新潟鐵工所
かつて存在した日本の重工業会社
(新潟鉄工から転送)
株式会社新潟鐵工所(にいがたてっこうしょ、 NIIGATA ENGINEERING CO., LTD.)は、東京都大田区蒲田本町に本社を置いていた総合重機の中堅メーカー。「新潟鉄工」また新潟県内では単に「鉄工」とも通称され、生産拠点のある新潟県では有力企業の代表格であった。
紀州鉄道キハ600形と同系統の車内銘板 横浜新都市交通1000形と同系統の車内銘板 | |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒144-0053 東京都大田区蒲田本町一丁目10番1号 |
設立 | 1910年(明治43年)6月17日 |
業種 | 製造業 |
事業内容 | 医薬や産業プラント、石油や石化プラントのタンク、造船、変速機、原動機、新交通システム、鉄道車両、除雪機械、産業用車両製造、流体荷役運搬機器などの製造 |
関係する人物 | 笹村吉郎(元社長) |
特記事項:すでに経営破綻し解散済み |
経営破綻後、主要事業は他社に譲渡され(譲渡先は後述)、2007年夏に清算結了し法人格が消滅した。
沿革
編集- 1895年(明治28年) - 前身となる日本石油付属新潟鉄工所が開設され、日本石油(現・ENEOS)の関連事業部門として、新潟県新潟市で石油事業関連の機械製造を開始した。
- 1899年頃 - 船舶用機器、鉄道貨車、石油関連機器、鉱山関連機器など新潟近辺における機械製造を請け負う[1]。
- 1910年(明治43年) - 分離・独立して設立。初代社長には日本石油創始者山口権三郎の長男・山口達太郎が就任した。
- 1917年(大正6年) - 本社を東京市麹町区(現在の東京都千代田区)霞が関に移転。
- 1918年(大正7年) - 国内初のガソリン製造プラントとなる分解蒸留(石油精製)装置を日本石油に納入した。
- 1919年(大正8年) - 国内初となる船舶用ディーゼルエンジンを開発。
- 1928年(昭和3年) - ディーゼル機関用気筒の製造に対し商工省より第四回工業奨励金交付指令出る[2]。
- 1949年(昭和24年)- 東京証券取引所一部に上場した(証券コード:6011)。ディーゼルエンジンやガスタービン、石油化学プラントの開発等を主力に、総合機械メーカーに成長。創業地である新潟県内に主力工場を展開し、関連会社も含め、造船や鉄道車両、各種産業機械の製造などを行った。
- 1964年(昭和39年) - 新潟地震により新潟地区工場被災。特に山ノ下地区が津波により甚大な被害を受ける。
- 1966年(昭和41年) - 山ノ下地区工場移転のため、大形地区工場(新潟内燃機工場及び新潟鋳造工場)を設置。
- 1981年(昭和56年)6月26日 - 電気・電子部門を担う子会社として新潟機電を設立。
- 1994年(平成6年) - 新潟ガスタービン工場を北蒲原郡聖籠町に設置。
- 1995年(平成7年)7月17日 - 本店を東京都千代田区霞が関一丁目4番1号から東京都大田区蒲田本町一丁目10番1号に移転。
- 1998年(平成10年) - 老朽化した大山工場を閉鎖し、新潟構機工場を北蒲原郡聖籠町(新潟ガスタービン工場と同敷地内)に設置。
- 2000年(平成12年) - 海外エンジニアリング部門の業績が急激に悪化し、資金不足が深刻化。3月期には債務超過に陥り、工場の再編や人員削減、不動産売却などで財務体質の改善を目指した。しかし、その後も事業中断や支払いが滞ったことに加え、アメリカ同時多発テロ事件の影響で受注が大幅に減少。
- 2001年(平成13年)11月27日 - さらに株価も低迷するなど状況は好転せず、自力再建を断念し、東京地方裁判所に会社更生法の適用を申請、受理され、経営が破綻した。負債総額は約2,270億円だった。
その後、新潟鉄工の各事業は他社に譲渡された。新潟鉄工は第一勧銀グループに属していたため、譲渡先も第一勧銀系企業(特にIHI)の出資・支援により設立された企業が多い。主なものは事業譲渡先に挙げる。
事業分野
編集原動機カンパニー
編集- 関連工場:大形地区(新潟内燃機工場・新潟鋳造工場)、新潟ガスタービン工場、太田工場
エンジニアリングカンパニー
編集- 環境プラント
- 石油石化プラント
- 医薬・産業プラント
- 交通システム
機械カンパニー
編集- チクサン・ウェルセンター
- 関連工場:長岡工場、大形地区精機工場
造船カンパニー
編集- 関連工場:新潟造船工場、三崎工場
構機システムカンパニー
編集- 関連工場:新潟構機工場(聖籠町・大山工場を移転)
製造した鉄道車両
編集→この記事では現存車両,動態保存車両(5年以内に稼働)のみ記述。全車両は「Category:新潟鐵工所製の鉄道車両」を参照
電車
編集- 伊豆箱根鉄道7000系(東急車輛製造からの製造委託)
- 江ノ島電鉄100形
- 岡山電気軌道9200形
- 熊本市交通局9700形
- 北越急行
- 681系2000番台(管理はJR西日本)
- HK100形
- 上信電鉄
- 西鉄600形電車 (軌道)
- 函館市交通局
新交通
編集気動車
編集国鉄・JR
編集- 国鉄・JR各社
- 国鉄キハ181系気動車
- 国鉄キハ20系気動車
- 国鉄キハ35系気動車
- 国鉄キハ40系気動車 (2代)
- 国鉄キハ391系気動車(製造名義は大宮工場であるが、構体の一部は当社が担当した)
- JR北海道
- JR東日本
- JR東海
- JR西日本
- JR四国
- 国鉄キハ185系気動車(一部、JR九州へ売却)
- 国鉄キハ32形気動車
- 国鉄キハ54形気動車(0番台)
- JR四国1000形気動車
- JR九州
民鉄・第3セクター
編集- NDC (鉄道車両)
- 会津鉄道AT-400形
- 秋田内陸縦貫鉄道
- 阿佐海岸鉄道
- 井原鉄道IRT355形
- 鹿島臨海鉄道6000形
- 神岡鉄道KM-100形
- 関東鉄道
- 三陸鉄道
- 島原鉄道
- 高千穂鉄道
- 津軽鉄道
- 天竜浜名湖鉄道
- 土佐くろしお鉄道
- 錦川鉄道
- 北海道ちほく高原鉄道
- 松浦鉄道
- 水島臨海鉄道
- 南阿蘇鉄道
- 山形鉄道
- 雄別鉄道
- 由利高原鉄道
- 留萠鉄道
- 若桜鉄道
客車
編集- 国鉄10系客車
- 国鉄12系客車
- 国鉄14系客車
- 国鉄24系客車
- 国鉄50系客車
- 国鉄60系客車
- 国鉄オハ35系客車
- 国鉄スニ41形客車
- 国鉄スハ32系客車
- 国鉄スハ43系客車
- 国鉄スニ40形客車
- JR東日本E26系客車
機関車
編集貨車
編集事業譲渡先
編集プラントエンジニアリング関連事業部門
編集- 日立造船(現・カナデビア)
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- 環境関連事業は、下水・排水処理、リサイクル設備などの設計、機器調達、建設を手掛けていたが、日立造船に営業譲渡。
- IHIプラント
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- 医薬・産業プラント関連事業は、石川島播磨重工業(現・IHI)が支援企業となり、同社グループの石川島プラントエンジニアリング(現・IHIプラントエンジニアリング)の一部門として再出発。2019年4月、IHIプラント建設、IHIプロセスプラントSBUと合併し、IHIプラントとなる。
- レイズネクスト
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- 石油・石化プラントのタンク事業を新興プランテックに営業譲渡。前身会社が元新潟鉄工子会社の新潟工事(新潟地盤のプラント工事会社)を吸収合併し「新興プランテック」へ社名変更。その後、2019年にJXエンジニアリングを吸収合併し現社名に変更した。このため、現在もENEOSホールディングス(旧・JXTGホールディングス)が主要株主に名を連ねている。
造船関連事業部門
編集変速機関連事業部門
編集- 日立ニコトランスミッション
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- 同部門を行っていたニコカンパニーが改組、日立インダストリイズ(後の日立プラントテクノロジー、2013年に日立製作所へ吸収合併)の出資により、2003年3月20日設立。
原動機関連事業部門
編集- IHI原動機(旧・新潟原動機)
新交通システム・鉄道車両・除雪機械・産業用車両部門
編集- 住友建機
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- 2002年に産業用車両部門のうちのアスファルトフィニッシャ事業を買収し、同社のアスファルトフィニッシャ事業へ吸収。
機械関連事業
編集- ニイガタマシンテクノ
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- 工作機械、成形機を製造している。新日本工機株式会社グループの全額出資。
流体荷役運搬関連事業
編集新潟鐵工所を題材にした著作物
編集- 兄が残した日記 学徒動員・新潟鐵工所での日々(近代文藝社刊) - 1995年。著者・上林眞弓。著者の兄、廣瀬昭悟が学徒動員により新潟鐵工所山ノ下工場で働いていた際につけていた日記を編集したもの。旧制・相川中等学校(新制・新潟県立相川高等学校)3年生の廣瀬昭悟が動員を受け、佐渡から新潟市に渡った1945年4月21日から、敗戦前日の8月14日までの日記が収められている。ISBN 4773345950
その他
編集- ジャカルタ事務所駐在員・殉職
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- 1987年4月4日、インドネシア・ジャカルタ事務所の所長と社員1名が、出張先のバンダ・アチェからジャカルタに帰る際にガルーダ・インドネシア航空035便墜落事故に巻き込まれ死亡している。
関連項目
編集- ニイガタテクノウィング
- 日本ドレッサー(旧・ニイガタメーソンネーラン)
- ENEOS(旧・日本石油)
- 日立造船
- IHIプラント
- レイズネクスト
- 新潟造船
- 日立ニコトランスミッション
- IHI原動機(旧・新潟原動機)
- 新潟トランシス
- ニイガタマシンテクノ
- 東京貿易エンジニアリング(旧・ニイガタ・ローディング・システムズ)
- 倉井敏麿 - 元社長(1950-1964)
- 池田大作 (創価学会名誉会長。尋常小学校卒業後、工員として4年ほど勤務していた。)
脚注
編集- ^ 「雜報 - 新潟鐵工所近況」『機械工芸会誌』 17巻、1899年10月、53頁。doi:10.11501/1502688 。
- ^ 工業奨励金交付決定す国民新聞 1928.1.12 (昭和3)
参考書籍
編集- 『新潟鉄工所七十年史』1968年。doi:10.11501/2517985 。
- 『新潟鉄工所80年史』1976年8月。doi:10.11501/11955328 。
外部リンク
編集- IHIプラント
- 新潟造船
- 日立ニコトランスミッション
- IHI原動機
- 新潟トランシス
- ニイガタマシンテクノ
- TBグローバルテクノロジーズ(旧東京貿易エンジニアリング、旧ニイガタ・ローディング・システムズ)
- ニイガタテクノウィング
- 日本ドレッサー(旧ニイガタメーソンネーラン)
- 旧新潟鐵工所 at the Wayback Machine (archived 2003-12-01)
- 電気年鑑 大正15年新潟鉄工所広告 五百馬力ディーゼル発電機写真