昊天宗建
昊天 宗建(こうてん そうけん、生年不詳 - 正保元年(1644年))は、戦国時代、江戸時代の僧侶。
昊天宗建 | |
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生年不明 - 正保元年 (生年不明 - 1644年) | |
号 | 昊天 |
諱 | 宗建 |
宗旨 | 臨済宗 |
師 | 南渓瑞聞 |
生涯
編集昊天は龍潭寺二世住職南渓瑞聞の弟子であり、井伊直虎の死後、井伊直政が小牧・長久手の戦いで先鋒として出陣する際に、南渓瑞聞から傑山宗俊とともに遣わされた[3]。昊天は長刀の優れた人物であり、長久手にて池田恒興と森長可の両隊を討つことにより、直政は名をあげた[4]。
1600年頃、龍潭寺四世・悦岫永怡より昊天の号を授かる[5]。
直政の死後、遺命により佐和山に豪徳庵を建てた。