定安王后
定安王后金氏(ていあんおうこう・きんし/チョンアンワンフ・キムシ、1355年1月22日 - 1412年8月2日)は、李氏朝鮮第2代王・定宗の王妃。本貫は慶州金氏。諡号は温明荘懿定安王后。
定安王后 | |
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朝鮮王妃 | |
在位 |
洪武31年9月5日 - 建文2年11月13日 (1398年10月14日 - 1400年11月28日) |
別称号 | 徳妃 |
別称 | 温明荘懿定安王后(諡号) |
出生 |
至正15年1月9日 (1355年1月22日) |
死去 |
永楽10年6月25日 (1412年8月2日) |
埋葬 | 厚陵 |
配偶者 | 定宗 |
子女 | なし |
氏族 | 慶州金氏 |
父親 | 金天瑞 |
母親 | 潭陽李氏 |
生涯
編集1355年、金天瑞(きん ていずい/キム・チョンソ)の娘として生まれ、のちに朝鮮初代王太祖となる李成桂の次男・李芳果と結婚した。しかし、夫との間に子を成さなかった。1398年、第一次王子の乱で王世子の李芳碩が李芳遠によって殺害された後、夫の芳果が王世子となり彼女は世子嬪(世子の正妻)となって徳嬪と号した。1か月後の太祖の譲位で夫・定宗が即位し、金氏は王妃となり、徳妃と号した。だが中継ぎの王である定宗は将来の不安を抱き、王妃は王に芳遠への譲位を薦め実行させた。1400年、芳遠が王位に就いた。金氏は王大妃となり順徳王大妃と尊号を贈られて余生を過ごし、1412年に薨去した。享年57歳。
家族
編集出典
編集先代 神徳王后 |
朝鮮王妃 在位:1398年 - 1400年 |
次代 元敬王后 |
先代 |
朝鮮大妃 在位:1400年 - 1412年 |
次代 元敬王后 |