』は、初形が対称形で詰め上がりが手鏡の形になるという作品である。この作品は小駒立体曲詰の最初の作品でもある。また同作品集82番『平窓』は、初形と最終形に関連を持たせた最初の立体曲詰である。

江戸時代の他の代表的な作家としては、久留島喜内と桑原君仲があげられる。添田・久留島・桑原の三人を江戸時代の3大曲詰作家と呼ぶこともある。久留島は「大菱」「石畳」などの大型のあぶり出し曲詰をいくつか作成している。桑原は、「大」「小」の文字のあぶり出しを多く作成した他、八卦のパターンのあぶり出しなども作成している。

江戸時代の作品としては他に、『将棋童翫集』(和中作)の「一」-「十」のあぶり出し(すべて都詰となる)や、『将棋攻格』5番(徳川家治作)の逆「七」の字の形象型が知られている。

1927年に、丸山正為は『将棋イロハ字図』を発表する。この作品集には、いろは48字全てに対し形象型・あぶり出しの双方の問題が作られている。48字の形象型・あぶり出しを全て作成したのは丸山が最初である。

昭和10年代になると、世相を反映した曲詰が作られるようになる。1938年に橘二叟は、戦闘機の出撃と帰還を描いた立体曲詰「荒鷲」を発表する。同じ年に渡辺進は「ハーケン・クロイツ」のあぶり出しを発表する(「あぶり出し」と命名したのは加藤治郎)。1940年には、皇紀2600年を祝う曲詰が関根金次郎花田長太郎により発表されている。

1953年に柏川悦夫は二上達也六段(当時)昇段を記念して、「二上詰」を発表する。これが、初形・詰め上がり共に文字になる立体曲詰の最初の作品である。

1974年に安達康二は「NHK詰」という作品を発表する。この作品が、最初の3段曲詰である。

祝賀詰

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詰将棋界では昇段や結婚などの祝い事があったとき、名前などを織り込んだ曲詰を贈ることがある。これを一般に祝賀詰と呼ぶ。

有名な作品としては前述の「二上詰」(二上達也六段昇段・柏川悦夫作)や、「ヒロエ詰」(3段曲詰・中井広恵女流名人防衛・相馬康幸作)・「イトウのイ」(伊藤果五段昇段・若島正作)などがある(段位などは当時のもの)。

参考文献

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