平山博三
日本の政治家
平山 博三(ひらやま はくぞう、1906年(明治39年)2月4日[1] - 1990年(平成2年)1月6日[1])は、日本の政治家。浜松市長、全国市長会会長。旧姓・安間[2]。
平山博三 ひらやま はくぞう | |
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生年月日 | 1906年2月4日 |
出生地 |
日本 静岡県浜名郡河輪村 (現・静岡県浜松市中央区) |
没年月日 | 1990年1月6日(83歳没) |
出身校 | 早稲田大学専門部法律科卒業 |
前職 | 浜松市助役 |
現職 | 静岡県民放送役員 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1959年5月1日 - 1979年4月30日 |
経歴
編集静岡県浜名郡河輪村(現浜松市中央区西町)で、農業・安間伊三郎の三男として生まれ[2][3]、引佐郡奥山村(現浜松市浜名区)の平山家の養子となる[2]。県立蚕業学校(現静岡県立浜松大平台高等学校)を経て、1928年、早稲田大学専門部法律科を卒業[1][2]。
卒業後に帰郷し、1928年に静岡県庁に入り、総務部調査課長、労働部長などを歴任[1][3]。その後、1956年、浜松市助役に就任[1][2][3]。1959年5月に浜松市長に選出され、1979年4月まで市長を五期20年にわたり務めた[1][2][3]。「総合福祉都市の建設」「基本都市としての大浜松の建設」をスローガンに、浜松市の発展に尽力した[2]。この間、全国市長会会長、国の各種審議会委員などを務めた[2]。
親族
編集- 長兄 安間千量(浜松牛乳社長)[3]
脚注
編集参考文献
編集- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1984年。
- 静岡新聞社出版局編『静岡県歴史人物事典』静岡新聞社、1991年。
- 『現代物故者事典 1988~1990』日外アソシエーツ株式会社、1993年。