奥浄瑠璃
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奥浄瑠璃(おくじょうるり)は、近世東北地方において盲法師(ボサマ)[注 1]や巫覡の徒(修験・巫女・陰陽師)によって盛んにかたられた語り物文芸[1]。仙台地方を中心に定着した浄瑠璃で、古浄瑠璃の面影を遺しつつ今日に至るまで伝承されている[2]。御国浄瑠璃、仙台浄瑠璃とも。代表的演目に『田村三代記』がある[1]。
概要
編集奥浄瑠璃においては、現在三味線が使用されるが、松尾芭蕉による『奥の細道』によると琵琶が使われたともいわれる[2]。
伝承曲目中に『牛若東下り』『阿弥陀胸割』など、古浄瑠璃に近いのものもある[2]。演奏は、冬期の農閑期に、部落、部落を巡って行なわれていたが、浪曲の隆盛とともにしだいに忘れられ、現在ではほとんど演奏されていない[2]。なお、著名な奥浄瑠璃の伝承者として、北峰一之進(芸名精悦)がいる[2]。
奥浄瑠璃は、1961年(昭和36年)3月31日付けで「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に選択されている[2]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 近世東北地方では門付けを行う男盲の芸人を「ボサマ」と呼んでいた。
出典
編集参考文献
編集- 阿部幹男『東北の田村語り』三弥井書店〈三弥井民俗選書〉、2004年1月21日。ISBN 4-8382-9063-2。