富士高茂

日本の明治時代前期~大正時代の実業家・資産家。子爵京極高典六男で、富士山本宮浅間大社大宮司富士重本養子。富士氏45代当主

富士 高茂(ふじ たかしげ、1878年明治11年)2月7日 - 没年不詳)は、明治・大正時代の実業家資産家麹町区富士見町(現在の千代田区)に住した。

経歴

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讃岐多度津藩主・京極高典の六男として生まれる[1]

後に富士家当主である富士重本の養子となったため富士姓を名乗り[2]、明治31年(1898年)には富士家の家督を相続している。明治41年(1908年)に早稲田大学を卒業。その後、法政大学でも学んだという[3]

富士家を相続する立場であったため富士家伝来の古文書も高茂が継承しており、この古文書を東京大学史料編纂所が明治19年(1886年)と昭和5年(1930年)に採録している[4]。身分は東京府士族

系譜

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  • 父:京極高典
  • 養父:富士重本
  • 妻:芳子
    • 男子:重正
    • 三男:喜八郎
    • 長女:さく子
    • 次女:まつ

脚注

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  1. ^ 『明治人名辞典』下巻、フ二三(底本:『現代人名辞典』第二版、1912年)
  2. ^ 人事(1928)キ八三
  3. ^ 人事(1928)フ三
  4. ^ 村田正志、「第一章 古文書概説」『村田正志著作集 第6巻』、思文閣出版、1985年

参考文献

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  • 人事興信所『人事興信録第8版』1928年。