山根信成
日本陸軍の軍人
山根 信成(やまね のぶなり、1851年1月16日(嘉永3年12月15日[1]) - 1895年(明治28年)10月2日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
編集長門国(長州藩)萩(現・山口県萩市)出身[2]。明治維新後、陸軍に入る。1881年(明治14年)2月、歩兵第12連隊長となり、1884年(明治17年)10月、歩兵大佐に昇進した。
1886年(明治19年)5月、大阪鎮台参謀に就任。1888年(明治21年)5月、第4師団参謀長に異動。1890年(明治23年)9月、陸軍少将に進級し歩兵第7旅団長に就任。1894年(明治27年)11月、近衛歩兵第2旅団長となり日清戦争後の台湾に派遣され乙未戦争に参加。翌年10月、台湾で戦病死した。
1895年(明治28年)10月1日、その功績により臨終に際して華族に列し男爵を叙爵し[3]、子息の山根一貫(陸軍少将、侍従武官)が家督を継承した[1]。
栄典
編集- 位階
- 勲章等
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
男爵 山根(信成)家初代 1895年 |
次代 山根一貫 |